009
暫し唸りながら思考を巡らせた静琉であったが、「適当に仲の良い者同士で組め。」とあっさり放り投げた。生徒達は待ってましたとばかりに席を立ち、仲の良い者同士寄り合い、瞬く間に教室中に歓談が広がった。
漂流者ゆえに友達もいない俺だけは勝手に決めてもらった方が気が楽で良かったと惜しがりながらも翔と組めばいいだけか、と思い手を翔の肩へと忍び寄らせた。が瞬きを一つする間に紺色のブレザーを着た後姿が忽然と俺の眼前から姿を消した。
微かに見えた残像が行く先を目で追うと教壇にいる静琉に抱えられた翔が憂いの眼差しを俺に向けている。周知の通り俺に翔を救い出す術はないのだが一応の抵抗を試みる。
「あの、御手洗先生?」
「静琉でいいよ。お兄ちゃん。」
艶やかな黒色の前髪から除かせる吊り上った大きな切れ長の瞳に似つかわしくない満面の笑みを添えて俺に言い返す静琉。
「し、静琉さん。俺、翔とバディーを……。」
「ダーリンは勿論あたしとバディーを組むに決まっているじゃない。」
「静琉さんには他にバディーがいるのでは?」
「大丈夫。奴もあたしとバディーを解消したがっていたから問題ない。それにこのクラスは三十一名だから必然的に一人余る。力量的にもダーリンに釣り合う奴はいないのだから当然こうなるわけ。」
静琉のバディーの心情に妙に共感した俺はそれ以上は追えずに翔に「すまない」と心の中で謝罪をして辺りを見渡した。
他の生徒達はすでに相棒を確保した様子でいそいそと席を移動し始めている。バディーはこれから学園内ですべての行動を共にする仲なのだから当然席も隣同士となるのが通例なのだろう。
騒然となる教室の中で一角だけが時の刻みを止めているのに俺は気がついた。
楽しげな表情が溢れる周囲とは相反する物憂げな表情で窓の外に視線を落とす少女。
空間から隔絶された少女は無関係を装いながらもどこか悲しげだった。
正直彼女に対して良い印象など欠片もなければ背徳感すら覚えている身の上であったが、自然と足は彼女の方へと向き、歩みは俺の意思に関係なく運ばれた。
横に立ち、頬を指先で掻く仕草をしながら言葉を掛けられずにいる俺を恨めしげな表情で見上げた世良羅は桜色の唇をゆっくりと開いた。
「何か用でも? お兄ちゃん。」
敵意むき出しに嫌味を口にして、たじろぐ俺から視線を外し、窓外へと再び視線を振る世良羅に俺は抵抗する喉を無理矢理開き、身を引いたまま言葉で追いすがった。
「バディー、決まってないなら、俺と。」
緊張の所為か唇は強張り、声が震えて片言になる。
女子と話すのは元々得意な方ではないが、普段はここまで酷くない。
人間離れした世良羅の美しさとこれまでの経緯が俺を出来損ないのロボットの様にする。
「このクラスの人数だと一人余るでしょう? 私は一人でいいわ。」
「それが……。翔が静琉さんと組むみたいで……。」
突如として立ち上がった世良羅がすらりと長い片足を支点にして素早く俺の方を向き、右手の人差し指で俺の胸をついた。
「君、あの洞窟での事を忘れたの? バディーって言うのは互いに命を預けあう相棒なの! あの時は一時的な事で私としてはもの凄く不服だったけれど、私と君はバディーと言える状態だった。けれど君は恐怖に立ち竦むだけで私の窮地に助けようとする素振りすら見せなかった。そんな君が私のバディー? 笑わせないでくれるかしら!」
早口に捲くし立てた世良羅の指が俺の胸元に言葉を放つに従って食い込んでいくような気がした。
すべてを言い終えた世良羅は随分と興奮した様子で頬を薄く桃色に染め、息継ぎもせずに捲くし立てた肺は急激に酸素を欲し、喉を働かせた為、はぁはぁと桜色の唇が上下し息が漏れている。
傍から見ればまったく世良羅の言う通りで、その件に関して言い訳などしてはならないと頭では分かっていたのだが、俺とてそこまで自制の効く思考は持ち合わせてはいない。
心が言ってはならないと警鐘を鳴らしていたが、俺の脳はそれに逆らい唇と喉に動作信号を送信した。
「――助けようと思った! 助けたかった!」
突然の大声に世良羅の指が胸元を離れ、周囲の喧々たる空気は両断された。
「ふ――」
世良羅の瞳が水気を帯びた気がして、胸が恐々と鼓動を早めた。
「ふざけるな!」
世良羅が指に輝くMRDを起動させて、周囲にいた生徒達は悲鳴を上げて大きく飛び退いた。
細長く白い人差し指の先がチリチリと稲光るのを感じ俺は身構えたが逃げる事はしなかった。避けてはならない気がした。
刹那。世良羅の指先が大きく光り、俺の視界を眩く遮った瞬間。俺は何かに押されて吹き飛ばされた。
訳も分からず吹き飛ばされた俺は机と椅子を弾きながら、窓際から廊下側まで身体を滑らせた。
廊下側の壁に打ち付けられ、慌てて身を起こすと静琉が両足を大きく開き、両手を突き出す格好で俺と世良羅の間に割って入っていた。
世良羅へと突き出された静琉の右手からは硝煙が一筋揺らめき、肉の焦げる生々しい臭気が教室中に立ち込め、俺へと突き出された左腕は覆っていたギプスの手首から先が砕けて生身がむき出しになっている。
「あたしの両手を駄目にする気か?」
静琉が体勢をそのままに交互に俺と世良羅に鋭い視線を投げる。
殺意を帯びた眼光に慄き、両手両足を拘束されたように恐怖に動きを制限された。
「バディーが決まっていないのがお兄ちゃんと千早だけである以上、二人にバディーを組んでもらう事になる。――がしかしだ。」
大袈裟に一呼吸入れて静琉が姿勢を正して首元のMRDと思わしきネックレスを焼け爛れた右手で握り込む。静琉のMRDが輝きを増し、紫紺色の光が教室全体を包んだ。
「どう言う事ですか? これは仮想戦闘領域じゃないですか。」
何やら腰を落とし構えを作る世良羅に静琉は不気味な冷笑を返した。
先ほどまで教室だった空間が紫色の壁面に覆われた教室から一回り小さくなった空間へと変貌している。紫色の壁面はやや透き通っていて色のついたガラスの様だ。
呼吸はできるので空気は存在している様だが、匂いがない。
紫色の床面は教室のフローリングと硬度に変化はないが、第六感はここが別次元であると確かに言っている。
周囲にいたはずの生徒達は姿を消し、その場には俺と世良羅、そして中央で冷笑を浮かべる静琉のみがいた。
すぐに合点がいったのは、体育館が洞窟に変貌した事と同種の事象を静琉が起こしたのだろうと言う事だけ。その理由までには思考の触手は届かない。
「教室で暴れられては困るからな。洞窟での経緯も知っているからには無理矢理組ませるわけにもいかん。千早がお兄ちゃんと組みたくないのは彼に力がないと思うからなのだろう?」
ここまで静琉が話した所で俺は彼女の真意を察した。恐らく静琉も同様なのだろう。口をきつく結んで、静琉に向けていた構えを俺へと向けなおす。
「お兄ちゃんがあそこでお前を助けなかったのは、不完全なMRDと不完全な術式の所為だとあたしは説明を聞き、一応の納得はしたのだが、お前は当の被害者なのだからそんな説明で納得する事はできないのだろう。」
「――私は誰ともバディーは組まない。」
静琉の問いかけに若干噛み合わない気がする言葉を呟く世良羅の表情には俺へと向けられていたものとは明らかに異なる怒りとも悲しみともつかない複雑な色が漂っていた。
「お兄ちゃんが勝てば、めでたく二人はバディーだ。千早が勝った場合は仕方がないのでしばらくは二人とも単独でいる事を特例として許可しよう。それでいいな?」
世良羅が細い輪郭を前に少し傾ける。俺には選択肢などあろうはずもなく。流されるままにMRDを起動させ、臨戦態勢を整えた。
「勝敗はどちらかが降参するか、あたしが危険と判断して止めに入るまでだ。あたしが止めに入った場合の異論は聞かないからな。」
「小姑だからって贔屓はなしにして下さいね。」
「あたしはこと戦闘に関しては私情を挟まない。そこは信用してもらうしかないな。」
俺は即座に唯一錬成する事のできる術式を起動させる。
「大地を切り裂き、海を割るその隻腕を振り上げ【憤怒の右腕】よ! 我が敵を打ち砕け!」
手早く右腕を錬成した俺に二人は驚きを隠せない様子だったが、世良羅の顔にはすぐに怒りの色が滲んだ。
「あの洞窟で何故今みたいに術式を発動しなかったのか?」と顔に書いてある。当然の怒りだが、俺がこれをまともに錬成出来る様になったのは、つい前日の話で、あの時は本当に魔法のまの字も知らなかった。とはいえ、そんな言い訳を繰り返した所で時すでに遅し。世良羅は聞き入れはしないだろう。
別に勝ちたいわけではなかった。世良羅とバディーになりたいと心から望んでいたわけでもない。さっさと降参しても良かったのだが、俺にだってプライドはある。
ただただ証明したかった。もう二度とあんな事にはならない。次に同じ場面に陥れば必ず助ける。それを力を示して証明したかっただけだ。
世良羅も憑代を立ち上げ、何やらキーを打ち始めた。手元から発せられる独特な紫光が顔と髪を照らしている。金色の髪と両眼に混ざり合った紫光は何ともいえない幻想的な彩を湛える。
「【雷槍】発射準備。防衛術式展開――」
世良羅がゆっくりと俯けていた顔を上げ、大きく開かれた愛らしさと美しさの両方を兼ね備えた瞳が俺を真っ直ぐに捉える。
静琉が交互に俺と世良羅に見やり、小さく頷くと、乱暴な応急処置をした様な乱雑に布の巻かれた右腕を高らかと上げて、寸分の間の後に素早く振り下ろした。
「神々の畏れたる雷鳴よ、我が猛る怒りをその神槍に宿し――【雷槍】よ我が敵を穿て!」
言葉と同時に突きだされた指先から電撃が迸る。落雷が重力に逆らい水平に飛来する様は俺に大きな恐怖を与える。超高速と呼べる速度で俺に向かう電撃だが、辛うじて目で追う事ができる。
俺は右腕を顔の前に置き、電撃を受けとめた。
激しい衝撃と光の爆発に俺は後方へと吹き飛ばされて思わずきつく目を閉じる。
「序歌を省略――」
声に反応し、慌てて目を開く。土煙で姿の見えなくなった世良羅の気配を初弾の立ち位置からやや左に感じ俺は首だけを左に振る。その瞬間小さな光を目の端に捉え、慌てて右腕を光の高さに合わせて振り出す。
寸での所で落雷を右腕で遮る事に成功するが、初弾ほどではないにしろ、かなりの衝撃が肩口に激痛を走らせる。
「正直、二発目まで止められるとは思っていなかったわ。やっぱり君は力を隠していたのね。――卑怯者。」
「ちが……。」
出かかった否定の言葉を飲みこんだ。
もう言い訳はしない。勝って、それで聞いてもらおう。もう二度とあんな風に何もできずに立ち尽くしたくなくて力をつけたのだと。
世良羅の電撃の威力は予想以上だった。一撃目は真正面から受けたにも拘らず、後方へと身体を吹き飛ばされる程の威力があったし、序歌を省略した魔法ならば軽々と耐えられると思っていたのだが体制が崩れた状態では肩が外れるくらいの衝撃はあった。
生身の部分に当たれば、一撃で立つ事もできなくなるかもしれない。
唯一の救いは俺の右腕は絶縁体素材で出来ている事。それは右腕の検証をした時から判明していた。
電撃が飛来する速度から考えても、いつ直撃を食らってもおかしくはない。
俺は我武者羅に世良羅へと踏み出した。接近戦なら確実に俺に分がある。
俺の右腕は耐久力も然る事ながら、岩をも砕く腕力も兼ね備えている。人間相手なら一撃で戦闘不能に陥らせる事ができるはずだ。女性を殴る事は、特に世良羅の様な絶世の美女を殴る事には気が引けるがこの際そんな事は言っていられない。かなり加減すれば大丈夫だろう。
世良羅は飛び込む俺に容赦なく電撃を放った。序歌を省略すればかなりの速度で連射が可能になるようで、中々距離を詰める事ができない。焦る俺だが飛来する電撃の速度にも徐々に慣れてきていた。
一閃の電撃を足元に叩きつける様に右腕で叩き落とす。紫の地面に激突した電撃がジジジッと電子音を鳴らし土煙を舞い上げる。初弾で分かった事だが、砂地でもないこの空間でも地面に激しい衝撃が生まれると不思議な事に土煙が上がるようだ。原理は解らないが、遠距離から攻撃する手段のない俺にはかなり有利に働く仕掛けだ。これを利用しない手はない。
土煙の間を縫って世良羅との距離を一気に詰める。俺が飛び出したのは狙い通り、世良羅の左脇。振り出せば右腕をクリーンヒットさせられる位置だ。
右足を踏み込み、身体を捻って世良羅の腹部目掛けて振り抜く。
俺の右腕がブゥンと風切り音を立てて世良羅の身体を素通りする。
触覚のない腕でも何かを殴った時の衝撃は生身の肘や肩の部分から伝わってくるはずなのだが、その手ごたえがまるでなかった。