その7
そのまま三人で警察署へ向かったのだが、到着する十分程度の間にセイアとアリアは軽く言い合いになった。原因は、アリアの「一人でも大丈夫だから、おまえは帰れ」の一言だ。
「なんで一人でもいいとか言うんだよ?」
「いや、別におまえまで来る必要ないじゃん。だって、この辺りのこととか分かんないだろ」
「俺が大学落ちたから、気を使ってるんだろ。余計なお世話だよ」
「別に気を使ってなんか……ただ、他人のこと構ってる場合でもないのかなって……」
間に入っている警官がハラハラした顔になっているのを見て、セイアは何とか口をつぐんだ。わざわざ自分で傷口を広げてしまっている気がして、反省する。これではただの八つ当たりだ。気が立ってつい乱暴な口を利いたが、別にアリアは悪くない。
「……ごめん、でも何か違うことしてた方が気がまぎれるから。それに、俺だってヒメアのことは心配だよ」
拙いが、正直な気持ちだった。アリアが「そっか、そうだよな」と呟くと、隣で警官が大きなため息をついた。
「あのね、なんか状況は分かったけど、頼むからケンカしないで。アタシもまだこっちの署に移って日が浅いし、肩身が狭―い立場なのよ、分かる?」
そんなことを言っている間に、警察署へ到着した。三人で駆け込むように中に入ると、周囲から驚いたような視線が飛んでくる。
「すみません、緊急案件です!誘拐事件が発生しました、至急捜索に当たります」
一緒にいた警官が声を張ると、奥から年かさの警官が出てきて、セイアとアリアのことを胡散臭そうに見た。腕章のデザインが違う気がするが、階級などは正直分からない。だが多分、このオネエ言葉の警官よりはずっと上のはずだ。
「誘拐事件?この忙しいのに……こちらの方たちは?」
「……一般市民の方で、魔術師です。今回、誘拐された女児と面識があるとのことで、協力をお願いし、快く受けていただいた次第です」
微妙に違うが、この際それでいいだろう。年かさの警官はなおも二人をじろじろ見ていたが、使えるものは使った方がいいと判断したらしい。
「そうですか。一般の方のご協力、心より感謝いたします。どうぞあちらへ」
そう言って、入口近くの大きな部屋に通された。会議室といったところだろうか。そして、案内が終わるとそそくさと去っていった。
「何これ、俺たちに任される感じ?ほかの人たちは?」
丸投げされる雰囲気を感じ、セイアが慌ててオネエ警官に尋ねると、彼は肩をすくめて口を歪めてみせた。
「今、みんな大忙しなのよ。ほとんど出払ってるの。昨日殺人事件があったの、知ってる?隣町だけど、応援要請があって」
「殺人事件?」
聞き返した後、あっと思い当たった。今朝、図書館で目を通した新聞に大きく載っていた。若い女性の他殺体が見つかったとのことで、物騒だなあ、と思った記憶がある。
「そんな忙しいときに、なんであんたは俺のことなんか探してるんだよ」
アリアが軽く睨むと、彼はむっとしたように睨み返してきた。
「別にアタシだって暇なわけじゃないわよ。あんたを探してたのは、休憩時間とか隙間時間を利用して」
そこまで言って、しまった、という顔になった。アリアはしげしげと彼の顔を見た。
「え、職務時間外ってこと?なんでそこまでして俺のこと探してんの。変態?」
「いや、ひどくない?アタシはただのオカマさん。さあーそんなことよりお仕事お仕事」
腑に落ちないところはあったが、これ以上は何も話さないだろう。セイアはアリアと目を合わせ、頷き合った。確かに今はヒメアが優先だ。
「お巡り、地図とかある?」
「今持ってくるわよ。それとその『お巡り』やめて。ケネイアって呼んで」
オネエ警官改めケネイアは、心得たように素早くシャキの町の地図を用意し、会議室の大きなテーブルの上に広げた。
「二人で、場所の確認とかしておいて。アタシは、何か情報がないか軽く聞いてくる」
ケネイアが部屋から出ていくと、アリアはざっと地図を見渡して、土地勘のないセイアにも分かるように簡単に場所を示した。
「今いる警察署がここ。ヒメアがさらわれたのがここで、これが『アルテミス』のある通り」
そこまで言って、軽く息をついた。
「おまえ、オートモービルって乗ったことある?」
「俺も乗ったことはないけど、あれは結構きれいに整備された道じゃないと走れないよな。この辺りの道だと、まだあんまり……ヒメアがさらわれた地点から、どこを通って逃げたのか……」
二人が地図に頭を寄せ合って考えていると、ばたばたと慌ただしい足音が響き、ケネイアともう一人の警官が駆け込んできた。
「聞いて、有力情報よ!」
何事かと顔を上げると、ケネイアが連れてきた若い警官―――警察に入って間もないのだろう、いかにも血気盛んという感じ―――が、挨拶もそこそこに勢い込んで話し始めた。
「つい一週間ほど前、管内で誘拐未遂事件がありました。誘拐された魔術師の男児が、自力で逃亡に成功したため未遂となったケースです。やはり黒いオートモービルに乗せられて……この男児は『オートモービルに乗せてあげる』と声を掛けられて、自分から乗り込んでしまったらしいですね」
隣ではケネイアが「分かるわー。アタシも声を掛けられたら乗っちゃうわ」と言いながらしきりに頷いている。子どものオカマさんだ。
「その男児からの情報ですが。何しろ幼い子なので、誘拐された時のことはあまりはっきりしないらしいです。ただ、一時的に倉庫みたいなところに入れられて、しばらくそこにいるように言われた、と。……外から、かなり大きく波の音が聞こえたので、すでに暗くなってはいたけれど、海のすぐそばだな、と思ったそうです」
「海……」
会議室の面々は、目の前に広げられた地図の西に大きく広がる暗い部分を見つめた。この町の西側は、海に面している。海岸はごつごつした岩場になっていて、あまり海水浴には適さない。夏も過ぎた今となっては、完全に地元の人間のテリトリーだ。
「よそ者がうろうろしてると目立ちそうだけど……そもそもあんまり人がいないからな」
アリアは呟き、真剣な眼差しで地図上の海岸線をなぞった。しばらく何か考えていたが、「何か印付けられるもの貸して」と言い、ケネイアから借りた鉛筆を手にして、地図に三か所バツ印を付けた。
「ここで、だいたい合ってると思う。海に近いところにある、空き家」
「なるほど。で、どこがあやしいと思う?三か所なら順番に当たってく?」
ケネイアの言葉に、腕組みをして考え込んだ。
「最悪、そうなるけど。でもさっきの話だと、一度誘拐に失敗してるんだろ。焦って早めに行動に移すかも。あんまり時間をかけたくない」
「そうねー……ここから一番近いのは、ここだけど……」
ケネイアが一か所のバツ印を指差したが、アリアは少し悩んだ末、それとは別のバツ印を指差した。
「賭けだけど。でもここは、海産物とかを扱ってた名残で、半分屋外みたいな大きい倉庫がある。ここまでの道も、そう悪くない。だから……オートモービルを、隠せると思う」
ケネイアは、ハッとしたように顔を上げた。
「確かに。中央国ならまだしも、この辺りではまだまだ珍しいものね。あんなのが野ざらしで置いてあったら、すぐに居場所がバレるわ」
「うん。俺、ここの近くには何度か行ったことがあるから、ワープで一気に行ける」
セイアは思わず目を見開いてアリアの顔を見た。セイアもワープは使えるが『何度か行った』程度の場所にそうやすやすと跳べる自信はない。一応、理論上は『一度でも行ったことがある場所ならワープは可能』と言われている。でもそんなの、よほど自分の能力を信じられる人しか使えないだろう。実は、魔法を使った事故の中で一番死亡率が高いのはワープだ。
戸惑うセイアのことは気にも留めず、アリアは警官たち相手に話を進め始めた。
「じゃあ、まずはこの、大きい倉庫がある空き家。ここがハズレだったら、次にケネイアが差したところ、最後にここ。俺たちがさきにワープで移動するから、警察組は後から、できるだけ早く追ってきて」
「オッケー。あんたたち、何か必要なものとかある?」
「俺たちは捕縛魔法が使えるから、特にないかな。手錠とか縄とか殴るものとか、そういうのはそっちが合流するときに持ってくればいいんじゃない」
セイアが固まっている間に、どんどん作戦が組み立てられていく。雑というか、非常に大雑把な作戦だ。
「ちょっと待って。ワープって、俺も?でも、行ったことがない場所にはワープできないよ」
ここでやっと、口を挟むことができた。一度も行ったことがない場所にワープするのは不可能、これは真理だ。だが、魔術師なら誰でも知っているであろうこの真理に対し、アリアは不思議そうに首を傾げた。
「何言ってんの、おまえも行くよ?二人乗りで」
今度こそ、絶句した。『二人乗り』は、ワープの時にもう一人連れていく方法だ。ちゃんとした言い方があるのかも知れないが、魔術師仲間ではこの俗語を使うことが多い。ただ、二人乗りは一人で跳ぶより危険度が増す印象がある。
「いやなら、一人で行くけどさ。でも、二人乗りはそんなに危なくないよ。成功率はかなり高い。っていうか、百パーセント近い。ただ、三人になると一気に成功率が下がっちゃうから、ケネイアは連れていけないけど」
「……分かった。そもそも、行くって言ったのは俺だしな。ついていくよ、二人乗りで」
半ばやけくそで、そう答えた。ここまで言われて、行かない選択肢はないだろう。
じゃあ、と言いかけたアリアに向かい、ケネイアが慌てて「待った」と声を掛けた。
「――――シン、この件が片付いたら、あんたには別件で話があるわ。そのつもりでいて」
アリアはケネイアを見て表情を引き締め、
「分かった」
と短く頷いた。
次の瞬間、彼女はセイアに向かって一歩踏み出すと、大きく両手を伸ばし、思い切り強く抱きしめた。セイアの目の前に、鮮やかな緑の光が広がる。意識を失う寸前のような、空間の歪む感覚があった。そのまま、別の空間へと引きずり込まれていった。
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