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その8

 一瞬、気を失うかと思ったが、ぎりぎりのところで持ちこたえた。

 肌に、冷たい風を感じる。警察署内ではなく、ここは屋外だ。そして磯の香りがするこの風は、潮風だ。

 腕の中に、暖かな感触があった。無意識に、お互いに抱き合うような形になっていたらしい。あまりに密着度が高く、慌てて離れた。


「成功だな。ごめん、急に抱きついて。でも、前置き抜きで一気に行った方が、うまくいくと思ったから」


 アリアは小声で言い訳じみたことを言いながら、周囲を伺いつつ、姿勢を低くした。確かに、二人乗りはできるだけぴったりくっつくことが重要だと聞いたことがある。さらに、二人乗りは、自分一人でワープする場合と比べて悪心を引き起こしやすい。他人のワープに無理やり引っ張り込まれるからだ。現に、平衡感覚をかき乱されたような違和感がある。


「大丈夫か?気持ち悪くない?」

「まあ、何とか大丈夫。少し気持ちは悪いけど」

 セイアも身をかがめた。辺りはすでに闇に落ちている。警察署に入る前にも薄暗くなってはいたが、今はさらに真っ暗だ。


 少し離れたところに、平べったい倉庫のようなものが見えた。影になっていて、ここからではあまり様子は分からない。相手方からすぐに存在を把握できないよう、故意に距離を取ったのだろう。ワープは結構派手に光が出るから、なおのことだ。

「まだ、はっきりとは分からないけど……もしかすると、ビンゴかも」

アリアが呟いた。……倉庫の内部に、ちらちらと灯りが見え隠れしている。


「ヒメア、いるかな」

「いて欲しい……今なら間に合う。海の近くがアジトってことは、船を使うつもりなんだろ。船で出た後だと、取り返すのが難しくなる」


 二人でひそひそと話しながら、少しずつ倉庫へと近づいた。波の音にまぎれ、時折風に乗って、人の話し声らしきものが聞こえるようになった。

「……あのさ、セイア。さっき、ついてこなくてもいい、みたいに言ってごめん」

(今それを蒸し返すか)

 そう思いながら、チラリとアリアの方を伺うと、アリアはこちらを向いてはいなかった。倉庫へ向けたままの視線を逸らさずに、


「ついてきてくれて、ありがと。……今、すごく心強い」


 その後で、少し寒いな、と言ってフードを深く被った。その声がわずかに震えて聞こえて、ハッとする。足音を立てないように隣を歩きながら、今更のように当たり前のことに気づいている自分がいた。

(そうだよな、怖いよな。俺だって、すごく怖い)

 思えば、セイアがケネイアに話しかけられて固まっていた時も、あの場に飛び込んでくるのに何の躊躇もなかったはずがない。でもあまりにも迷いなく動くから、本当に迷いがないのかと錯覚してしまっていた。そんなこと、あるわけないのに。


「……俺も」

「え?」

「俺も、心強いよ。アリアが、隣にいてくれて」

 一拍おいて、そっか、と呟く声は、心なしか優し気な響きを伴って耳に届いた。


 そんな会話を交わすうちに、倉庫が目の前というところまで近づいた。近付いてみると、本当にアリアが言っていたように、半分屋外という感じの建物だ。屋根はあるけれども壁はなくて、その代わりに大きな厚地の布のようなものが吊るしてあり、中が見えないようになっている。布の隙間からわずかに漏れる光は、電気ではなくランプだろう。

 中から、男たちの話し声が聞こえる。あまりはっきりとは聞こえないが、まだ船が来ない、早くしないと警察が、というような言葉が断片的に聞こえた。「警察」の単語が聞こえた瞬間、セイアはアリアと思わず目を見合わせ、頷きあった。これは確定ということでいいだろう。ヒメアもまだここにいるらしい。問題は、この後どうするかだ。


 突入するか、とアリアが口パクで聞いてきた。確かに、不意を突けば成功しそうな気もするが、ヒメアの場所が確認できていない。よほどうまくやらないと、ヒメアがそのまま人質になってしまう。

(中の様子が見たい、隙間から見えないかな)

(じゃあ、俺がちょっと覗いてみる)

 声を出さずに会話して、アリアが倉庫の方へ一歩近づいたその時。


 突然、目の前の仕切りの布がばさりと開いて、中から一人の男が顔を出した。男、といよりまだ少年と呼ぶのがふさわしいような若い見た目をしている。そしてその少年は、一瞬目をぱちぱちさせてきょとんと二人を見た後、「あっ」という顔になり、周り中に響くような大声を上げた。


「けっ、……け、警察だ‼」


 正確に言うと警察ではないのだが、現在の役割的には同じことだ。セイアはとっさに少年に向かって右手を伸ばした。手のひらから細い糸のような青い光が勢いよく吹き出し、彼の体にぐるぐると巻き付いて自由を奪う。いわゆる、捕縛魔法だ。ちなみに、捕縛魔法も魔術師にとっては基本能力なので、ほとんどの魔術師がそれなりに扱える。


「うあ、魔術師かよ⁉てめえ、魔術師が一般人を捕縛とか、していいと思ってんのか!」

 青い光で縛られた少年が、口から泡を飛ばす勢いで叫んだ。思わず息を呑んだが、ここでひるんでいるわけにもいかない。

「――――裁判で正当性が認められた前例がいくつもあるけど、ここで挙げてみるか?」

 低い声で強めに切り返すと、彼は口を開いたまま固まった。よし、効果あり。ここでやっと、倉庫内の他のところへ目を向けることができた。


 目の前に黒いオートモービルがあった。ランプの光を受けて、否が応でもその存在感を際立たせている。その後ろに男がもう一人、さらに目を走らせると倉庫の端、セイアから見て右端にもう一人の男。どちらの男も、突然現れたセイアとアリアの存在にうろたえている様子が伺える。男二人とはそれなりに距離があり、もう少し近付かないと捕縛魔法はかけられない。


(ヒメアは?)

 その時、目の端をさっと走る影があった。倉庫の左端の布がバッとめくれて、小さな影が飛び出す。


「あっ、逃げた!おい、ガキが逃げたぞー!」

 先ほど捕縛された少年が大声で叫んだ。セイアが走り出すより先に、アリアが後を追って飛び出していた。


「セイア、おまえはそっちの二人頼む!」


 えっ、と思った時には、もう男二人がアリアの方へ走り出していた。セイアはやむを得ず、アリアと男たちの間に入れるように意識しながら、先ほどヒメアが飛び出した辺りの方向へと神経を集中した。

 ワープには二種類あって、基本的に使うのはさっきアリアがやった遠距離ワープだ。それとは別に、実際に今自分のいる場所から見えるところへ跳ぶ、近距離ワープがある。どちらも、自分の着地する場所を確実にイメージできることが大切だ。ランプの灯りで照らされた倉庫の中は比較的明るく、とっさの判断で近距離ワープを使い、何とか男二人の前に回り込むことができた。暗い場所だと着地点がはっきりしないため、この術は使えない。


「うわっ!」


 青い光を伴って突然目の前に現れたセイアの姿に、二人の男が驚いてたたらを踏む。この瞬間を逃さず、すぐに一人目は捕縛することができた。だが捕縛魔法の最大の欠点は、一人ずつしか術を掛けられないことにある。

「こいつ、ふざけたまねを!」

 体制を立て直したもう一人が、すかさず素手で殴りかかってきた。ナイフを持っているようだが、ナイフを抜く時間も惜しかったのか、それとも素手の攻撃に自信があったのか。

 とっさに体を横へずらし、急所への攻撃は避けられたが、かなり強めの一撃が脇腹を突いた。まともにみぞおちに入っていたら、しばらく動けなかっただろう。何とか痛みに耐え、上体の姿勢を保つことができた。そのおかげで、二発目が入る前に、二人目の捕縛にもぎりぎり成功した。


 一人目の少年もそうだが、ケンカ慣れしている連中だろうということで、今回の二人にも結構がっつりと捕縛を掛けた。両腕を含め、胸の辺りから膝くらいまでぐるぐる巻きにされた状態だ。これを掛けられればまず動けない。

(……いってぇー……)

 脇腹の痛みに座り込みたい衝動に駆られたが、その時倉庫の外から、緊迫感のあるアリアの声が聞こえた。


「そっちに行くなヒメア!海に、落ちるぞ!」


 その声の響きと言葉の内容に、冷水を浴びせられたかのように我に返った。まだ座り込んでいる場合じゃない。自分を奮い立たせ、ふらふらと倉庫の外へと出た。

 ……海のある方角に、岬があるのがわかる。かなり暗いが、先ほどは雲に隠れていた月が顔を出し、辺りを冴え冴えとした光で照らしていた。その月明かりの下を、小さな白っぽい影が岬の方に向かってまっすぐ走っていくのが見える。


「いやーっ、来ないでー!」


 必死に走りながら叫ぶ、高い声が響いた。ヒメアの声だ。アリアのことは認識できていない様子で、しかも軽くパニックになっているのだろうか。追えば追うほど逃げていく少女をアリアも全力で追うことができず、戸惑っているようだった。

すると、アリアはふと思いついたように足を止め、声のトーンを変えて呼びかけた。


「ヒメア、ママとドラゴンがお家で待ってるぞ。一緒に、帰ろう」


 その声に、夢中で前へ前へと走っていたヒメアが、ぱたりと足を止めた。その場で、ゆっくりと振り返る。

「ママ……ドラゴン……」

 アリアがホッとしたようにそちらへ駆け寄ろうとした時。

 ヒメアの背後、岬の先端辺りで、ゆらりと立ち上がる影があった。近くの岩の影と一体化していて、全く存在に気付かなかった。アリアは一瞬息を呑み、その後すぐ、必死に叫んだ。


「ヒメア、早くこっちへ!」


 呼びかけながら、自らも岬へと走る。今度こそ全速力で。遅まきながら、セイアもその後を追った。自分のうかつさに、内心舌打ちしたい気持ちだった。

(まだいたのか……)

 倉庫の三人で片が付いたと思っていた。でも、確かに先刻、倉庫の中の男たちが「まだ船が来ない」と言っているのを聞いた。ということは、船が来るのを待っている見張りが、少なくとももう一人はいるということだ。

 ヒメアは、何事が起ったのか分からない様子で、再び岬の方へ顔を向けた。その瞬間、その小さな体は、近付いてきた影に軽々と片腕で抱きかかえられた。


「いやあ――――‼」「ヒメア!」

「うるせえよ。さっきから、ぴーぴーと」


 若い男の、少しかすれたような声が聞こえた。男は「離してー!」と叫ぶヒメアを小脇に抱えたまま、じりじりと後ろに下がっていく。

 岬の先端部に、突然現れた影のような男とその腕に抱かれたヒメア、それに対峙する形でセイアとアリア、四人が顔を突き合わせる形になった。ヒメアは、一時的に男の腕の中でバタバタ暴れて猛抗議していたが、すぐにおとなしくなった。がっちり押さえつけられ、抵抗する気力が削がれたのだろう。この先どう交渉するのが最善か分からず、セイアはチラリと隣のアリアを伺った。そこで、アリアの様子がおかしいことに気が付いた。

 アリアは男の方を向き、無言のままフードを外した。強い海風に、彼女の銀髪が乱れる。その表情は固く、何か強いショックを受けているようだった。


「……まさかこんなところで会うとはなあ、アリア。ライアの葬式以来か?」

「ゼット、おまえ……」


 何とか声を絞り出し、肩で大きく息をして、呼吸を整える。その間も、視線はずっと目の前の男の姿をとらえたままだった。セイアはそんなアリアから視線を逸らし、『ゼット』と呼ばれた男の方を見た。

 若い男だとは思ったが、よく見るとさらに若く、セイアとあまり変わらない年頃かもしれない。ただ、上背はセイアよりも高く、体つきもより逞しい。肩から胸にかけての筋肉の付き方が、鍛えている男のそれだった。寒空の中、上半身は黒いシャツ一枚という軽装で、襟元や袖口からは竜だか大蜥蜴だかよく分からない刺青が覗いている。口元に浮かんだふてぶてしい微笑は、余裕の現われか、それともアリアを意識してのものなのか。


「何を、やってんだよ、おまえ。やっと、出てきたばっかりなのに。どうしてこんなことやってるんだよ!」

 アリアが、つかえながら声を発した。それを聞いて、セイアも思い当たった。

(窃盗グループの、仲間の一人か)


 男――――ゼットは、そんなアリアの様子を眺めながらも、図太い態度を崩さず、さらに一歩海側へ下がった。ウェーブのかかった黒い長めの前髪の隙間から、漆黒の双眸が油断なくこちらを見ている。


「何をやってんだか、聞きたいのはこっちだよ。なあ、アリア。なんでお前がそっち側なんだよ。何様だ?おまえは、こっち側の人間だろうが」

「うるさい!俺だって、こんなところでおまえと会いたくなかったよ!」

 そこまで一息に叫んだあと、アリアは奥歯をかみしめるようにしてゼットを睨みつけた。


「ヒメアを、返せ。俺やおまえと違って、その子にはちゃんと、待ってる親がいるんだよ。俺はその子を、親の元に帰してあげるんだ」


 ゼットはそれを聞き、鼻白んだように横を向いた。ケッ、と不機嫌そうに舌打ちして、

「他人事に、よく首を突っ込めるよなぁ。自分だってまだ、追われる立場なんじゃねえの?……そっちのカレシにもさ、いいのかよ、こんな話聞かれても?」

 突然、こちらへ意味ありげな視線を向けられた。咄嗟に何の反応もできないセイアに、さらにニヤニヤ笑いを浮かべながら、


「新しいオトコか?よくやるよなあ、おまえ、ライアに死なれて再起不能だったんじゃねえの?」

「うるさい、黙れ!セイアは、関係ない‼」


 絶叫に似たアリアの声が、夜の岬に響いた。その時。

「いって、なにすんだよこのガキ!」

 おとなしくしていたヒメアが、突然思い切りゼットの腕に噛みつき、ゼットが思わず振り払うように少女を離した。


「……おねーさんを、いじめないで!この……わるもの、人さらいっ!」

 ヒメアは、ダンダンと片足で地面を踏みつけながら、猛然とゼットに向かって怒りをぶつけた。


 ……その後、一瞬の間があったように感じた。何が起きたのか、誰にもすぐには分からなかったのではないかと思う。分かっていたのは、この四人の中で、この時一番海に近かったのが、ヒメアだということだ。

 ヒメアの体が、がくんと大きく傾いた。足元の岩が崩れたのだ、と理解できたのは、もう少し後になってから。この時はただ、バランスを崩したヒメアの体が海の方に向かって投げ出されるのを、スローモーションの画面のように眺めていた。

(落ちる、助けないと)

 そう思ったのは、セイアの隣から弾丸のように何かが走り抜けた後だった。


 岬の先端から、アリアが決死のダイブで、落ちていくヒメアへ向かって飛んだ。空中で手を伸ばし、無我夢中でその腕に抱きしめる。しっかりと抱き合い、落下するその途中で、眩いエメラルドグリーンの光があふれ出るように二人の身体を包み込んだ。……そして、そのまま、ふっと消えた。


 次の瞬間、岬の下に広がるごつごつとした岩場の辺りにふわりと緑色の光が広がり、どさりと何かが投げ出される音がした。慌てて、目を凝らして足元を覗き込んだが、真っ暗な上にかなりの距離があって、光の名残も消えてしまうと、もはや何も見えない。

「おねーさん!大丈夫?しっかりして!」

 ヒメアの声が下から聞こえてきて、ハッとした。耳を澄ますと、波音に交じって微かに、「大丈夫」と答えるアリアの声も聞こえてきた。

 セイアの隣で同じような体制で下を覗き込んでいたゼットが、それを聞いて、明らかに安堵と分かるため息をついた。


「無茶しやがってあいつ。……そういや、もう覚醒したんだったな」

 魔術師様か、とつまらなそうに呟き、セイアの方へ向き直った。

「おい、倉庫にいた連中はどうした?」

「……俺が、捕縛した。三人」

 緊張の連続でうまく声が出なかったが、何とか答えることができた。ゼットは軽く肩をすくめた。


「お前も魔術師か。じゃあちょうどいいや、俺のことも捕縛してくれ」

 戸惑っていると、「おら」と言いながら両手首を合わせて前に差し出してきた。

「もうどうでもいいや。人質のガキにも逃げられたし……そもそも今回の話に乗ったのが失敗だったよなぁ」

 ぼやくようなその言葉は多分、嘘ではないのだろう。裏もなさそうだ。だが、セイアは彼の言う通りにはできなかった。

「……それはできない。俺は警官じゃないし、魔術師は、基本的に無抵抗な人に対しては攻撃系の能力を使ってはいけないことになってる。捕縛も、一応それに入るから」

「はあ?」


 ゼットはなおも何か言いたそうにセイアに向かって距離を詰めたが、その時、二人の後ろから、疲れ切ったような声がかかった。


「その通りよ。さすが優等生」


 その声を聞いて、全身から力が抜けるような心地だった。オネエ言葉が、すでに懐かしくすら感じる。遅い、と言いたかったが、ケネイアにしてみたらこれでもできる限り早く到着したのだろう。

「ごめんなさい、遅くなって。こっちはアタシたちに任せて、あんたは早くあの子たちのところへ行ってあげて。……ホントに今回、あんたたちが来てくれて良かった」

 ありがと、と小さく呟くと、セイアに背を向けて、ケネイアはゼットの手首に縄を巻き付けた。


     * * *

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