その10
その後、しばらくしてヒメアの母親と運転ができる警官を乗せた馬車が到着した。
ヒメアの母親は、ケネイアたちとセイア、アリアに何度も頭を下げ、
「おねーさん、おにーさん、またね!今度ヒメアのお家に遊びに来てね、約束よ!」
と、放っておくといつまでも手を振っていそうなヒメアを何とか一緒に馬車に乗せて帰っていった。ついでに若い警官も同じ馬車に乗っていった。
運転手としてやってきたのは、警察署で会った年配の警官だった。
「これからは、警察もこういう自動車みたいなものが必要だな。何かあるたびに馬車を呼ぶのも面倒でかなわん」
彼はそんなまっとうなことを言いながら、犯行グループ全員を乗せて警察署へ戻っていった。残されたのはセイアとアリア、ケネイアの三人のみ。今までが少し過剰なほどにぎやかだったので、海風が吹きすさぶ暗くて寂しい荒れ地に取り残され、心細さを感じる。
「……さっきアタシたちが乗ってきた馬車が、ここの近くに控えてるわ。ワープを使わなくても帰りの足はあるから、心配しないで」
倉庫の中で、ケネイアはそう言うと、改めてアリアに向き直った。
「さて、遅くなったけど、アタシはここからが本題よ。正直あまり気は進まないけど、仕方ないわね」
この時点では、むしろアリアよりもケネイアの方が緊張しているように見えた。彼は上着の内ポケットから、薄い封筒のようなものを取り出した。……そして、そこに描かれた宛名を見たとたん、アリアの顔色が一気に変わった。
「ちょ、ちょっと待って。まだ渡せないわ、話を聞いてからにして」
「なんでだよ。おれのだろ、それ」
「だから、お願いだから話を聞いて。段階を踏みたいのよ、アタシとしては」
強い口調でケネイアに言われ、アリアはしぶしぶといった様子で伸ばした手を引いた。だが、目は食い入るように封筒を見つめたままだった。
ケネイアは、覚悟を決めたように大きくため息をついてから話し始めた。
「……あのね。最初から話をすると、アタシはこの町に来る前に、トカキの警察署にいたの。今回異動が決まって、トカキの少年院の担当者……個人的に親しかったんだけど、彼からこの封筒を預かった。少年院に在籍中に自殺した男の子の、遺書だって」
ここでようやくセイアにも話が見えた。重い沈黙の中、ケネイアの低い声が続く。
「ほかのメンバーには、それぞれに遺書があるのが分かっていて、ちゃんと彼らの手に渡ったらしいけど、これは捕まっていない子に宛てたもので……ベッドの下に、隠すように置いてあったらしいわ。捨てることもできないまま、担当者が持っていたんだけど、今回アタシがシャキに行くことが分かって、可能なら渡してもらえないかって、頼まれたの。死んじゃった子はグループのリーダーで、リーダーには彼女がいて、その子がシャキにいるはずだ、多分これはその子のものだ、って……」
「おれのことは、最初からバレてたってこと?」
アリアが口を挟んだ。少し疲れたような声だった。
「そうね。でも、グループを離れたあとは、その子が何も悪いことをしていないのも分かっていて、シャキの警察のみんなは積極的に捕まえようとは思ってなかったみたい。アタシも、これを預かった時は、どうしようかすごく迷った。……捨てようかって、何度も思った」
ケネイアはそこまで言うと、封筒をアリアに見えるようにランプの光にかざした。
「これには、見ての通り『アリアへ』って書いてあるわ。あんたが、自分をアリアだって認めるなら、これを渡す。でも、その場合、一度警察に来てもらう必要があります。……このアリアっていう子が犯している罪には、強盗致傷罪が含まれてるわ。大したケガを負わせたわけじゃないのは分かってるけど、何もなかったことにはできない」
アリアは、深く下を向いた。セイアは、アリアとケネイアを交互に見たが、アリアが何も言わないので、思い切って彼女の代わりに質問した。
「認めなければ?」
「その時は、これは渡さない代わりに、アタシももうあんたには一切干渉しないわ。ごめん、分かって。これはぎりぎりの譲歩よ」
アリアは下を向いたまま、聞こえるか聞こえないかくらいの声で囁いた。
「あんた、これを渡すために、おれを探してたってこと……?」
「そうなるわね。……さっきも言ったけど、捨てたかったのよ、ホントは。でも……アタシは読んでないけど、トカキの担当者は、一度これには目を通してるのよね。もちろんほかの子に宛てた遺書もだけど、犯罪にかかわることが書かれていないか一応見ておく必要があるから。そのうえで、これは本人に渡してあげた方がいいものだと思う、って言って、アタシに託されたの」
ケネイアの言葉の端々が、揺れて聞こえた。この結論にたどり着くまでに、何度も迷って悩んだであろうことが分かる口調だった。アリアはゆっくりと視線を上げ、そっと封筒へ手を伸ばした。細い指先が、撫でるように宛名に触れる。
「……ライアの字だ」
「いいの?これを渡すと」
「分かってる。でも、おれはアリアで、これはおれのだから」
ちょうだい、と子どものように伸ばす手に、ケネイアは迷いながらも、静かに封筒を手渡した。
「……あのさ、ここで読んでもいい?すぐ読まないと、その、勇気が出ないから」
アリアは封筒を受け取ると、先ほどヒメアが座っていた小さな丸椅子に腰かけた。そして深呼吸をすると、二人に背を向けるようにして手紙を読み始めた。
一応、セイアとケネイアの手前、泣くのを我慢しようという気持ちはあったのだろうと思う。だがそれ以上に、どうせ我慢できないと諦めてもいたのだろう。一度大きくしゃくりあげてしまうと、後はもうだめだった。
倉庫の中に、押し殺した嗚咽の声が切れ切れに響く。必死に声を押さえながら、何度も涙をぬぐっているアリアの姿を痛ましそうに見た後、ケネイアはセイアに視線を移し、外へ向けて顎をしゃくった。
静かに布を開けて外に出ると、二人は知らず知らずのうちに詰めていた息を同時に吐き出した。
「……だめだ、見てらんないわ。ついててあげようかとも思ったけど、まあ、思い切り泣かせてあげた方がいいわよね」
「あんた、こうなるって分かってて俺のことも残したのか」
セイアは思わず恨み言を漏らした。ケネイアに言われなくても先に帰る気はなかったのだが、こうなるとちょっと、一言二言文句を言いたい気持ちである。
「まあね。『警察に行きたくないから、手紙はいらない』って言ってくれないかな、ってちょっと期待してたけど。やっぱりそんな風にはならないわよね」
倉庫の中からは、ずっとアリアのすすり泣く声が聞こえてくる。二人はそっと倉庫の前から離れ、近くの大きな岩に並んで座った。
「余計なことしてくれて、って思ってるんでしょ。そりゃ、アタシだって思ってるけど」
ぼやくようなセリフに、セイアは軽く首を振った。
「多分、あんたの立場だと、おれも同じことしたと思うよ」
さっき、何度も捨てようと思った、と言ったのは、言葉の綾ではないだろう。それでも、その迷いの先で手紙が彼女に渡ったことには、意味があると信じたい。
辛いわねぇ、と言いながら、ケネイアはポケットからタバコを取り出した。そして、一本取りだして咥えると、ふと思いついたようにセイアへ向けてその箱を差し出した。
「……どうも」
セイアが手を伸ばして一本箱から引き抜くと、ケネイアは分かりやすくぎょっとした顔になった。
「何?」
「いや……アタシからあげたんだから、別にいいけど。あんた、吸うの?」
「すごくたまにだけどね。人からもらった時と、やってらんない時に、ちょっとだけ」
言いながら、左手の親指と人差し指を軽くこすり合わせて、小さな青い火を点けた。魔術師は皆これができるので、喫煙者にとってはライターいらずだ。
火をタバコに移し、ゆっくり煙を吸い込むと、ざわついていた心が少しだけ落ち着いた。ケネイアは、そんなセイアをちょっと嫌そうな表情で見ながら、自分のタバコに火を点けた。
「なんか、慣れてるわねー……かわいくないわー……」
かわいくなくて結構である。しばらくの無言の後、ポツリとケネイアが話し出した。
「あの子の彼氏、ね。すごくいい家の子だったらしいわ。名家、っていうの?」
この話はあんまり公にしてないから、独り言だと思って聞いてね、と言いながら、先を続ける。
「詳しくは分からないけど、家でいろいろあって、どうしてもそこに居たくなくて飛び出したみたい。そこで身寄りのない子を集めて、リーダーになって。カリスマ性のある美少年だったらしいわよ。……でも、ヘマして、みんなで捕まっちゃって」
そう言って、煙を吐き出した。白い煙が霧のように、海風に流されて飛ばされていく。
「今回、釈放にあたって、絶対に家には帰りたくない、と本人は言っていたんですって。でも……警察としても、引き取りを申し出ている実の親を拒むことはできなくて。……アタシはね、逃げればよかったのに、って思う。自殺するのに崖に向かうのだったら、そのままあの子のところへ行ってあげればよかったのに、って。……でもきっと、絶望したんでしょうね。周りの大人にも、自分の将来にも」
本当にやりきれない、と肩を落とした。セイアはタバコを咥えたまま、ぼんやりと倉庫の方を見遣った。『失恋中』と言った時の、アリアの寂しそうな横顔を思い出す。それでも、自分にできることはもうない。
「あんた、これからどうするの」
セイアの心を見透かすように、ケネイアが言った。セイアは仕方なく、わざとおどけたように肩をすくめて見せた。
「地元に帰るよ。聞いてたと思うけど、大学落ちちゃったからさ」
「でも魔術師なら、どこからでもワープで駆け付けられるんでしょ。……あの子の隣にいてあげる気はないの」
好きなんでしょ、と決めつけられるように言われ、自分でも意外なほどはっきりと胸が痛んだ。そうなのかも知れない。でももう、早めに過去になって欲しい。
「アリアみたいに怖いもの知らずのワープができるのは、魔術師でもそんなに多くないよ。だいたい、なんでみんなして、俺とアリアのことくっつけようとすんの。俺はアリアとは付き合わないよ」
軽く投げやりな口調になった。吸い終えたタバコをもみ消して、ポケットから自分のタバコを取り出すと、ケネイアに呆れたような顔で見られた。
「あんた、自分で持ってるじゃない。だったらそう言いなさいよ、ずうずうしい」
「分かってないな。こういうのは、人からもらって吸うから旨いんじゃん」
お返し、と言ってケネイアの方へ箱の口を向けると、彼はため息をつきながら一本引き抜いた。
「なるほど。あんた、結構猫をかぶってたのね、よく分かったわ」
そんなことはないんだけどなあ、と思った。自分は割と見たままの通りの人間だ。
ふと横を見ると、ケネイアが珍しそうにもらったタバコを眺め、軽く匂いを嗅いだりしている。
「変わった銘柄じゃない、これ。フレーバーもなんか、独特な感じ」
「……あー、北国のだからね。こっちでは見かけないかな」
「そうなの、どうりで。あんた、北国の出身なんだ」
「うん……」
唐突に、喋ってしまおうか、と思った。どうせ、もうケネイアに会うこともないだろう。黙っていた方がいいのは分かっているが、ここまで巻き込まれているのだから、これくらい喋っても許されるだろう。
「ケネイアはさ、他の国の事件の話とかも聞いたりすることはあるの」
「え?まあ……大きいものならね。何?」
「……『北国の悪魔』って、知ってる?」
意識せず小さくなった自分の声が、少し遠くに聞こえた。この言葉を、自分から口にすることはほとんどない。もしかすると、初めてかも知れない。
「聞いたことはあるわ。ネーミング最悪よね。でもあれは確か、警察としては事件というより事故という扱いで」
ケネイアはそこまで言ったあと、ハッと口を閉じた。通じたか。
「……まさか」
「うん、そのまさか。ネーミング最悪な件は、心から同意する。……アリアには、黙ってて」
そこまで言って、タバコに口を付けた。上に向かって煙を吐き出す。ケネイアには独特と言われたが、自分にとってはこれが馴染んだ香りだ。
マジかよ、とケネイアはオカマにあるまじき言葉使いで呟くと、空を仰いだ。
「まあ、そういうこと。俺には俺の事情があるんだよ」
これで分かっただろ、というつもりでそう言い捨てたが、ケネイアからは意外な反発があった。しばらく黙った後で、ため息をつきながら、しっかりとこちらを見据え、
「それであんたは、好きな子に好きとも言わずに一生過ごすつもりなの?悪魔だから?」
仕方ないだろ、と言おうとして口をつぐんだ。仕方ないのだろうか、本当に。
自分で勝手に思っているだけで、誰からもそんなことは強要されていない。今にして思えば、自分なんかに告白してくれたあの子たちは、いったいどんな気持ちだったんだろう。
「アタシはね、今のを聞いて余計に、お似合いかもって思ったけど」
「……お似合いってなんだよ。傷の舐め合いをすることが?」
「そういう言い方をするもんじゃないわよ。冷たい手でも、繋げば温め合えるかもしれないでしょ。生きてるんだから、生きてるときにしかできないことをしないと。……あの子に伝えるのは、勇気がいるかも知れないけど」
落ち着いたケネイアの言葉に、波立っていた心が少し凪いだ。唐突な衝動で話したけれど、話して良かったかもしれない。それでもやはり、自分の過去の傷を誰かに負わせる気にはなれなかった。そもそも、一般人はともかく、自分と同年代で『北国の悪魔』の影響を受けていない魔術師なんているだろうか。そう思うとやはり、アリアには話せない。
二本目を吸い終えてぼんやりしていると、不意に倉庫の布がめくれて灯りが漏れ、アリアが姿を現した。
「……ごめん、遅くなって。二人とも、お待たせ」
涙で鼻声になってはいるが、何とか落ち着いてから出てきたのだろう。座っている二人の前に立つと、一番最初にケネイアに向かって「ありがとう」と言った。
「読み終わったの」
ケネイアが静かに声を掛けると、小さく頷き、下を向いた。
「……なんか、自分のことは忘れて、幸せになって欲しいみたいなこと、書いてあった。無理だろそんなの、って思ったけどさ、でも……どこかで気持ちに区切りは、つけないと」
「読み終わったなら、燃やしちゃいなさいよ、そんなの」
ぶっきらぼうにそう言われて、大きくかぶりを振った。手にした封筒を見つめながら、
「燃やさないし、忘れない。……あのさ、ホントに思い出のもの、ないんだよ。この手紙の他には、みんなで撮った写真が一枚と、指輪だけ」
「指輪?」
「おもちゃみたいなヤツだけどね。前に、もらったんだ」
ケネイアは、アリアから顔を背けるようにして、小さく舌打ちをした。舌打ちこそしなかったものの、セイアも同じ気持ちだった。
たとえおもちゃとはいえ、女に指輪を贈っておいて、自分は勝手に死んだりするなよ。
「ありがとう、ケネイア。こんなの、いくらでも捨てられたはずなのに。そしたら、こんな面倒に付き合わなくて済んだのに。でも、これで何とか、諦められる」
そこまで言って、また涙声になった。口元を押さえながら、
「ごめん、もう泣かない。キリがないし」
乱暴に涙をぬぐうと、大きく息を吐き出して、ゆっくりとその目を上げた。大きな瞳でケネイアをまっすぐに見つめ、
「それで、俺はどうすればいい?このまま、ケネイアと一緒に警察に行けばいいの?」
ケネイアは一瞬悩むように顔を歪めたが、すぐに立ち上がり、アリアの両肩に手を置いた。
「今日は一度、『アルテミス』に帰んなさい。一晩ゆっくり休んで、明日の朝アタシがお迎えに行くわ。それまでに、準備しておいて」
「……分かった」
頷くその姿が、一回りほど小さく感じられた。ケネイアは、そんな彼女の顔を覗き込むようにしながら、言葉を続けた。
「あのね、今回のヒメアちゃん救出の件、ほんとに感謝してるわ。あんたが自分の危険を顧みないで動いてくれたことは必ず上に伝える。それと、シルヴィアさんについては何も知らなかったってことで押し切るし、ほかにもアタシにできる限りの口添えはするつもりよ。決して悪いようにはしないから、アタシを信じて。……追い込むようなマネをして、ほんとにごめんね」
「……なんで、ケネイアが謝んの。俺が悪いんだよ、分かってるし、大丈夫」
アリアは穏やかな口調でそう告げると、ケネイアを見つめ返した。
「明日の朝、迎えに来て。逃げないで、待ってるから」
銀の髪が風に揺れ、月の光が彼女を照らした。セイアは何も言えずに、ただ隣でその姿を眺めていた。
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