23.先生③
先生は冷や汗をハンカチで拭いた。手元にあるコーヒーを飲み始めた。
「私が殺し屋に狙われていると言うのか」
里奈が先生に説明をした。
「先生を探すために色々、調べたんです。そうしたら、偶然にその話を聞きました」
先生は「そうか」と言いながらコーヒーカップを揺らした。
知樹は先生に聞いた。
「先生はメトロニック社【アメリカ】と何があったんですか」
「今井、三十分くらい、席を外してくれるか」と先生が里奈に言った。
「分かりました」と里奈は向こう側の席に移動した。
知樹と健司は先生の話を聞いた。
「何から説明すればいいのやら、知樹君といったね。これから話すことは今井には内緒だ。守れるか」
知樹はしっかりと頷いた。
「私は、マゾヒストなんだよ。分かるかい、マゾヒズムという言葉が」
「あの、エスエムとかのですか」と健司が聞いた。
「そうだね、そう考えて貰った方が単純でいいかも知れない」
「痛みは私に取って快楽なんだよ。とても気持ちが良いんだ」
「分かるかい、痛みが快感なんだよ」先生は同じような台詞を二回繰り返した。
「今井の虐めの件は、実は今井を庇った訳じゃないんだ」
「あれは自分が気持ち良くなる為にした行動なんだ。とても良かった」
知樹と健司は唖然としていた。
「あの頃に、実はサイバーワールドで電子ドラッグを試していたんだよ」
「赤い雨は、その時に発動した。感染した者は皆、死んでいった」
「私は知らなかったんだよ、私が原因で赤い雨が感染するなんて」
「今井の虐めの件と時期が同じ頃だろうか」
「メトロニック社【アメリカ】に拉致されたんだ。それも良かった。拉致をされるなんて何をされるか分からないだろう。連中は実験の代償に三億円を支払ってくれた」
「そして実験が始まった」
「私には天然の電子ウイルスが宿っていた。それはどんなタイプのセキュリティソフトでも突破した」
「詳しいことは分からないが、科学者共はそれを操れると思ったんだ」
「でもね、結局、赤い雨の電子ウイルスは私の時にしか反応しないんだよ」
「しかし、先ほどの知樹君の表情は良かった、てっきり殴られると思っていたんだ。でも、それは違った。とても残念だよ」
知樹が言った。「先生は死ぬのが怖くないんですか」先生はそれについて話をした。
「超一流の殺し屋に殺されるなんて、考えるだけでも、とても素敵な話じゃないか」
「あんたはどうかしてるよ」と健司が言った。
「そうだろうね。自分でもよく理解している」
「だから、邪魔をしないでくれ、私は殺されるのを望んでいるんだ」
「でも、里奈はそれを許さないと思いますよ」知樹が反論した。
「あの子は優しいからね。なるべく彼女の夢を壊したくないんだ」
その瞬間、喫茶店の窓ガラスが全て割れた。知樹たちはガラスの向こうに大きな影を見つけた。全身義体の男が窓ガラスの向こう側に立っている。知樹はコンセントレーションを発動させた。男はノーペイン・ノーゲインだった。全ての部位を軍事用サイバーウェアにしている。一瞬、姿が消えたかと思うと知樹たちの席に立っていた。
「鈴木武夫だな」確認を取ると先生に向かってソードブレードを向けた。「言い残すことはあるか」と先生に尋ねると、知樹がノーペイン・ノーゲインを殴った。だが知樹のパンチは威力が全然足りなかった。次の瞬間、知樹はノーペイン・ノーゲインからアッパーカットで殴られた。知樹が吹っ飛んだ。知樹は意識を失った。
店内にいる客たちは全員、外に逃げ出していた。
健司が先生を外に連れ出した。「里奈の前で先生を死なせない」と健司は先生の腕を掴んで走り始めた。目の前にある高層ビルの中に逃げこんだ。後ろから里奈が付いてきた。
「あれが、殺し屋ですか」里奈が健司に尋ねた。
「あぁ、洒落になってねぇ、とんでもない奴だ」
三人はエレベーターを使って上の階に上り始めた。時間を稼ぐ為に。
「知樹が追いかけて来る筈だ。それまでみんなで時間を稼ぐぞ」健司がそう言うと「はい、分かりました」と里奈がそれに答えた。
ノーペイン・ノーゲインは三人を追っていた。知樹は意識が戻るとコンセントレーションを発動させた。次は必ず仕留める為に。
三人は最上階の展望室でノーペイン・ノーゲインを待ち受けた。ノーペイン・ノーゲインはエレベーターからゆっくりと姿を見せた。
「無駄な殺しはしない、そこをどけろ」とソードブレードを構えた。健司は二人の前に立って「上等だよ、このデク野郎」と凄んで見せた。ノーペイン・ノーゲインは黙って健司を殴った。健司は後ろに吹き飛んで意識を失った。知樹はエレベーターを上って最上階までたどり着いた。
「脳みそぶちまけろよ」とノーペイン・ノーゲインを殴った。
物凄い音と振動がビルを揺らした。が、ノーペイン・ノーゲインの左手を破壊しただけだった。「残念だったな小僧」と知樹の顔を右手の軍事用サイバーウェアで殴ると知樹は顔面が潰れた。そして、頭から地面に倒れると完全に意識を失った。
里奈は覚悟を決めていた。先生を守るために。
「先生は私が必ず守る」と言うとノーペイン・ノーゲインの足を蹴った。ノーペイン・ノーゲインは微動だにしなかった。
「今井、お前だけは先生が守るから」と先生が叫んだ。里奈を庇うように前に立った。
ノーペイン・ノーゲインはソードブレードを先生の胸の中心に深く突き刺した。先生はとても幸せそうな顔をしていた。「先生」と里奈が泣き叫ぶ。先生は「良いんだ、これで、今井、お前は幸せになれよ」と言った。
里奈にとって先生は最後まで先生だった。
ノーペイン・ノーゲインは鈴木武夫を始末すると、静かにその場を離れた。
◆登場人物
◆木下知樹 十七歳、物語の主人公。
◆松田健司 十八歳、ストリートギャング(バッズ)のメンバー。
◆今井里奈 十七歳、女子高生。
◆鈴木武夫 三十三歳、元教員。
◆ノーペイン・ノーゲイン 年齢不明、アメリカでは超一流の殺し屋。名前の意味は「痛みなくして得るものなし」
◇設定資料
◇サイバーワールド(電脳世界)ネットワーク上で構築された仮想世界。非営利団体、サンセットシステム【アメリカ】が開発した。
◇サイバーグラス、電脳世界と人を繋げる装置。形状はブイアールゴーグル。
◇メトロニック社【アメリカ】アメリカ国内最大手の医療メーカー。医療ポッドの肉体再生が主流の老舗メーカー。
◇全身義体、人間の体を完全に機械で置き換えたサイボーグのこと。




