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その2

 青い鋼の板に、銀色の三日月。『アルテミス』の看板だ。重厚なドアの上にかけられたその看板を見上げ、セイアはホッと息をついた。二カ月前に一度行ったきりなので、ちゃんとたどり着けるか不安だったのだ。

(シルヴィアさん、いないのかな)

 ドアに付いたガラス窓から、中を覗き込んだ。カウンターの内側で、セイアと同じ年頃の少年が一人、洗い物をしているのが見える。居酒屋はシルヴィア一人で切り盛りしているという話だった気がするが、アルバイトでも雇ったのかもしれない。

 セイアは割と人見知りをする方だし、コミュニケーション能力もそれほど高くない。何となく店内に入りかねて、ドアの前を行ったり来たりしていると、ふいにそのドアが音を立てて内側から開いた。

「何やってんの、おまえ。用があるなら、とっとと入って来いよ」

 顔をのぞかせたのは、先ほど窓から見えた、洗い物をしていた少年だった。セイアはその姿を見て、思わず目を見開いた。軽く息を飲んだのは、決して大げさではない。それくらい、並外れた美貌の持ち主だった。

 少しきつめの大きな黒い瞳、抜けるような白い肌。銀色の髪は全体的に短めに整えられているが、前髪だけは長く、それがさらりと目元に落ちる影が妙に大人っぽい。

 返事もできずに見とれていると、少年は少し首を傾げた。

「ひょっとして、さっき姉貴と電話で話してた、リスト大の受験生?」

「あ、そうです!え……っと、シルヴィアさんの、弟さんですか?」

 セイアは慌てて、少年に向かい合った。『姉貴』という言葉が引っかかって、思わず口から出た質問だったが、それを聞いた少年はなぜか満足そうにうなずいた。

「そう、弟。あんまり似てないから、パッと見ただけじゃ分かんないだろ」

「はぁ……」

 セイアはあいまいに言葉を濁した。確かに、シルヴィアもこの少年と同じような銀色の髪をしているが、顔立ちはあまり似ていない。「似てない姉弟」と言われてしまえば納得するしかないが、それにしても……シルヴィアに弟がいるとは聞いていない。

 目の前の少年の耳は、尖っていた。これは、魔力を持つ者の特徴だ。オズの国で魔術師の割合はおよそ百人から百五十人に一人と言われており、そこそこ珍しいと言えるだろう。

セイアの耳も、少年のものよりは目立たないが、尖っている。さらに、シルヴィアに自己紹介をする際に、自分が魔術師であることを話してもいる。

(だったら普通、話すんじゃないか。自分の弟も、魔術師だって)

 ちなみに、魔力の保有については、必ずしも親から子へ遺伝するというものでもない。よって、シルヴィアが魔術師でないことは、この場合あまり判断材料にならない。

 だが、この辺りでセイアは一度考えるのをやめた。魔術師は、一般の人が想像するよりも、家庭に複雑な事情を抱えていることが多い。真偽については、あとでシルヴィアに確認すればいいことだ。

「そうですか。初めまして、セイア・バトルといいます。シルヴィアさんには、下宿先を紹介していただくなど、いろいろお世話になりまして。ところであなたのお名前は」

 明らかに慣れていない様子で紋切り型の自己紹介を始めたセイアに対し、少年は、はっきりそれと分かる苦笑を浮かべた。

「シン。シン・ステイル。あのさ、おまえ一応、俺より年上だろ?俺、十四だぞ」

「じゅうよん⁉」

 思わず頓狂な声を上げて、シンと名乗る目の前の少年をまじまじと眺めてしまった。身長は確かにセイアよりも少しだけ低いが、まとう雰囲気が大人びていて、少なくとも同い年、何なら少し年上かと思っていた。とても十四歳には見えない。

 そんなセイアの驚きを適当に受け流し、シンは大きくドアを開けてセイアを店内へと招き入れた。

「どーぞ。姉貴はさっきケガしちゃって、二階にいる。客が来る予定だから、俺は外を見張ってるように言われて」

「えっ、ケガ?」

「うん、包丁を洗ってて、こう、手のひらをスパッと。あの人さぁ、意外とドジだよね」

 シンはそう言いながら、先に立って店の奥へと進み、突き当りの階段を上り始めた。この建物は店舗と住宅を兼ねた造りになっていて、二階部分が居住スペースになっている。セイアも、階段から上へ行くのは初めてだ。上がっていいのかどうかも分からないのだが、シンが全く構わない様子でどんどん進んでいくし、ケガをしているというのも気になるので、ここは付いていくことにした。

「姉貴―、来たぞ、客。セイアってヤツ」

 シンは声をかけながら、躊躇なく寝室へ入っていった。その後から、セイアもそろそろと部屋の中へ足を踏み入れた。

「すみません、シルヴィアさん。ケガしてるって聞いたので。大丈夫ですか?」

 寝室には、簡素な造りのベッドが二台並び、その隣に小さなドレッサーが置かれている。シルヴィアはドレッサーのスツールに腰かけて右手に包帯を巻こうと四苦八苦していたが、セイアの声に長い銀色の髪を揺らして振り返った。そして、その痛々しい姿に似つかわしくないほどの明るい笑顔をみせた。瞳の色はペリドット、目鼻立ちも雰囲気も、やはりシンとはまるで似ていない。クールなシンとは違い、シルヴィアは周囲に光が差すような華やかな美人だ。

「あー、ごめんね、セイア。私が呼んだのに、ドジっちゃって」

 シンはその手元を覗き込んで、軽く顔をしかめた。

「まだちゃんと血が止まってないじゃん。なんで飲食店の店主が、こんなケガするんだよ」

「……仕方ないでしょっ。サルも木から落ちるとか言うでしょ、器用で有能な店主がケガすることだって、そりゃあるわよ!」

「なるほど、姉貴はサルってことか」「なんですって⁉」

 セイアもシルヴィアの手を見た。右手の巻きかけの包帯には、結構な量の血がにじんでいる。思ったより傷は深そうだ。……これは、もしかすると自分の出番かもしれない。

「あの、シルヴィアさん。俺、ケガ、治しましょうか」

「え?」

 思い切って申し出ると、シルヴィアとシンはそろって不思議そうな声を上げた。こういうところは少し似ているかも。

 セイアは、「失礼します」とシルヴィアの右手を取って、丁寧に包帯を外した。手のひらには、斜めの線が一直線に走り、その傷からはまだ新しい赤い血がうっすらとしみ出してきている。

 一度大きく息を吐いてから、しっかりと集中して自分の右の手のひらに力を込めた。それを、シルヴィアの傷にかざす。……セイアの手のひらから、柔らかな青い光があふれだす。

「おぉ、すっげぇ」

 隣で食い入るように見ていたシンが、小さな声を上げた。少しずつ少しずつ、光が傷を癒していく。いつものことながらこの時間はとても長く感じるが、実際はおよそ数分程度だろう。完全に傷がふさがったことを確認して、セイアは手のひらの中に光を収めた。

「多分これで大丈夫です。念のため、今日一日は、あまり重いものとかは持たないでください。完全に元通りとはいかないので」

 セイアが声を掛けると、シルヴィアは我に返ったように慌てて自分の手を確認した。そして、さっきまであったはずの傷が跡形もなく消えているのを見て、感嘆のため息をもらした。

「驚いた……セイア、魔術師だって聞いてたけど、こんな能力があったのね。治癒能力っていうの?すごいわねぇ」

「いえ、そんな。軽いケガとかしか治したことないし、大したことないです」

 そう答えたのは、謙遜ではなく、心からの本心だった。正直、自分でもどの程度のことができるのか、まるで把握できていないというのが実情だ。オズの病院でも、医師と治癒能力のある魔術師とが連携して治療に当たっているところは多いが、そこまで名をはせるような名医というものは存在していない。それが、この能力の限界を物語っているように感じる。

「いや、でもさ、治癒能力者自体がすごく珍しいじゃん。俺も、初めて見た」

「そうよ、軽いケガっていうけど、こんなのがすぐに治せるってすごいわよ」

 シンとシルヴィアは、口々にすごいすごいと言いながら、傷がふさがったばかりの手をまじまじと見つめた。シルヴィアの手や腕には、確かに傷が存在していたことを示すように、乾きかけの血がそこかしこにこびりついている。シンはそれを見て、ふと気づいたように、

「拭いた方がいいな。タオル持ってくる」

 そう言って、寝室を出て行った。

 寝室にはセイアとシルヴィアが残された。シルヴィアは改めてセイアに向かい合うと、にっこりとほほ笑みかけた。

「ありがとう、セイア。そしてお久しぶり。試験はどうだった?」

 一瞬忘れていた現実を一気に思い出し、セイアは思わず引きつった笑顔を返した。できればもう少し、忘れていたかった。

「お久しぶりです、シルヴィアさん。試験は、まぁ……結果が出るまでは、考えてもしかたないことなので」

 言ってからちょっと情けなくなった。正直に「あまりできませんでした」と言えない自分の器の小ささを感じる。それでも、何となくニュアンスは伝わったようで、シルヴィアは少し困ったように首を傾げた。

「まあ、それもそうね。とにかくお疲れ様。合格発表まで気が気じゃないでしょうけど、少しのんびりするといいわ」

 ふと、セイアはシルヴィアの態度に小さな違和感を覚えた。彼女らしく、明るく振舞ってはいるけれど、どこか疲れて、元気がないように見える。少し痩せただろうか。

 何かありましたか、と聞こうとしたときに、シンが濡らしたタオルを持って部屋に入ってきた。長袖の上着とシャツを肘の辺りまでまくり上げている。セイアは何気なくその姿に目をやり、思わず一瞬凝視したあと、できるだけ自然に見えるように目を逸らした。

 ……服で覆われている時はそれほど気にならなかったが、シンの両腕は驚くほど細かった。普通に華奢とかいうレベルではない、病的な細さだ。そしてそれ以上に……

 左腕、手首辺りに数本走る、細い線と太い線。

「ありがと」

 シルヴィアはタオルを受け取り、手のひらをごしごしと拭いた。シンは、先ほどの一瞬のセイアの視線に気づいたのだろうか、さりげない風を装いながら腕まくりしていた袖をもとに戻した。そしてセイアは、うまく思考をまとめられないままに虚空を見つめ、さっき見たものについて考えていた。嫌な音で心臓が鳴っている。

(あれは、見なかったことにした方が、いいんだよな)

 心の中でそう結論付けた、ちょうどその時。

 店舗の入り口を誰かが開ける音がした。この辺りの地域は特に治安がいい訳ではないのだが、住民が呑気なので、あまり昼間から鍵をかける習慣がない。

「こんにちはー、警察の者ですが。どなたかいらっしゃいますか―」

 大きな声がする。店の入り口に立って呼んでいるらしい。シルヴィアはハッと顔を強張らせて背筋を伸ばした。シンも、心なしか緊張した面持ちで階段の方を見ている。

「警察?何かあったんですか?」

 戸惑いながらセイアが尋ねると、「ちょっとね」とシルヴィアは言葉を濁し、ベッドから立ち上がった。そして、

「二人はここにいて。降りてこないでね」

 そう言い置いて、階下へ降りて行ってしまった。

 気にはなるものの、セイアとしては言われたとおり寝室で待機しているつもりだったのだが、彼女が部屋を出て階段を降りる音が聞こえなくなると、当たり前のようにシンが部屋から出ていこうとした。セイアは慌てて、シンの行く手をふさぐように前に立った。

「ちょ、ちょっと。部屋で待ってるように言われただろ」

「うるさいな、こっそりなんの話か聞くだけだよ。おまえは残ってればいいだろ」

 不機嫌そうな小声でそう言うと、制止を振り切って階段の方へ向かった。セイアは迷ったものの、好奇心に負けて、シンの後を追うように階下へと足を向けた。二人とも、できるだけ足音をさせないように、抜き足差し足で階段を降りる。

 階段を数段残して立ち止まった二人の耳に、警官とシルヴィアが話す声が聞こえてきた。

「……じゃあ、心当たりはないということですね。噂レベルでも、聞いたことはないですか?アリア・コーダという名前なのですが」

「ごめんなさい、ちょっと分からないわ。アリアっていう名前なら、女の子よね?」

「一応、十四歳の少女ということですが、見た目は少年にしか見えないらしいですよ。聞いたところによると、このお店にも同じ年頃の少年が出入りしているそうですね。今、いらっしゃいますか?」

「あー、シンのことなら、私の弟よ。残念だけど、今はいないわ……そのアリアっていう女の子の、交友関係を調べてるの?」

 思わず、シンの顔を見てしまった。シンは、セイアの一つ下の段に立って、身じろぎもせずに二人の会話に耳をそばだてている。なぜ、シルヴィアは嘘をつくのだろう……シンは、ここにいるのに。

 ふと、シンはセイアの方を振り返った。何かを伝えようとしたのかも知れないが、不意に立ち眩みを起こしたようにぐらりとバランスを崩し、大きくよろめいた。

(危ないっ!)

 セイアは反射的に右手で階段の手すりを掴み、左腕を伸ばして、彼の体を支えた。背後から、左手で胸の辺りを抱え込むような形になった。シンはかなり痩せている。当然、骨の感触しかないだろうと思っていたのだが、なぜか左手にふわりと柔らかな弾力を感じた。

 これは、あれだ。胸の、ふくらみ。女の子の。

(女の子……?)

 驚きのあまり、ガタっと音を立てて、一段踏み外してしまった。慌てて体制を立て直したが、音を立てた瞬間、話していた二人の声がぴたりと止んだ。まずい。セイアとシンは、強張った顔を見合わせて、可能な限りの静寂を維持できるよう努めた。

「……ネズミかしら。やだわ、最近たまに出るのよねー」

「そうですか。ずいぶん大きなネズミが出るようですね」

 シルヴィアのいかにものほほんとした発言にかぶせるようにして、警官の低い声が聞こえた。全身に冷や汗がにじむのが分かる。今にも階段の方へ向かってくるのではないかと思ったが、予想に反して、

「では、お忙しいところお時間を割いていただきありがとうございました。ご協力感謝いたします。何か思い出したことなどございましたら、お知らせください」

 そんな風にあっさりと締めくくって、警官は店を出て行った。ドアを開閉する音が響く。一拍おいて、シルヴィアの声が聞こえた。

「もういいよー」

 階段途中の二人は脱力して、その場にしゃがみこんだ。シンは、疲れ切ったようにがっくりとうなだれている。こうなってみると、確かに少年めいた女の子に見えなくもない。そして、さっきの警官の話を考慮に入れて総合的に判断すると、本名はきっと「シン」ではない。

「………アリア・コーダ?」

 小さく声をかけると、はあーっと諦めたようなため息をついた。おそらく、それが答えだ。

「最っ悪」


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