011
恐怖の魔法バトルから一週間が経ち、俺の怪我も随分と良くなった。
β世界の治療技術は凄まじく。傷薬代わりの治癒魔法なるものを翔が毎日施してくれたお陰で多少の痛みは残っているものの殆ど完治と呼んでいい状態だ。
さらには鎮痛術式だか何だか訳の分からない治療を保険室医が俺が眠っている間に施してくれたらしく酷い怪我をしていた実感すらもあまりないままにこの状態になったのだが。
教室で行われる授業はα世界とそう変わらず退屈なもので、その辺はどちらの世界も大差がないのだと知った。しかし、時折授業に組み込まれる実戦形式の魔法錬成実習は命懸けの過酷なものだ。α世界で言うところの体育に変わる単位なのだろうが、危険度はそれの比ではない。下級魔錬師であっても扱う術式には危険なものも多く、寸止め形式で行われる組手の様なものなのだが、魔法錬成技術の未熟な下級魔錬師達では上手く制御出来ない事もあり、ふざけていれば大怪我に繋がるので俺も必死で取り組んだ。
世良羅はと言うと、俺に対する態度にあまり変化はなく。声を掛けても十中八九は無視されてしまう。
席は隣通しになったので、会話はできなくとも美しい横顔と得も言われぬいい香りをさせている彼女の至近距離にいられるのは唯一の役得だろう。と言うよりも口を開かないければ絶世の美女。口を開けば唯我独尊の女王様なので、会話が成立しなくてもさほど問題はない。いや、むしろその方が平和だ。
今の所、実習でも二対二のバディー戦闘を行われる事はなく、一対一形式だったので俺と彼女との距離が拡がったり狭まったりするフラグ成立イベント等は起ころうはずもない。
「奔っち。一緒に飯食わね?」
浅黒く焼けた肌に赤髪のツンツン頭をした男子生徒が声を掛けてきた。身長は俺より少し高く、百八十センチはあるだろうから、十分に長身と言える。
俺にもこの一週間で友人が出来た。彼がその一人である安達鹿之助だ。
鹿之助は世良羅と超絶バトルを繰り広げた俺に興味を示してくれたらしい。彼だけではなく。勇敢に世良羅と戦った俺に対しては他の生徒も多少なりとも好感を抱いてくれた。
俺は鹿之助の申し出を快く了承し、学園の屋上へと昼食をぶら下げて向かった。
我等が魔立謳術学院は生徒の自主性を育むだか、自由で楽しい学園生活をだかで校則なんてあってないような学院だ。その証拠に制服は着崩し放題でほとんど私服みたいな格好をした生徒もいれば、髪の色も染め放題で、もしも窓ガラスが割れたり、壁に無数の落書きがあったりしたならば、不良学校と勘違いしてしまった事だろう。
屋上で昼食なんてのはα世界では漫画や小説の中だけの話で自殺防止、安全重視の考えからか殆どの学校の屋上には鍵が掛けられていて、普通は生徒達が立ち入る事はできない。できるとすれば教室のベランダくらいである。
β世界では障害や殺人などといった他者を傷つける事件が横行している反面、自殺や事故と言った事件はないは言えないもののあまり発生しない様だ。事故に遭いそうになっても魔法で回避する事が出来る者もいるのだろうから、当然と言えば当然だ。自殺者が少ない事に関しては精神医学の知識があるわけでもない俺にはわかるはずもないが、『将来に夢を持てない若者が多いから自殺が横行している』と書いてあるような記事を読んだ記憶があったので、そこから推察するに現実世界自体が夢の様なこのβ世界では、自殺する必要はないと言ったところなのだろうか。
そんな事を考えながら屋上へと続く階段を鹿之助の見たくもない尻を追って上がって行く。
廊下がすべて木製の艶やかな床であるこの学院だが、階段はすべてコンクリートの上に薄くゴムを敷いた様な緑の床になっている。壁は全面、白で統一してあり清潔感はあるが階段だけはゴム床の色調のせいもあってか少し陰気な印象を受ける。
学院に中央にそそり立つ時計塔を除いて、全館三階建ての学院は玄関から右側が下級魔錬師と中級魔錬師の教室棟。左側が上級魔錬師の教室棟となっていて、以前の洞窟事件の時や実習で利用する巨大な体育館は上級魔錬師の教室を横切って左棟の一番奥となっている。広大な学院内で正反対に位置する体育館は実習の度に億劫な気持ちを抱かせる。上級師の教室前を通るから尚更だ。
基本的に学院内での下級生と上級生の仲は決して良いとは言えない。
α世界ならば上級生は下級生の面倒を見、そんな上級生に下級生は少なからず尊敬と憧れを抱くものだが、β世界では学院の性質上そういうわけにもいかない。
と言うのも、まず年齢がばらばらだからだろう。上級師には年長者が多いのも確かだが、翔。正しくはβ世界の翔の様に飛び級で年齢に拘らず上位の級へあがる者もいれば、その逆もある。実力がなければ上がれない、厳しい世界なのだ。俺の様なとても出来の良いとは言えない人間にしてはくそっ食らえなシステムなのである。
さらには軍隊の様に昇格もあれば、降格もある様で、下級師から中級師に上がった者がいれば中級師の中で成績の悪い者が下級師に降格される事もあるらしい。そんなこんなで上級生が下級生に優しくなんてのはお笑い種でライバルを蹴落とす感覚で下級生を見下している上級生と隙あらば席を奪い取ってやろうと目をギラつかせると下級生いった格差社会の縮図の様な構図が出来上がっているわけだ。
しかし、表向きは下級生は上級生に敬意を表すふりはしているし、下級生に襲い掛かる上級生なんてのもいない。位が下の者を襲うのは恥ずかしい事とされている風潮はあるみたいだ。
なのでそんな一触即発、弱肉強食な学院内でも俺の様な子兎の如き下級師でも、のほほんと暮らしていられるわけだ。
学院の屋上はべらぼうに広く、ベンチや花壇などが点在し、中央には華美な装飾を施された噴水まであり、まるでお洒落な公園みたいな作りになっていて、弁当持参学生の人気昼食ポイントだ。
ベンチはカップルの指定席で、同性同士は金網越しに陣取るという何やら気に食わない住み分けがされている。俺と鹿之助も例に漏れず、空いている金網越しに腰掛けて弁当を広げた。鹿之助は購買で買ったパンをナイロン袋から取り出て広げ、俺の昼食はいつも翔が用意してくれている。
今日はパスタ弁当だった。翔の弁当のセンスは多少変わっている。と言うか唯一の欠点と言える。
普通は弁当に使用するパスタはナポリタンが俺の常識だ。例外があるとすれば、たらこスパゲッティくらいだろう。しかし、入っていたのは和風キノコスパゲッティだった。隣りには一口サイズのおにぎりが二つ添えられている。おにぎりの具もキノコだった。おにぎりの具がキノコと言うのもおかしい。もっと言えば、炭水化物と炭水化物というのにも納得いかない。さらに言えば、和風キノコスパゲッティは妙に汁気が多く、その汁気がおにぎりに侵食し、湿らせているのも気に入らない。
けれど、祖母に弁当を作ってもらうと白米の真ん中に梅干し一つの日の丸弁当しか用意しないのだから、文句も言えない。
納得のいかないまま、パスタをおかずにおにぎりを頬張った。
「ってかさ、奔っちは千早さんとは仲良くやれてんの?」
「まぁ……会話自体してねぇし。仲が悪くなりようもねぇわな。」
鹿之助が焼きそばパンを頬張りながら興味津々といった表情を浮かべる。
屋上のコンクリートにあぐらをかいて座る鹿之助の足の間にはメロンパン、ウインナーロールにシュークリーム、おかかおにぎり、うめおにぎりが置いてある。
本当にそれを全部食うのか? などと尋ねるのも面倒なのでスルースキルをいかんなく発揮して返答する。
薄々感じていたが、世良羅はどうやら大半の生徒に恐れられているらしい。
確かに人畜無害とは言い難いし、突然襲い掛かってこないとも断言しづらい性格をしているが、俺からすれば怖いと言う程でもない。
「まぁ上手い事やれているんなら、俺は別にいいんだけどね。うちのシャルミーちゃんみたいにおしとやかで可憐なバディーを持つ身としては親友であるお前を心配してやらんわけにも……な。」
シャルミーと言うのは鹿之助のバディーの名前である。眞柄・シャルド・シャルミー。明らかに日本人ではない事はわかるが国籍までは知らない。
青い色のショートカットに青い瞳が特徴的な無口な少女。まだ声すら聞いたことはないが、幼さの残る面影はあるものの世間一般的に言えば美少女であるのは間違いない。
俺としては控えめすぎる胸部が気になるところだが、それを補って余りある可憐さを考えれば、ありかなしかで聞かれれば当然ありと言わざるおえない。
けれど、見た目だけで言えば色気のある分、世良羅に軍配があがる。俺は無性に腹立たしくなって、馬鹿面でメロンパンに噛り付く鹿之助の背中を力一杯叩いて「親友になったつもりはない。」とお得意の悪態をつく。練成して攻撃しなかっただけ感謝してもらいたいくらいだ。
「痛ぇなぁ。折角心配してやってんのに……。まぁ上手くやれてるなら、来週の結束集会も平気か。」
大量の食料を完食し、膨れた腹部を擦りながら鹿之助が口にし、俺は思わず眉根を上げる。
「なんだ? その結束集会って?」
「バディー決めの後、静琉ちゃんが言ってたじゃねーか。バディー結成を祝して、クラス内のバディー対バディーで模擬戦をやるって。」
鹿之助に過失はない。バディー決めの後、俺は世良羅にのされて失神中だったから過失があるとすれば世良羅だ。けれど過失はないがシュークリームのホイップを口角に残したまま、安穏と語る横顔には殺意を覚えずにはいられない。
翔お手製のパスタ弁当の空き容器を思わず無機質なコンクリートへと叩きつける。
今更ながらにβ世界のこういう所には呆れてしまう。α世界では喧嘩好きの不良か格闘技でもやっていない限り、戦闘する事など殆どない。授業の一環でそんな事を行えば、教師はあっという間に教育委員会に処分を下される事だろう。
「それって、欠席するとやっぱりまずいよな?」
「単位には関係ないかもしれないが、俺は欠席して静琉ちゃんにシバかれる方が怖いけどな。まぁある意味、あの爆乳美女に一度はシバかれたい気もするが、命は一つ……ってね。」
飄々《ひょうひょう》と話す鹿之助に「だよな。」と同意して、弁当を包み終えた俺は屋上の金網に寄り掛かった。
カシャンと小気味のいい音を立てて歪む網目越しにグラウンドを憂鬱な表情を浮かべて見下ろす。
正直、戦闘だ何だというのには多少は慣れたが、世良羅が俺と快く連携をとってくれるとは思えない。下手をすれば無防備な背中を撃ち抜かれるのではないだろうか。むしろそれが目的で俺とバディーを組む事にしたのではないだろうか。とネガティブな思考だけが頭を巡る。
グラウンドで魔法錬成の自主練習をしている中級師達を見下ろし、悲観に暮れた。
「でも奔っちが知らなかったって事は千早さんも知らねぇかもしれないな。教えてあげた方がいいんじゃないか?」
確かに俺を保健室に運んだ世良羅が知らなくても不思議はない。俺を含んでクラスの生徒達と会話する事のない彼女が俺以外の誰かから教えてもらう、という事も考えにくい。
「それって来週のいつなんだ?」
「えっと、週明けの月曜だよ。」
(今日が金曜日だから……。)
ゆとり教育などと言う康寧な響きとは無縁と思えるβ世界だが、土日休みは常識な様で週明けの月曜日と言えば、今日伝えなければ世良羅はその事実を知らぬままに結束集会なるバトル大会に突入する事になるだろう。俺が知っていたのに伝えなかったと知れば、何かしらの体罰を与えられる事も考えられる。いや、寧ろ確定事項だろう。
保健室で会話してから今日まで会話をする事もなく、日々が過ぎていたので、このままではいけないとは思ってはいたのだから、話しかけるネタとしては振って沸いたチャンスなのだが、伝えた時の反応が良いものである気がしない。
ジレンマに苦しみながら弁当を包みなおした俺は、予鈴に急かされる様に教室へと向かった。