幕の向こうに
カーテンの隙間から差し込む朝日に、アウロルは目を覚ました。
まだおぼろげな意識の中、昨日の幽体離脱で得た知識を記録しようと、音声メモを起動しようとする。
そこへ、家政婦ロボットのメルがやってきた。
メルはホログラムでできたウサギの耳をパタパタと揺らしながら、
「おはようございます、アウロル様」
と挨拶する。
アウロルは「おはよう」と返し、音声メモの起動をメルに頼んだ。
そして、ひとつひとつ昨日の出来事を思い出しながら語り出す。
クリスタルの桜――日本庭園のような場所――シルフィアとヴァルデミアスという兄弟……
その空間は、まるで昔の日本の風景そのものだった。
地球の歴史は教育で必ず学ぶもので、中でも日本という国については、現在でも中心国として必ず教わる。
「……あの服装は、着物と袴だろう」
アウロルの声が、音声メモに淡々と記録されていく。
しかし、今の時代にあの服装をした人々はいるのだろうか?
まるで時代を遡ってしまったような感覚――タイムスリップだろうか。
いや、ヴァルデミアスは「幕がある」と言っていたはずだ。
「私たちの隔たり……」
そう、黄金律と白銀律を隔てる幕のような存在があるのだと。
カーテンと言われると、つい簡単に開け閉めできそうな気がしてしまうが……
「そう簡単にはいかないんだろうな…」
アウロルは、はあ…とため息をついた。
隔たりとは何なのか――その中にこそ、答えの糸口があるのかもしれない。
そう思った彼は、研究室へ向かうことを決める。
音声メモを止め、乱雑に伸びた髪を後ろでひとまとめにし、手早く着替えた。
研究室へ入ると、すでに同僚のリオネルと上司のレアナが来ていた。
レアナは紫色のアシンメトリーのボブヘアにメガネをかけた女性で、この時代には珍しいほど働き者で頼りになる上司だ。
一方、リオネルはというと、大きなあくびを噛み殺しながら涙目になっている。緑の髪はくしゃくしゃで、どうやら朝の身支度を投げ出してきたらしい。
「えっと…おはようございます。レアナさん、それからリオネルも」
二人が朝から揃っているのは珍しい。
アウロルは少し緊張しながら背筋を伸ばし、レアナの方へ視線を向けた。
彼女は研究室の奥の窓辺に立っていた。
外の景色――急速に発展を遂げたオルディナの街並みを見下ろし、何かを思案していたのだろう。
オルディナ出身の彼女が、その栄華について語り始めれば長くなる。
どうりでリオネルが眠そうなはずだ。
やがてレアナは振り返り、アウロルに挨拶した。
だが彼の乱雑な髪を見て、すぐに眉をひそめる。
「おはよう……って、もう。またなのアウロル。身だしなみには気をつけなさいって、何度も言ってるでしょ」
「すみません。時間がとれなくて」
「嘘ね。休みはあるはずよ。うちはブラックじゃないんだから」
確かにそうだ。
だが、髪を切るくらいなら研究を優先してしまう――。
日々のスケジュールを見直すべきなのか、と考え込むアウロル。
その真剣な顔を見て、リオネルがくくくっと笑った。
くしゃくしゃの髪の具合は同じなのだから、リオネルも他人事ではないはずだ。
レアナは二人を見比べ、まあいいわと小さくため息をついた。
「とりあえず進捗報告をお願い。進展がなくても、大切なことだから」
「じゃあ、まずは僕から」
研究台にもたれていたリオネルが、やる気を出したと言わんばかりに姿勢を正す。
「これはまだ仮説なんだけど……魂を包む膜があるんじゃないかと思う」
「それはアストラル体のことじゃないの?」
レアナが首をかしげる。
「いや、アストラル体とは別。魂そのものを覆う“外殻”みたいな膜です」
「なるほど。その仮説に至った理由は?」
リオネルは一呼吸おいてから言葉を続けた。
「魂は二種類の光でできているけど、なぜ結びついているのかはまだ研究中。でも、もし“くっついている”のではなく、“同じ膜に包まれている”のだとしたら?」
魂については、多くの星系で合同研究が行われてきた。
加えて、神事を得意としてきた種族からの証言も蓄積されており、それらの知見こそが、現在の魂研究の全貌を形作っていた。
魂は二つの光の玉が合わさって一つになっている。
赤、オレンジ、黄、緑、水色、青、紫。
ちょうどチャクラに対応する色を持つ。
色の明度によっても特性が異なる。
白に近いほど聖職向き、黒に沈むほど魔法職向き。
さらにビビッドカラーは性格を強調するらしい。
誰しも二種類の光を持つが、その組み合わせや仕組みは未知の領域だ。
なぜなら魂そのものが見えないからだ。
「…魂は解剖できるものじゃないから、なんとも言えないわね」
「そこなんだよねぇ……うーん、試しに僕ので――」
「ダメよ。それに、私たちのは参考にならないかもしれない」
「グラデーションだから、ですか?」
リオネルは不満げに言った。
グラデーションカラー。
一色の光に明暗の差がある魂のことだ。
たとえば私なら、明るい黄色と暗い黄色。
リオネルは緑の明暗、レアナは紫の明暗を持つ。
グラデーションの魂は一色に集中しているため、研究者に多い。
一つのことを掘り下げる資質に長けているのだ。
だが、一つのことにしか興味を示さない場合も多く、偏屈者と評されることもある。
実際、私の両親も、私が同じ対象にばかり執着することに手を焼いていた。
何にせよ、グラデーションカラーは得られるデータが乏しく、研究には最も不向きなのだ。
「まあ、解剖の話は置いておきましょう。こちらをご覧ください」
リオネルが指を払うと、宙に淡い光のスクリーンが浮かび上がった。
そこに映し出された映像が再生される。
――アストラル体の肉片が、かすかに脈打ちながら漂っていた。
膨らんだ風船のように中は空洞。その一瞬、そこに小さな光球が瞬いたのだ。
「まさかっ…!」
レアナが声を上げ、アウロルも息を呑む。
それは確かに――魂が誕生しかけた瞬間の映像だった。
「すごいじゃないか、リオネル!!」
アウロルは思わず彼の両肩を掴み、ブンブンと揺さぶる。
レアナも瞳をきらきらと輝かせていた。
「いや、その……たまたまなんだ。空洞のある幽体を観察していたら、ふっと光が走ったというか……」
リオネルによれば、空洞をもつ幽体を調べていた際、内部にほんの一瞬だけ光の玉が現れたらしい。
そこから「空洞がより大きければどうなるか」と発想し、追加観察を行ったという。
「これは大発見じゃない! あなたのお手柄よ、リオネル!」
レアナは大喜びで彼を称賛した。
だが、リオネルの表情には浮かれた色がなかった。
「……この映像を公表するのは、まだ早いかと」
「どうして? 研究会に報告すれば、協力も得られるのに」
「それでも――今は控えていただきたい」
いつもの穏やかさを消し、珍しくきっぱりと言い切るリオネル。
その声音に、場の空気がわずかに張り詰めた。
「いいわ、しばらくはリオネルに任せましょう。次の進捗報告までにデータをまとめておいて」
「……わかりました」
リオネルの返事は歯切れが悪い。
大発見のはずなのに、なぜか気乗りしない様子が表情に滲んでいた。
「じゃあ次はアウロルの番ね」
「リオネルのように目立った成果はないのですが……」
彼が最近取り組んでいたのは、魂の光を模した人工ライトを幽体に当てて、反応を観察する実験だった。
「光が作れないなら、いっそ作ってしまえばいい」――そう考えたのが発端だった。
「幽体は真っ白な光を浴びせると、分解を始めるようです」
そう、白い光を当てた時だけ、幽体は崩れ出した。
他の色では何も起こらなかったのに。
「面白いわね。じゃあ剥離した魂は“白”に近かったのかしら?」
「白かぁ……でも、完全に真っ白な魂なんて発見されてないはずだよ? パステルカラーでは試してみた?」
「ああ、試した。だが……」
パステルでは変化は見られなかった。
当然といえば当然だ。もしそうなら、今を生きるパステルカラーの魂を持つ人々に異常が起きているはずだ。だが、そんな報告はどこにもない。
「そっか……でもそのライト、使い方次第では危険な武器になっちゃうよ」
たしかにリオネルの言う通りだった。
この白い光を浴びせれば、幽体は瞬く間に分解される。
想像するだけで背筋が冷える。
「そうね……研究会への報告は避けられないわ。そのライトも、一旦こちらで預からせて」
そうして進捗報告会が終わったあと、レアナはライトを携えて研究室を去っていった。
静まり返った部屋には、表情を曇らせたリオネルだけが残っていた。
「君って、ライトの光を定着させようとしてたの?」
「ああ。ご飯の色が移るみたいに、な」
「なんじゃそりゃ」
リオネルがあははっと笑う。
だがアウロルにとっては、決して冗談だけではなかった。
色に染まった幽体が形を持ち、それが魂の光の原型になるかもしれない。
なんにせよ、試す価値はあるはずだ。
「僕の研究、どう思った?」
無邪気な笑みを浮かべていたリオネルの表情が、一転して真剣なものになる。
「すごいことだ。今すぐにでも報告すべき成果だったのに」
「…でもさ。もしあのまま魂が出来ちゃってたらって思うと、怖くなるんだ。僕、禁忌に触れてるんじゃないかって」
もし魂を生み出せるのだとしたらーー。
生まれてくる子の姿形だけでなく、性格すらも自在に“設計”できてしまうかもしれない。
「神様が与えてくれた部分を、残しておきたいんだ。…わがままかな、僕」
リオネルの瞳は、どこか涙を帯びているように見えた。
アウロルは言葉を探しながら、彼を見つめ返す。
神様が与えてくれた部分…。
白銀律に住まう神々が人に進むべき道を示し、好みや在り方を授けるーー。
聖職者の語るおとぎ話には、そう記されていたはずだ。
「そうだ。神といえば…昨日、私は白銀律に入り込めたみたいなんだ」
「……えっ?」
リオネルはその場に立ち尽くし、ただアウロルを見つめた。
「はは…まったく。僕、そんなに落ち込んでた?アウロルってば冗談下手すぎ」
「いや、落ち込んでるお前を元気づけようとか、そういうつもりじゃない」
「はいはい、ありがとありがと」
「違う。本気で言ってるんだ」
リオネルは適当に受け流そうとしたが、アウロルは意に介さず話を続けた。
「幽体離脱に制限があるせいで長居できなかったが――白銀の姫に会えた。あと、その兄にも」
「……待って待って。姫にコンタクト? しかも兄? コーヒーなしじゃ聞けないな」
リオネルはホログラムのスクリーンに触れ、注文を入れる。
瞬時に転送されたカップが研究台に現れ、ストローを差し込むと音を立てて飲み始めた。
「それで? 何を話したんだ?」
「白銀律と黄金律の間には、幕のようなものがあるらしい」
「幕?」
「ああ。だから案外、境界は近いのかもしれない。ふわりとめくれれば通れてしまうような……そんな仕切りだ」
「へえ……そういえば最近、“天然のワープホール”について調べてる研究者達がいるらしいよ」
「ワープホール?」
「そう。白銀律を目指す研究者なんて山ほどいるからね。で、その中の一部が騒いでる。“宇宙空間を切り裂く生命体がいる”とかなんとか……」
そういえば、ヴァルデミアスは「兄弟が暴れた」と言っていた。
もしかすると、その“宇宙空間を切り裂く生命体”とやらが兄弟なのだろうか。
だが──どう見ても正体は幽体の人間。我々の世界では幽霊と呼ばれる存在だ。
幽霊に、あんな芸当ができるはずがない。
「幕をめくるっていうより、切り裂いてるみたいだよね。そんなこと出来るなら……」
「めっちゃ自由じゃん」
とリオネルはぼそりと呟いた。
確かに、もし本当にそんなことが出来るなら次元間の移動さえ可能だろう。
だが実際には、この宇宙を構成する十三の次元を跨ぐのは容易ではない。
一次元跨ぐだけでも、振動数の違いで強烈な疲労とストレスに見舞われる。
「そんなことが出来たら苦労しないさ。ただでさえ、一次元跨いだだけで身体はへとへとになる」
「でも幽体の人たちって、平気で次元を超えて移動するよね」
「ああ。だが彼らは低次元の文明に降り立っても、その地の人々からは認識されない」
「そこなんだよなぁ。天使みたいな人々なのに、頑張ってるのに、誰にも見てもらえない。ちょっとかわいそうだよ」
我々の文明は、かつて他の惑星文明が地球に飛来したことで大きく飛躍した。
まず、肉体を持ち、地球人と変わらぬ姿をした人々が文明を持ち込み、幽霊を“視る”技術が確立される。
それは肉体の振動数を変化させるデバイスだった。
だが、いきなり振動数を変えると人間は酔いや目眩を起こし、強い肉体的疲労に襲われる。
そこで振動数の変化に耐える研究が重ねられ、やがて意図的に幽体離脱することに成功する。
そして幽体の生命体との安定したコンタクトが可能となったとき──ある惑星文明から贈り物として「アストラル体を生み出す技術」を授かる。
その共同研究の末に開発されたのが、いわゆる “幽霊の肉” であった。
幽霊の肉は、魂そのものがどう生まれるかという根源的な問いに迫る手掛かりを与えている。
だが、それだけではない。
肉といってもそれは意志を与えれば自在に形を変える特異な物質で、普段はアストラル体を守る防護服として利用されることが多い。
アストラル体はまるで風船のように脆く、傷ついたり穴が空いたりすれば、存在そのものが危険に晒されるからだ。
だがそれでも、アストラル体には致命的な欠陥がある。
「だが、アストラル体だったとしても物理次元に干渉はできないだろ?」
「そこなんだよ。どう思う、アウロル?──もしこの生命体が“物理的干渉を可能にしたアストラル体文明”だとしたら?」
「おとぎ話の具現化どころじゃないな」
いま我々の〈ソル・アストラ〉がある太陽系文明は第五次元に属し、辛うじて“物理次元帯”と呼ばれる領域に存在している。
やがて幽体のような精神体へとシフトしていくと予言されてはいるが、それはまだ遥か未来の話だ。
物理次元帯に干渉するには、やはり肉体が必要となる。
かつて黄金の王が粘土から創り出したと言われる──この“肉体”が。
「そもそも、なぜ“生命体”だと断定されてるんだ?」
「ワープホールを発見したときの記録によるとね。
次元間を何層も貫いて、まっすぐに穴が開いていたらしい。まるで長大な生物が通り抜けた跡のように」
ワープホールとは本来、同じ次元内で空間から空間へと移動するためのもの。
次元そのものを跨ぐ現象は、きわめて稀だ。
「何層にも渡って直線的に移動……それって、本当にワープホールなのか?」
「他に呼び方がないから仕方ないんでしょ」
「幕を切り裂くように、次元間を移動する存在……」
「白銀の姫が“魂の還る場所”におられるってことはさ。精神体が主流となる第九次元帯以上に存在してるってことでしょ?」
「そんな高次元から、ここまで降りて来るのは容易じゃない」
「でも、黄金律と白銀律を隔ててるのは“幕”だって言うくらいなんだよ?僕たちには到底理解できない叡知を持った人々なんだよ、きっと」
確かに、リオネルの言葉には一理ある。
もし次元間の移動すら“幕をめくるようなもの”だと彼らが表現していたのなら──。
ヴァルデミアスという男は、相当に高度な文明に属する生命体なのだろう。
だが、そんな人々が本当に魂の根幹についての知識を開示してくれるだろうか?
一体どうやって魂は生み出されるのか。
アストラル体とはいかなる仕組みで結合するのか。
そして──黄金律と白銀律に属する者たちの違いとは何なのか。
問いは尽きない。
それに──シルフィアのこともある。
「白銀の姫は、シルフィアという名のようだ」
「……なんて可憐な名前だ」
リオネルは思わず目を瞬かせる。
こういう“おとぎ話”めいた題材、とくに白銀の姫に関するものには、彼は目がないのだ。
「彼女を前にしたら……涙が溢れてきてしまったんだ」
「美しすぎて?」
「違う。もっとその……やっと会えた、そんな気持ちで」
「まあ、念願の出会いだもんね」
「そういうんじゃない!」
アウロルは思わず声を荒げ、慌てて言い直した。
「す、すまない。取り乱した……」
「いや、僕の方こそ。軽く言いすぎたかな、ごめん」
「その……うまく言えないんだが……彼女にずっと会いたかった気がするんだ」
「なんだかんだ言って、アウロルもおとぎ話に憧れてたってこと?」
「違う……もっとこう……魂に直接語りかけてくるような……」
「うーん、僕にはよくわからないけど……要は感動が大きかったってこと?」
「……まあ、そういうことかもしれない」
彼女に会えたときのあの感情は、どう言葉にしても薄れてしまう気がして、アウロルは説明をあきらめた。
「シルフィア……か」
リオネルがふわりと呟く。
その名は、花びらが舞い落ちるように柔らかく響いた。
「軽々しく呼ぶな」
気がつけば、アウロルの口から言葉がこぼれていた。
誰にも渡したくない――そんな独占欲めいた思いが胸を締めつける。
なぜこれほどまでに、彼女に惹かれてしまうのか。
「なにそれ~、もう独り占めしちゃうつもり? アウロルってば」
リオネルがニヤニヤと笑いながらからかう。
「……そういうんじゃない」
思わずぶっきらぼうに答えてしまう。
だがその声は、自分でも驚くほど子供じみて聞こえた。
「さて…そろそろ研究データをまとめよっかな」
リオネルは腰かけていた研究台から軽やかに降り立った。
「そういえばアウロル、ライト没収されちゃったんだよね。これからどうするの?」
言われてみれば――確かに、あのライトがなければ実験も観察もままならない。
「じゃあさ、魂の鑑定に行こうよ」
「何を言ってるんだ? 俺たちはもう鑑定済みだろう」
魂の鑑定。それは本来、新生児に対して行われる儀式だ。
神官が生まれたばかりの赤子の魂を視て、その色を識別する。
そこからその子の趣味や嗜好、さらには性格の傾向までもが読み取れるとされる。
もちろん大人になってからも鑑定は可能だが――私もリオネルもすでに自分の色を知っている。
魂の色が成長してから変わるなど、聞いたこともない。
「もう、お堅いなあ。いいじゃん、行くだけ行ってみようよ」
リオネルはいつもの調子で笑う。
――まあ、神官から何か新しい話が聞けるかもしれない。
アウロルは小さく息をつき、リオネルとともに中央教会へ向かうことにした。
今いる研究棟から中央教会までは、片道およそ二時間ほどの距離だろうか。
ゲートを潜れば一瞬で済むはずだが、リオネルはなぜか口元に笑みを浮かべて言った。
「ドライブしよう」
そう言って、彼は自分の車へとアウロルを案内した。
研究棟の外に出ると、そこは地上から少し浮かぶように造られた立体駐車場だった。
床は透明な強化ガラスのような素材で、下に広がる街並みがかすかに透けて見える。
規則正しく並ぶ車両の多くは最新式の飛行型で、機体の輪郭が淡く発光しているものもある。
リオネルの車はその一角に停まっていた。
黄緑色のボディは光沢があり、滑らかな曲線を描く。
翼の代わりに浮遊フィンが左右に伸び、待機状態でもかすかな振動と光を放っている。
「これ、僕の愛車。かわいいでしょ?」
胸を張って言うリオネルの様子に、アウロルは半ば呆れながらも、黄緑の未来的な機体の存在感に目を奪われていた。
どうやら飛行型らしい。
浮遊機構を搭載するために、小型かつ軽量化された造りになっている。
リオネルが車の右側の扉に手をかざすと、澄んだ声が響いた。
「お帰りなさいませ、リオネル様」
車が自ら挨拶したのだ。
リオネルは先に乗り込み、ホログラムのタッチパネルを軽やかに操作する。すると、反対側の扉が音もなく開いた。
「さあ、のってのって」
彼が促す声に、アウロルは小さく頷いて車内へと身を滑り込ませる。
やはり飛行型ゆえか、車内は小ぶりで、背の高い彼にはやや窮屈に感じられた。
どうやらこの車は、飛行型としては主流の二人乗りらしい。
つい最近になってようやく四人乗りが開発され、それが大きな話題を呼んでいた。
それまでは飛行性能の制約から、搭乗できるのは三人が限界だとされていたのだ。
リオネルがタッチパネルを操作すると、ドアは自動で閉まり、行き先を指定するマップがホログラムとなって目の前に浮かび上がった。
「行き先は中央教会、魂魄鑑定所でよろしいでしょうか?」
飛行車の問いかけに、リオネルは気楽そうに答える。
「オッケ~、安全運転でね~」
車にまでフレンドリーというか、のんきというか……アウロルは思わずため息を漏らした。
「なんだよ?」
少しむっとした顔でリオネルがこちらを見やる。
「いや、なに。いつもそんな調子なのかと思って」
「なにそれ~。僕は僕でしょ」
肩の力の抜けたやりとりに、アウロルはふっと安堵した。
研究室で見せた彼は、どこか元気がないように見えた。
表情も少し曇っていて、言葉の端々に力が入っていないのがわかった。
だが今はもう、すっかり落ち着いたように見える。
肩の力も抜け、軽やかに腰をかける姿は、いつものリオネルそのものだった。
黄緑色の車の中で楽しそうに操作パネルを触る手つきや、機械に話しかける軽やかな声。
やはり、こういう彼の姿を見ている方が安心する。
アウロルは思わず小さく微笑み、視線を前方に移す。
外には青空が広がり、立体駐車場の床の下には街並みがかすかに透けて見える。
街は朝の光に照らされ、建物のガラス面が反射して煌めいている。
空気はまだひんやりとしていて、浮遊する車体が揺れるたびに微かな風が車内に流れ込む。
そう思っていると、車は静かに浮遊し始めた。
微かな振動とともに地面から離れ、エンジン音もなく滑るように前方へ進む。
アウロルは視界に広がる街を見下ろしながら、リオネルの落ち着いた笑顔と相まって、何とも言えない安堵の感覚を覚えた。
「こうやって見ると、街もまだまだ広いな…」
アウロルは小さく呟いた。