3.東京脱出②
熱い日差しの中、ロングコートを着て新宿二丁目に向かっていた。通り過ぎる人々がこちらをちらほら見ている。まあ、こんなに暑いのにこの恰好じゃ無理もないな。あと三十分くらいだろうか。ポリロボ君(警察ロボット)を警戒しながらの移動だった。何せ、見つかった場合、全ての計画が台無しになる。なるべく裏道を通りながら目的地へと向かうのだった。
新宿には大勢の人がいた。たしか東京の人口は三千万人だったな。人ごみを縫うように二丁目へと向かった。二丁目の公園通りにはオカマたちがいた。音楽がスピーカーから大音量で流れている。こちらをちらほら見ているのだが、どうも勝手が違う。品物を見定めるようにこちらを見ていたからだ。団扇を持ったオカマが「あら、良い男ね」と言いながら近寄って来たのだが、無視して住所のビルに向かった。
極楽堂と書かれた看板がビルの三階にあった。小物のアクセサリーや、洋服が店内に飾られていた。この場所がそうなのか、知樹は緊張しながら店員に声をかけた。
「あの、ここは極楽堂ですよね、大内さんからの紹介で来たんですけど」
そう店員に尋ねると「オーナー」と言いながら店の奥に引っ込んでいった。店の奥からオーナーと呼ばれる人物が顔を出した。「こっちにいらっしゃい」と言うと、店の奥に案内された。
「知樹君ね、あたしはリンよ。話は聞いている、そこのベッドにうつ伏せになって」
そう言われると知樹はベッドに寝ころんだ。そしてリンさんを珍しそうに見ていた。
「驚いたでしょ、全身義体の人はあまり見かけないものね」
そう、驚いていたのだ。人間の体を全て機械にしている人を見るのは初めてだった。知樹はサイバーウェアを体に入れていない。施設育ちの知樹にはそんな金など無かった。
「サイバーウェアを付けてる人は多いですけど、全身義体は凄いですね」
そうなのよ、と言いながらリンさんは知樹の腰の辺りを手で探っていた。
「バイオメトリクス認証チップはここにあるのよ」
左側の腰の部分に手を置いて麻酔を打った。メスを取り出して、切り込みを入れ、ピンセットで丁寧に認証チップを取り出した。リンさんが言うにはこのチップをネズミに移植するんだそうだ。それで警察の目をネズミに向けることが出来るんだとか。想像しただけで笑いそうになった。血相を変えながらネズミを追いかけるなんて大昔の漫画の世界だ。
「新しいチップは、病院に長期入院している子の偽造チップを使う」
偽造チップを体内に入れると、止血パッドを腰に当てて止血をした。施術中、痛みは全然無かった。はい、これで偽装完了。スマートデバイスを貸しなさい。ルートを取るわ、スマートデバイスの端子に小型デバイスを取り付けると、ハッキングを開始した。
「じゃあ、諸々込みで十万円ね」
封筒からお金を取り出してリンさんに渡した。リンさんは「ありがとう」と言うと話をした。
「知樹君は何処へ向かう予定なの」
「まだ決まっていないですけど、国外に行こうと思ってます」
「九州(中国領行政特区)辺りが良いかな」
「九州(中国領行政特区)は無理よ、あの法案で逃げ出す人が多すぎて足(密入国ルート)が足りてないって聞くわ」
「だと、北海(ロシア領行政特区)辺りになりますかね。それも無理だと困りますけど」
「北海(ロシア領行政特区)行きなら当てがあるわよ」
「本当ですか、是非、教えてください」
リンさんは、紙切れに通信ナンバーを書いて渡してくれた。武田哲夫と名前が書いてある。
「あら、スマートデバイスのハッキングが終わったわ、早速、連絡してみたら」
渡されたスマートデバイスを腕に取り付けて通信ナンバーを打ち込んだ。
「はい」
声の低い男が電話に出た。
「武田さんですか、北海に行きたいんですが、大丈夫でしょうか」
「今は割り増し料金だけど、それで良いならあるよ」
「いくら位なんですか」
「通常は五万円だけど、今は十万円だ」
「なら、お願いしたいんですが」
「二日後に山形県の酒田港に来い。そこで連絡を入れろ」
そう言われると一方的に電話を切られた。
「なんか、せっかちな人でしたね」
「ごめんね、愛想が悪いのよ、でも腕は確かだから」
「リンさんがそう言うなら間違いないですね」
紙切れに二日後、山形県酒田港へと書き込みながらスマートデバイスの話をした。結局、スマートデバイスに何をしたのか理解していなかったからだ。
「もちろん、電話はかけ放題、そもそもスマートデバイスが誰の物か分からないようになっているわ、アップデートが出来ないから覚えておいて」
「分かりました」
リンさんから渡されたお茶を飲みながら、少しの間、雑談をしていた。リンさんも店を辞めるんだと聞かされた。リンさんは何処へ行くのか聞いてみたら故郷、九州(中国領行政特区)に帰るんだそうだ。もぐりのサイバーウェア職人は違法だからだと話してくれた。あの法案でアンダーグランドの人間は皆、国外へ脱出するんだとか。
「リンさん。お茶、とても美味しかったです」
「知樹君、またどこかで会えるといいわね」
そう言いながら極楽堂を後にした。
◆登場人物
◆木下知樹 十七歳、物語の主人公。
◆大内重之助 三十八歳、警視庁少年育成課の刑事。
◆リン 年齢不明、新宿二丁目にいる極楽堂のサイバーウェア職人。
◆武田哲夫 四十歳、密入国の案内人。
◇設定資料
◇バイオメトリクス認証チップ、このチップは生まれた時に身体に埋め込まれる。もちろん、個人の特定、交通機関、買い物など、あらゆる場所でこの認証チップの確認がいる。テックロック社製【ニュージャパン】
◇赤ちゃんボックス、諸事情のために育てることが出来ない赤ちゃん(新生児、子供)を親が託すための制度、知樹もこの赤ちゃんボックスで御徒町の施設に入れられた。
◇スマートデバイス、様々な機能を搭載した携帯端末。大昔で例えるならスマートフォンに近い。腕時計程度の大きさで、画面は立体ホログラフで表示される。ヒューマンロジック社【アメリカ】のオペレーティングシステム搭載。
◇全身義体、人間の体を完全に機械で置き換えたサイボーグのこと。
◇ニュージャパン(旧日本)は三百年前に(第六次世界大戦)領土を他国に占領された。北海(現ロシア領行政特区)九州(現中国領行政特区)上と下を切り取る形で残っている。人口約一億一千万人。