プロローグ
この物語は日本の現在を舞台としておりますが、すべてフィクションであり、人物及び団体、地名などには一切関係はありません。
「兄さん、右腕の動きが変だ。魔力はしっかり供給されてる?」
「――んな事言ったって、うわっ。」
土と金属を混ぜた様な不思議な材質で作られた操縦席。
中央には水晶玉みたいな大きな紫色の玉。
尻が座面から飛び上がるほどの縦揺れの中、俺はその玉にしがみ付き、訳も分からず強く念じる様に力を込める。
紫の光がその光を増していき、その丁度真上に表示されるモニターに映される人型の映像に光が染み渡っていき、暗かった右腕部分も光を帯びた。
「――な、何とかいけそうだ、おらぁ! 跳べぇ!」
内臓が浮き上がるみたいな感覚に少々の吐き気を催す。
操縦席左右壁面と正面にあるモニターの奥壁面から見える外の風景が上下したかと思えば、広大な景色が眼下に広がる。
内臓が暴れまわったせいなのか、興奮しているせいなのかわからないが、胸が煩い位に高鳴っている。
「兄さん、前! 前、前!」
激しい衝撃と共に、更に激しく揺さぶられた内臓と脳。
目の前の広大な景色は一瞬にして星空に変わる。
奇妙な操縦席から引きずり出され、今だ焦点の定まらぬ俺の視界にぼんやりと映るのは俺を心配そうに見つめる我が可愛い弟。
「兄さん、大丈夫? 怪我はない?」
「お、おう。死んだ婆ちゃんにちょいとばかし会って来ただけだ。」
「お婆ちゃんは死んでないでしょ。――それより、すごいね、この……」
弟が俺と共に巨木へと激突したソレを見つめる。
操縦席と同じく、土で出来ているのか、金属で出来ているのか、不明瞭な巨体。
かなりの高さから猛スピードで落下し、巨木に激突したにも拘らず、操縦者共々無傷なのは脅威的と言えた。
「――これが、俺の……土機兵。」
***
山道を走るバスの中。
二時間に一本という信じられない程に怠慢なバスを寸での所で乗り逃し、二時間待ってやって来たバスにやっと乗った俺と弟は祖母の家へと向かう道中だった。
事故で両親を亡くした俺達は唯一の身寄りである祖母に面倒を見てもらう事になっている。
祖母は偏屈な変わり者で人里離れた山の中に住んでいた。
祖母には一度として会った事はないが、高校二年の俺と、今年中学を卒業したばかりの弟では二人で生活するには思い切りが必要で、思い切りの足りない俺は祖母を頼る事に決めた。
俺と違い素直な弟は、俺の決断に異を唱える事なんて滅多にない。
けれど、嫌な顔一つせず、俺に従う弟を見ていると少し胸が痛んだ。
俺と正反対で優秀な弟は有名私立に特待生枠で入る予定だった。
最初は俺も「お前は折角いい高校に受かったんだから、こっちに残った方がいい。向こうでバイトすればお前一人の生活費くらいはなんとか捻出してやるよ。」なんて兄貴らしい事も言ってみたものだが、流石に非の打ち所のない弟は「兄さんと一緒なら高校はどこだって構わないよ。僕がいたい場所はいい高校なんて所じゃなくて、兄さんと一緒にいられる所だから。」なんて、もしも妹であればうっかり一線を越えてしまいそうな殊勝な発言をした。
そんな訳で俺は珍しく発揮した兄貴らしさをあっさりと引っ込めて弟を連れて行く事にした。
終電まで走破したオンボロバスを降りると、年に2、3人は遭難者が出ていそうな森の中。
携帯を開けば当然の様に圏外。
時折目の前を横切る虫は拳ほどではなかったにせよ、都会育ちの俺の目にはそのくらいの大きさに映った。
「一応、婆ちゃんの手紙には地図が載っていたんだが……」と言って、弟に差し出す。
その手紙を見て、弟の顔が青褪めていくのが分かる。
かなり大雑把に描かれた地図だとは思ったが、物事をあまり深く考えない俺は着けばその地図で分かるものなのだろうと安易に考えていた。
それがそもそもの間違いで目の前に広がるのは土と木だけで方角すら分からない。
地図に描いてあるのは俺たちのいるバス亭と大きな木、そして『この辺』と書いて矢印の引いてある民家と思わしき絵。
目に付く木はすべて樹齢何年か、というくらいの巨木ばかりでどれが祖母の言いたい大きな木なのかさっぱり分からない。
「と、兎に角歩こう。」
「――兎に角歩いちゃったら、絶対遭難しちゃうよ!」
最もな言い分だ。
「何だか喉が渇いたからアイスが食べたいよな。」
俺達はそのままバス亭のベンチに座り込んでいた。
弟は俺の言葉を無視したまま、何とか解読しようしているのか祖母の茶目っ気溢れる地図を睨み付けている。
「俺達、このまま死んじゃうのかな?」
「兄さん、ちょっと黙っててよ。それにここから動かなければ、最悪引き返す事もできるでしょ?」
「まぁな……しかし、ここで一泊はしなけりゃいかんけどな。」
「――へ?」
優秀な弟には珍しく素っ頓狂な声を上げる。
地図の解読に夢中になっていたせいか、時刻表を見ていなかったのだろう。
俺はする事もなく、時刻表を眺めていたから知っている。
さっき俺達が降りたバスが本日最後の一本だった事を。
弟は一層必死になって地図に齧り付いた。
陽が落ち、辺りを黄昏が包み始める。
明らかに焦り始める弟を横目で見る俺。
こんな時、駄目な兄貴でよかったと思う。
窮地に直面した時、弟が不安そうにすると皮肉な事に俺の頭は段々と冷静になり、心は穏やかになっていく。
「さぁて、頭を使うのはやめて、今度は身体を使うか。」
俺はそう言って弟の肩に手を引いた。
鞄からスナック菓子を取り出して、それを道々落とし、目印にして迷わない様に歩いた。
「兄さん、これ動物とかが食べちゃったら目印なくなっちゃうんじゃない?」
「大丈夫だ、こんな事もあろうかと、『すっぱイーヨ梅じそ味』を持ってきた。動物は『すっぱイーヨ』は食わねぇだろ?」
「そうだね。それなら安心だ。」
弟がバスを降りて以来初めて笑顔を零した。
俺はそれに笑い返して、先に進む足を速めた。
本当に動物が『すっぱイーヨ梅じそ味』を食べない保証は勿論ないが、そうでも言わないと弟が不安に思う。
と言うよりも、そんな事は弟も重々《じゅうじゅう》承知だが俺がそんな馬鹿な冗談を言う事で弟は落ち着きを取り戻してくれる。
出来た弟の事だ、馬鹿な兄貴を護らなければと思うのだろう。
本当に駄目な兄は責任を持って必要以上に駄目な振りをしなければならない。
少なくとも俺と弟はそうやってバランスを取っている。
***
すっかり陽は落ちて暗くなった森。
唯一の救いは、晴れた空に浮かぶ満月が辛うじて視界を残してくれている事。
それとスナック菓子の『わさびポーク』を持ってきていた事。
無くなった『すっぱイーヨ』の代わりに『わさびポーク』を落としながら、暗い森を歩く。
何処からともなく、梟の鳴き声が聞こえる。
ほんの何日か前に魔法使いの映画を見ていて、主人公の相棒である白い梟がこんな風に鳴いていたから間違いない。
2、3kmほど歩いただろうか、人里は見えず、辺りの木々が更に鬱蒼と生茂り、目にした事のない草花が目立つ様になってきた。
「クソ婆ぁ、あの絵心溢れる地図は方角だけは合ってんだろうな。信じてるんだからな。」
疲れの所為もあり、苛立ってきた俺は悪態を付き始める。
道はどんどん細くなっていくし、心なしか山道をずっと登り続けている気がする。
「今、何か光らなかった?」
「――あん? 俺には見えなかったぞ。」
「確かに光ったよ、向こうの方で……」
弟は木々の間を指差すが、暗がりで数m先も満足に見えない状況では何があるのかわからない。
ハッとして、辺りの手ごろな木の枝を手に取り構えた。
(もしかしたら、獣か何かの目が光ったのかもしれない。)
声には出さなかったがそう思った。
弟も感じているのだろうか、俺の裾を強く握り締めている。
「だ、大丈夫だ。兄ちゃん、喧嘩だけは強いの知ってるだろ?」
(しまった、声が震えた。)と後悔したが、弟は気付かなかったのか、それとも気付いていない振りをしてくれたのか分からないが「頼りにしてる。」と俺の顔を見返してほほ笑んだ。
本当に出来た弟である。
妹ならば獣に喰われて、この世を去る前に! と勢いに任せて押し倒している所だ。
けれど、獣ではなく、民家か何かがあるのかもしれない。
森の中では、その確率も低いが、万が一にもと考えると容易には去れない。
俺達は光の見えた方へとゆっくりと近づいて行った。
そこには崖なのか、植物の集合体なのかよくわからない、草木に覆われた丘が聳え立っている。
目を凝らしてよく見ると、草木の隙間から金属の様な物が見えた。
光の正体はその金属が月明かりを反射したからと思われた。
俺は絡まっている蔓を引き剥がし、その金属を掘り起こそうとした。
かなり大きいソレは完全に草木に絡まれており、少し剥がしたくらいではその全容を現さない。
金属と土の様な素材で出来たそれに、何か文字が書かれている。
かなり古いものなのか、その文字は掠れていて、辛うじて一行読める程度だった。
「虚構よりも真の現実を……」
「兄さん、これは一体?」
言い知れぬ不安感が湧きあがる気がした。
弟もそうなのだろう、少し声が震えている。
けれどそれと同時に湧きあがる探究心が、纏わりついた蔓を更に剥がさせた。
ある程度剥がすと、それが人型をしている物だと分かった。
無我夢中で蔓を剥がし続け、その全容が明らかとなる。
「なんだ、こりゃ……。」
巨大な人型の建造物。
体長は三メートル程だろうか、少なくとも俺と弟の倍くらいの大きさはある。
頑丈そうな不思議な素材でできた身体。
まるでSF映画に出てくるロボットだ。
文字が書いてある部分の下には紫色の水晶玉の様な物が付いている。
そこだけ明らかに違う素材で出来ていたので俺は何気なく、その玉に手を触れた。
すると触れた部分が強烈な光を放ち始め、周囲の大気を吸い込む様にそれを中心に風が吹き荒ぶ。
恐怖を感じ、手を放そうにも不思議とその手は離れない。
「ふ、ふざけんな、なんだよこれ。」
懸命に引っ張るが、玉に吸いつく様に俺の手は離れようとはしない。
弟が後ろから腰に手を回して一緒に引っ張るが、二人がかりでも一向に離れる気配はない。
「何だか、やばそうだ。お前は早く離れろ!」
「兄さんを放って離れられるわけないだろ!」
さらに強い光が瞬き、視界を奪われる。
そして身体が宙に浮く様な感覚の直後、何かが炸裂した様な音と共に俺は身体を吹き飛ばされるような感覚に襲われた。