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その12

 セイアが北国に戻ってきて、二週間ほど過ぎた。思っていたよりもこちらは寒く、体調を崩しそうになったが何とか持ち直した。厚めの外套に袖を通しながら、外出の支度を整える。

「じゃ、行ってきます」

 玄関に向かいながら、居間にいる叔母に声を掛けると、「お待ちなさい」と呼び止められた。出てきた叔母は、なぜか怪訝そうな顔をしている。

「こんな時間から、どこへ出かけるの?もう夕食になりますよ」

 それを聞いて、セイアの方が少し怪訝そうな顔になった。

「どこって、ルイスとメシだけど。言ってなかったっけ?」

「……ルイス君との約束は、明日だと聞いていたけれど。今日は水曜日よ?」

「え、うそ。木曜日じゃなかった?」

 慌てて玄関前のカレンダーを覗き込むセイアをしげしげと眺め、叔母は何やら意味ありげなため息をついた。そして、

「セイア、ちょっといらっしゃい」

 そう言って、居間の方へ向かった。

「えー……何?」

「いいから。すぐに、済みます」

 こういう時の叔母に逆らっても、何もいいことはない。今までの経験からそれがよく分かっているセイアは、おとなしく叔母の後に付いて居間に入り、勧められるままに叔母の目の前のソファーに座った。

「……あなた、そんなにリスト大学落ちたことがショックだったの?」

 席に着いたとたんにそう言われ、セイアは首を傾げた。それは、もちろん不合格はショックには違いないが、『そんなに』の意味が分からない。

 セイアの叔母は、この町の学校で長いこと教師をしている。背筋をまっすぐに伸ばし、白いものの混じった髪をひっつめて団子状にまとめ、化粧っ気のない顔に微笑みはあまり浮かばない。『厳しい先生』として周囲には知られているが、これで案外、分かりにくい冗談を言ったりもする。だが、今の彼女は真面目そのもののように見えた。

「まあ、ショックはショックだけど。でも、無理かもなって思ってたし」

 何を意図しているのか分からないまま、できるだけあっけらかんとそう答えると、叔母はさらに難しい顔つきになった。

「じゃあ、どうしてこんなにぼんやりしているの。あなたがこちらに戻ってきてからニ週間以上経つけれど、自分がどれほどうわの空で過ごしているか、分かっている?試験結果のせいではないのだとしたら、西国に好きな子でもできたの?」

 予想外の方向からの攻撃に、セイアは思わず目を泳がせた。すると叔母は一瞬だけ軽く目を見開き、その後すぐに深く長いため息をついた。

「なるほど、そういうこと。あなたは本当に、分かりやすいわね」

「い、いや、ちょっと待って」

「待ちません。これは黙っていてあげようかとも思ったけれど、タバコの本数も増えているわよね?あなたは、吸っていることすら私が気が付いていないと思っているようだけれど。あまり私を、甘く見ない方がいいですよ」

「…………」

 ぐうの音も出ない、とはこのことだ。肩をすくめ、叔母の次の言葉を待った。お説教なのかと思ったが、どうも勝手が違う。

 叔母は少し考えるように指を組み、やがてゆっくりと口を開いた。

「あのね、セイア。今回は確かに残念な結果だったかも知れないけど、これで諦めてしまって本当にいいの?あなた、ここを出たがっていたでしょう」

 静かに諭すように言われ、答えに窮した。確かにそうだが、あまり態度には出ないようにしていたつもりだ。黙っていると、叔母は更に言葉を重ねてきた。

「あなたにとってここが……この町が、居心地のいい場所ではないことは分かっています。あなたの物心がついた辺りで、私も一緒に新天地を目指してあげられれば良かったのだと思うけれど……私が教職にしがみついていたばかりに、辛い思いをさせて」

「いやそうじゃないよ。母さんが先生をしてくれたから、今まで何不自由なく生活ができたわけで」

「そうね、何不自由なくかどうかはともかく、とりあえず今まで何とか生きてこられて、そしてそれなりに蓄えもあるわ。一年くらい、若者が西国で一人暮らしをしても充分な」

 セイアは思いもかけない言葉に唖然とし、慌てて叔母を遮った。

「あのさ、もともと今回限りっていう条件で受験させてもらってるんだからさ。そんな負担はかけられないよ」

「その今回限りという条件は、あなたが勝手に言っていただけでしょう。私はあなたに、もっと好きに生きて欲しいの。……だいたいその調子だと、好きな子にも何も言えずにすごすご帰ってきたんでしょう。当たって砕けるくらいのガッツがなくてどうするの。あと一年猶予を上げるから、大学も合格して、ついでに彼女もモノにしていらっしゃい」

 怒涛の発破をかけられ、中途半端に口を開いて固まった。本気で言っているのだろうか。でも確かに、今回限りというのはセイアから出した条件だった。できるだけ負担にならないよう、これがダメなら諦めるつもりだったが、叔母は違うことを考えていたのだろうか。

 それに答えるように、叔母はぎこちなく笑顔を浮かべてセイアを見た。

「私はね、嬉しかったのよ。セイアがリスト大学を受験したいと言ってくれたこと。自分のやりたいことを、はっきりと口に出してくれたこと。ああこれでやっと、縛られていたこの子を自由にしてあげられる、って思ったの。あなたには、分からないかもしれないけれど」

 それは決して無理をしているようではなく、叔母の素直な気持ちであるように聞こえた。

「……少し、考えてもいい?」

「もちろん。しっかり考えなさい、あなたの人生なのだから」

 その時、タイミングよく玄関先の電話が鳴った。慌てて叔母が「誰かしら」と言いながら立ち上がり、ぱたぱたと居間を出て行った。ちなみにセイアの家の電話は、つい数か月ほど前に引いたばかりである。あまり番号を知ってる人もいないのだが、珍しいこともあるものだ。

 聞くともなしに玄関先へ耳を傾けると、意外にというか、華やいだよそいきの声で叔母が受け答えしているのが聞こえる。

「ああ、届きましたか。いえいえ、つまらないものでお恥ずかしい。……そうですか、それはそれは。はい、居りますよ。……ええもちろん、少しお待ちになって」

 ん?と思っていると、叔母が居間に戻ってきた。セイアを手招きして、

「セイア、電話よ。西国の、シルヴィアさんから」

「――――えぇ⁉」

 その名前に、耳を疑うほど驚いた。慌ててソファから立ち上がる。

「なんでシルヴィアさんが?そもそも、なんでうちの番号知ってんの?」

「私が教えたんですよ。セイアがお世話になったと言うから心ばかりのお礼の品を送って、そこに付けたお礼状に電話番号も添えて」

 そんなことより早く電話に出なさい、長距離だとお金がかかるのよ、と急かされて、何が何だかよく分からないままに受話器を握った。

「あ、あの、セイアです」

『あー、セイア、久しぶり!どう、元気でやってる?』

 受話器越しに聞く明るい彼女の声は、時が戻ったかのように、西国でのあれこれを思い出させた。実際はそこまで時間が経っている訳ではないのだが、なんだかすでに懐かしい。

『セイアの叔母さま、すごく上品できちんとした方ねぇ。ちょっと緊張しちゃった』

「あれは外面なんで、家ではそうでもないですよ。……お久しぶりです、シルヴィアさん。少し元気になりました?」

『分かる?お陰様でねー……あーはいはい、分かったわよもう、ちょっとくらい待てないの』

 電話口で、シルヴィアが笑いながら誰かとやり取りする声が聞こえ、セイアはドキリと心臓を鳴らして硬直した。これは、もしかして。

『あのね、今回どうしてもセイアの家に電話を掛けたかったのは、実は私じゃなくてね。……分かったってば、代わればいいんでしょ。はいじゃあごゆっくりー』

 電話の相手が代わるらしい。知らず知らず、強く受話器を握り締めた。ややあって、小さな、少しだけ拗ねたような声が耳に届いた。

『……おまえ、なんで何も言わずに帰っちゃうんだよ』

「アリア、」

 思わず名前を呼び、とっさにそれ以上言葉が出なかった。玄関の扉に付いた窓の向こうに、小さく月が見える。見るともなくそれを見ていると、受話器の向こうでアリアが続けた。

『ケネイアも文句言ってたぞ。もう一言くらい何かあっても良かったんじゃないのーって』

 それを聞き、少し笑って、緊張が解けた。その流れで、聞きたかったことを聞いてみる。

「ごめん。そういえば、警察の方は大丈夫だった?」

『うん。お陰様で……っていうのも変だけど、ケネイアが頑張ってくれて、すごく短い拘留で出してもらえた。あとは、何かあった時には今回みたいに協力して欲しい、って言われてさ。みんなすごく気を使ってくれて、あんまり怒られないし、ちょっと申し訳ないくらいだった』

「……そっか。それならまあ、安心した」

 安心した気持ちになれたのは、アリアの声が思ったより元気そうだったからかも知れない。ちゃんと食事を取っているか尋ねようとすると、不意にアリアが『ちょっと待って』と言って、受話器を遠ざけ、何やらバツの悪そうな小声でひそひそと話す声が聞こえた。

『……あのさシルヴァ、ちょっと向こう行っててくれない?』

 シルヴィアの『えー、ケチ』という不満そうな声が遠ざかっていくのも聞こえる。そりゃ、そんなすぐそばで聞かれてたら気まずいよ、と思いながらセイアが振り返ると、居間の方からこっそりと、だが興味津々という顔で覗いている叔母と目が合った。こっちもか。

 慌てて、叔母に向かって、犬にでもするようにシッシッと大きく手を振って追い払ってしまった。しぶしぶと言う様子で叔母の姿が視界から消えたタイミングで、アリアの声が再び聞こえた。受話器を通した彼女の声は、不思議と柔らかく響いた。

『変な感じだな、こんなに離れてるのに、すぐそばで声が聞こえて。魔法みたいだ』

「……確かに。科学ってすごいよな」

『うん……でもさ。こうやって、声が聞けるのもいいけど……セイア、』

 その後、しばらく沈黙が続いた。あまりに長い間、彼女が何も話さないので、電話が切れてしまったかと思った。焦って、少しの音でも拾おうと受話器をしっかりと押し付けたセイアの耳に、やっと一言、声が届いた。

『……………………………………会いたい』

 うっかり、泣きそうになった。アリアがすごく頑張ってこの言葉を言ってくれたことが、分かり過ぎるくらいに分かった。たった二日間だったのに。あの二日間を、なかったことには、してくれないのか。

 違う、逆か。……なかったことに、しなくてもいいのか。

 握り締めた、アリアの冷たい手を思い出していた。冷たい手を、二人で握って、温めて。隣りで笑い合う未来を、諦めなくてもいいのだろうか。

「……うん。俺も、会いたい」

 自分で思ったより、素直な声が出た。

「必ず、会いにいくから。待ってて」

 いつの間にか伏せていた顔をゆっくりと上げると、玄関扉の窓から、さっきと同じように月が見えた。だが、なぜかそれはさっきよりも大きく、光が強く、鮮明に目に映った。今夜の月は、満月に近い。

「あー……月が見える」

 思わず声に出すと、『月?』とアリアが聞き返してきた。

「うん、そっちも見える?今日って満月かな、すごくきれい」

 何気ない感じで答えると、アリアが軽く息を呑むのが分かった。何か、変なことを言っただろうか。しばらく、迷うような沈黙があったあと、声が聞こえた。

「……ん。こっちからも、見えるよ。きれいな月」

 おやすみ、と言い合って電話が切れてからも、なぜかそのほんの少しだけ甘い声が耳に残って離れなかった。


            *          *          *


 本当はあの時、西国の空は曇っていて、月なんか全然見えなかったと聞いたのは、だいぶあとになってからだ。

 じゃあなんであんなことを言ったのか、不思議に思って聞いてみたけれど、彼女ははぐらかすように笑うだけで、何も答えてはくれなかった。


                              End

 ここまで読んでいただき、ありがとうございます。『月がきれい』、いかがだったでしょうか。

お話はまだまだ続きます。気になるセイアの過去については、次作で明かされる予定です。

引き続きよろしくお願いいたします。

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