010
「防衛術式【電影】。」
俺の拳が通り抜けた世良羅の身体は、モニターに映し出された映像が砂嵐に変わるが如く大きくぶれながら消滅した。振り出した右腕の肩越しから声のした方を覗くと世良羅が両手の掌を俺の方へ向けて突き出す直前といった構えで待ち構えていた。
(誘い――込まれたのか?)
「双肩に宿りし至高の輝きよ、両椀を駆け抜け、我が敵を破砕せしめろ! 【雷槌】!」
世良羅の細い両肩から差し出された掌へと電撃が走り、電撃の流れに合わせて突き出される両腕が俺のがら空きの右脇腹へと突き刺さる。
バチッと大きな音と共に身体がばらばらになってしまったと錯覚するほどの衝撃が走る。
身体をへの字に曲げて俺は地面を転がった。
呼吸ができない。指先一つも動かない。接触の瞬間。血液が沸騰した様にぶくぶくと音を立てた気がした。
霞みがかった意識を辛うじて繋ぎ止める。魔法の恐ろしさと威力を初めて痛感した。
バス亭で帯魔状態の世良羅に触れてしまった時も似た感覚を味わったが殺傷力が段違いなのが身に染みてわかる。あの時と違い下手に意識を保っているから余計になのだろうか。痺れが多少和らいだ今となっては痛覚の戻った脇腹が火傷した様にひりひりと痛んでくる。
「勝負ありね。これで私は単独で――」
「いいや、まだ終わってはいないさ。お兄ちゃんはぎりぎりで腕を引き戻していたからな。」
「贔屓はなしって言ったじゃない!」
水平に切り揃えられた黒色の前髪から覗く瞳を少し細めて静琉が感心したように口にした言葉を聞き、激昂する世良羅。
俺は身動ぎ一つで軋む右の脇腹を左手で抑えながらゆっくりと立ち上がった。
「嘘じゃねぇさ……。ぎりぎりだったけど間に合った。」
そう。確かに俺は右腕を引き戻して、世良羅の掌と腹部の間に差し込んだ。
けれど変形している腕の境目である肘を差し込んだだけで絶縁効果はほとんどなく、右肘も酷く痛めてしまって動かす事もできない。満身創痍とはまさにこの事だ。
改めて自分の身体を見てみると、右半身の制服は破れ去り、右肘と右脇腹に酷い火傷の跡がある。
(ここまでの大怪我をしたのは初めてだな。)と逆に冷静になってしまい、自嘲が込み上げた。
「でも、その怪我じゃ、もう……。」
怪我を負わせた本人である世良羅が痛々しげに俺の右半身を見て声を振るわせた。
確かにその通りだ。高らかに続行宣言をするには傷が深すぎる上に唯一の武器である右腕も完全に御釈迦だ。
でも……。
「でもな。あんたには証明しないといけないんだよ。もう二度とあんな事にはさせないってな。」
憑代を待機モードから制御モードへと立ち上げ、再び【腕】の術式を起動させる。
試した事はないし、出来るかどうかは分からないがやるしかない。
「大地を切り裂き、海を割るその隻腕を振り上げ【哀哭の左腕】よ! 我が敵を打ち砕け!」
左腕を突き出し、思念化に入る。
完成イメージを脳内構築し、魔力を左腕へと注ぎ込む。
流動化で魔力を注いでいると「いける。」と表現し難い感触があった。
左腕が光を帯て見る見るうちに形を変え、右腕と同様の形状を象る。
慣れないせいかイメージにブレを感じると同時に不完全な左腕も僅かにブレるがここまでくれば気合の問題だ。精神を集中し魔力を左腕へと集束させていく。
「科学だの魔法だの言ったところで……人間、最後は気合なんだよ!」
訳の分からない雄たけびを上げながら、高らかに左腕を掲げると、太い蛍光灯の様な光の塊へと化した腕がその輝きを迸らせる。
「ひゅう」と静琉がわざとらしく口笛を鳴らす。
恐る恐る掲げた腕を見上げると、やや不恰好ではあるが確かに変形していた。鉄とも土ともいえない独特の素材。無骨な左腕が無機質に聳え立っている。
「さぁて、第二ラウンドといこうか。」
何が可笑しいのか自分でもわからないが、ピンチには笑顔と相場は決まっているのだからここで敵に笑顔を見せないわけにはいかない。引き攣った笑みを浮かべる俺を呆然と見ていた世良羅の顔に再び戦闘の意思が浮かび上がる。
「ば、ばっかじゃないの? し、死んじゃっても知らないんだからね!」
世良羅は指先から電撃を発し、攻撃を再開するが、動揺しているのか先程までの速度もなければ威力もない。
脇腹の激痛に一歩踏み出すのも憚られるが、勝算がまるでないわけでもない。
明らかに世良羅は動揺しているし、手の内は大体把握した。
世良羅の魔法は三種。遠距離攻撃用術式の【雷槍】と近距離攻撃用術式の【雷槌】。それと自動展開させている、防衛術式【電影】だ。
今の精神状態から、他に術式を所持していれば遮二無二放ってきてもおかしくはないが、そうしないと言う事は恐らく所持している術式の数は三種で間違いないのだろう。
確たる証拠はないが今はそれに賭けるしかない。
攻撃術式の攻撃パターンは一直線に電撃を飛ばす術と掌底に電撃を帯びて突き出す術と単純なもので、注意すべきは防衛術式【電影】のみ。
敵の攻撃を寸前で避わし、残像を攻撃させる術式でそれ自体に殺傷能力はない。もしかしたら、連続使用も可能なのかもしれないがその可能性は限りなく低い。何故なら発動待機時間のない術式は少ないからだ。それがない術式には面倒な手順や条件があるものが多いと確かに教科書に記述されていたのを覚えている。
微かな可能性に賭けて、嫌がる身体を無理矢理に引き摺る。
落雷を避けながら一歩、また一歩と距離を詰める。傷の痛みで機敏に動く事のできない身体を電撃が時折、掠める。
土煙を利用しての接近ではまた残像と入れ違えられても気づけない恐れはあるが、まだ世良羅が動揺している間に決着をつける必要もある以上のんびりはしてはいられない。
世良羅まで残り数歩の所で俺は左腕を地面に打ちつけ土煙を立てた。
最後の力を振り絞って大きく踏み込んで距離を詰める。電撃が土煙を貫いて飛来した。俺は紙一重で反応し危うく鼻っ柱に直撃しかけながら、前髪を焦がしてそれを寸前で避ける。
先程と同じく世良羅の右脇に飛び出し攻撃を繰り出す。予想通り、世良羅を捕らえた攻撃が手ごたえなく外れ、残された残像がドットの光となり淡く輝いて消え去る。
「何度やっても――」
世良羅が両手を突き出した構えを取りながら、はっとして驚きに目を丸くする。
空振った俺の攻撃は左腕で繰り出されたものではなく、右回し蹴りだったからだ。
俺には世良羅がどちらから攻撃に移るか分かっていた。
彼女は動揺していても冷静に敵の弱点を付く事を忘れたりはしない。そうなれば確実に負傷した俺の右半身を狙う。そう確信していた。
浮いた身体を振りぬいた右足の力を利用して左に大きく捻る。無理な動きと姿勢に引き絞られる身体がぎりぎりと音を立てて痛んだ。
俺の左腕と世良羅の両手が交錯して炸裂音と共に接触していた互いの身体は引き剥がされる様に吹き飛ばされた。
俺の必死の抵抗はここで終わり。
右半身の激痛と脳を大きく揺さぶる激突の衝撃にものの見事に意識は分断された。
***
嗅ぎ覚えのある不快で、それでいて落ち着ける芳香が覚醒した俺の鼻を擽る。
重い瞼をゆっくりと開くと一度は見た事のある白い天井。縦横のラインが規則正しく交差し、大きなマスを描いている。
純白で染め上げられたシーツが身体を包んでおり、少し動くとツツツッと小気味の良い独特の衣擦れ音を鳴らす。
身体中が軋むように悲鳴を上げ酩酊感に吐き気を催すが、動けない程ではなさそうだ。
「……また保健室かよ。」
白い天井に悪態を一つ。
「気がついたみたいね。言っておくけど手加減はしてたんだからね! 君がしつこいから、つい……」
聞き覚えのある声に瞳だけを動かして「またあんたか……」と悪態をもう一つ。
「またって、いつもいつも絡んで来るのは君じゃない!」
意識が朦朧としていて言い返してやろうにも上手く神経を逆撫でできる言葉が出てこない。
傍に腰掛ける世良羅の髪を少し空いている窓から差し込む風が微かに揺らす。
顔に当たる風に気持ちよさそうに目を細めて窓外に視線を巡らせている、彼女の細く長い睫毛も微かに揺れている気がする。筆舌に尽くし難い美しさに目を奪われると同時に感傷が沸々と湧きあがる。
言いたい事を言うならば今だと心の奥でもう一人の自分が叫んだ様な気がして、言葉が唇をこじ開けて溢れだした。
「一応心配はしてくれたみたいで、有難うな。何だかムキになっちまってさ。あの時、本当は助けたかったんだ。けどその力が俺にはなくて。それで……」
外へと投げた視線を戻す事なく、彼女は冷ややかな細い指先を俺の下唇に置き、言葉を遮る。
「もういいから。弟君に叱られちゃったし。」
勝敗が決し、通常空間の教室に戻った俺達を出迎えた翔が意識のない俺に駆け寄り涙ながらに言ったらしい。
「兄は絶対に人を見捨てたりしない。深く悔やんで休みの間中、普段は絶対にしない勉強を必死でして、魔法練成の特訓もしていた。そんな柄にもない事をしたのは貴方をあの時助けられなかった後悔の所為だ。二度と同じ事を繰り返さない為に。兄はそういう人間だ。」と。
相変わらず出来た弟だと嘆息を漏らしたが「実兄だからって持ち上げすぎだな。」と照れ隠しの言葉も口にしておいた。
「本当にそうよね。まるで私が悪者みたいな雰囲気になっちゃったじゃない。」
「そいつはすまなかったな。」と俺は痛む身体を引き起こした。
俺が身体を動かせるのを確認した世良羅は腰かけていたパイプ椅子からゆっくりと腰を上げて、「それじゃあ。」と小さく呟いて出口へと向かった。
呼び止めたい気持ちに駆られたが何を言えばいいのかわからず後姿をただ見送った。
出口の扉を少しだけ開いた世良羅は決して振り返る事はせず、首を少しだけ横に向けて言った。
「今度は、ちゃんと守ってよね。……あ、相棒。」
微かに見えた横顔を耳まで紅く染めていた。言葉に理解が及ばない俺は目を瞬く。
「それは……」
俺の問いかけも聞かずに力一杯に保健室の扉が閉ざされ、呆気に取られた俺は左手を少し持ち上げる格好で情けなく停止した。
訪れた静寂を翔があっさりと破って現れた。また出入り口で盗み聞きしていたのか、あまり見慣れない卑しい笑顔でベットに近寄り、世良羅の腰かけていたパイプ椅子に腰掛けて、接合部をぎしりと揺らした。
「……バディーを組むんだってさ。兄さんと。」
「は? 誰が?」
事情の飲み込めない俺が頓狂な問いを返すと翔が詳しい事情を説明してくれた。
翔が世良羅に説教した後、俺を保健室に運んでくれたのは世良羅らしい。
あの細い身体でよろよろと覚束ない足取りで俺を担ぎ、長い廊下を進んで行く世良羅に他の生徒達や翔はもちろん手を貸そうと駆け寄ったそうだが、「わ、私の、あ、相棒だから!」と顔を真っ赤にして助力を頑なに拒んだらしい。
何が彼女のツボを押さえたのかわからないが、どうやら俺とバディーを組む決心を固めたらしい。
つまりは俺が彼女を見捨てようとしてはいなかった気持ちだけは一応の理解は得られたと言う事だろう。
嬉しいような悲しいような。複雑な気持ちである。
確かにあんな美女が相棒なのは幸せな事だろうし、下心を抜きにしても今の俺よりは数段実力もあるのだから心強い。けれど、「相棒を組むだけでこれじゃあな。」と大仰な手当てをされたミイラ男状態の半身を見やり深い溜息をついた。
異世界での始めての友達作りに成功した喜びに満ちているはずが、そんな色は微塵も浮かんでこない陰鬱な眼差で窓外を見下げるとすっかり黄昏が広がっていて、妙な既視感に再び重い吐息が口をついて出た。