父の吼え声
注意:特定の疾病や障碍、またそれを罹患している人を貶める意図は一切ありません。作中の人物や事象はフィクションです。
わたしの父は小学校教諭であった。たいへん声が大きく、それは職業柄か、本来の気性であったのか、今となっては分からない。
とにかく怒鳴る人だった。内弁慶で、ご近所や親戚には下手に出るものだから、父親が怖いと訴えても誰も信じてくれないのが悲しかった。
成人男性の怒鳴り声は怖い。まして父の声はよく通る。まだひとクラスにつき生徒が30人から40人は居た頃の時代に、最後列まで声が届くような教職の人間が本気で怒鳴る大音声がどんなものか。
端的に地獄だ。
後年わたしが耳を患ったのはこの父親に依るところが必ずあると思っている。大嫌いだったし今でも大嫌いだ。
続柄父であるところのあの男はわたしにとってこの世で最も憎む人間の一人である。
さて父は病弱であった。
名を健司郎と言うのも、彼の母親が子の未来を案じて「健康を司る」という願いをこめた所以である。
父は産まれてすぐには産声を上げず、医師が逆さに吊り何度も叩いてようやく泣き声を上げたという。
まだ補助ゼリーなど無い時代に、母親は毎日服用分の粉薬をオブラートのフィルムに包んで薬包を作り、櫃に入れて丁寧に管理した。わたしの祖母にあたるこの母親の慈愛を父に片鱗たりとも見た事は無く、きっと血が水より濃いというのは真っ赤な嘘なのだろう。
父は後天的に病を得た。
今ではそれが外傷による脳障碍であると判明しているが、いや、今にいたっても誤解している人間は大小いるが、それは後天的な障碍で、遺伝はしない。痙攣発作をともない、場合によっては日常生活に多大な不便をもたらすが、さいわい父は夜にしか発作がなく、症状は軽かった。
軽かったと知ったのはずいぶん後だ。
ものごころついた頃、6歳前後であろうか。わたしにとって父の発作は恐怖であった。
家中に響き渡る咆哮。ぅぉおおおおぉぉおおおおおおおおおんという声が聴こえたら始まりだ。
布団から飛び起き、水と薬を持って両親の寝室に走る。
青い顔をした母と、布団の上で小刻みに痙攣しながら、半目を開けて口の端から泡を流す父のそばに行く。
垂れ流しになった唾液が痙攣の振動によって泡状になるのだと後から知った。
痙攣がやむのをただただ待つ。すすり泣く母の背中をさすり、ビクッ ビクッと不随意に蠢く父の体を見ながら、いつも思った。
「このまま帰って来なかったらどうしよう」
大声で怒鳴り、時に手を上げ、横柄で傲慢で、母は頻繁に「転んで」怪我をした。しかし「誰のおかげで生きていられると思っているんだ」と言われれば黙るしかなかった。
この父親が死んだらわたしも母も生きてはいけない。
今になって思えば全然そんなことはなかったのだが、わたしは幼く無知で、自分たちだけで生きていける道があるなど思いもよらなかったのだ。
だから痙攣が収まったあと、何度も呼びかけ、錠剤を飲ませ、静かな寝息が聞こえるまで、息を殺して祈りつづけた。どうかもとにもどりますように。朝になったら元気になりますように。
空が白んでやがて鳥が鳴きだすまでまんじりともせず、泣く母の手を握りながらわたしは祈った。泣くのは母の役割であったから、わたしは泣いてはいけなかった。泣いたところで、わたしの背をさすってくれる人はいない。
さて数十年後、父は失業した。
詳細は省くが、笑えるほど父らしい理由で免職された。
母がいつも医者に「転んだ」と言ってくれるものだから、父は愚かにも誰でも皆そうしてくれると勘違いしたのだ。
わたしと母の長期に及ぶ従順は父の感覚をおおいに麻痺させ、父の生徒も生徒の親も、そもそも大体の人間は父程度が相手なら反撃してくるという至って簡単な事情を失念させた。
かくして父は無職になり、母はパートに就き、わたしは就職した。ぎりぎり高校を卒業したタイミングだったのは本当に幸運だった。
生活が苦しくなって母は毎日泣いた。
わたしは母が泣くのが不思議だった。
だって生活は楽ではないけど苦でもなかった。
市役所と年金事務所を行脚してありとあらゆる福祉サービスをいただき、ありがたいことに贅沢さえしなければ生きていける生活が手に入った。先の見通しは全然明るくないが、とりあえず今日寝る場所と食うものがある。
なにより父が静かだ。
もう伝家の宝刀「誰のおかげで」は使えない。
むしろ「お前のせいで」困窮しているのだ。
家の中でこんなに息がしやすいのは人生で初めてで、わたしは毎日が楽しかった。
夜、うぉおおおおおんと鳴き声がした。
わたしは長年染みついた癖で飛び起き、台所へ走って、
別にいいか、と思った。
コップに水を注ぎ、引き出しから錠剤のパッケージをとりだして一回分をちぎり、寝室へ行く。
母が泣いている。父が蠢いている。
白目をむいて泡を吹き、のたうっている。
わたしがいつまでたっても背を撫でないから、母が訝しげにしている。
ただ家族だからという理由だけで、わたしが泣いても決して慰めてくれない人を、わたしが永遠に慰め続けてくれると母は信じている。
あぐらをかいて頬杖をつきながら、父を眺めた。まだしばらくかかるだろう。
別にいい。朝まで待ってやるつもりはないから気が楽だ。
あと少ししたらコップと錠剤を置いて布団に戻ろう。
父を眺めながら、心の中で、「帰ってこなくていいよ」と言った。
抗議するように父の体がビクンと跳ねたから、ちょっと笑った。
毎日めっちゃあったかいですね 水分補給などお気をつけください
読んでくださってありがとうございました m(_ _)m




