第九話 どうしてこんな目に
とにかく私は、息を殺して階段を下り続けた。
――そしてついに、地上の出口らしき扉を発見した。
(やった! 出口発見!)
勝利のガッツポーズを取りかけたその瞬間、扉の前に立っている人物に気づいて凍りつく。
(やっぱり……衛兵が常駐、してる……)
扉の前には、眠そうな顔をした衛兵がしっかりと立っていた。
道中監視カメラもなかったから、見張りがいるのは当たり前のことだ。
そう簡単には脱出させてくれないらしい。
(ていうか、あの助けてくれた人! なんで私を一人にしたんだ。一緒に脱獄してくれたってよくない!?)
心の中で悪態をつきながら、私はすごすごと引き返す。
(さて、どうする……他に出られる場所は……)
思いついたのは、ひとつ。
(窓……! 窓からなら、出られるんじゃない!?)
この牢獄にも窓――というか石の壁に空いた穴は何箇所かあったはず。しかも、今は夜。目立たなければ、バレずに飛び降りられる可能性もある。
私は気配を殺しながら、再び階段をのぼり始めた。
(たしか……上の階に大きめの窓があった気がする)
そうして見つけたのは、三階の突き当たりにある大きな窓だった。
幸運なことに、ガラスも格子もついていない。石造りの壁にぽっかりと空いた、まるで「どうぞご自由に」と言ってるような、そんな開けっ広げな穴だった。
私はそっと近づき、外を覗いた。
(……水?)
窓の下には、幅広い水路のようなものが広がっていた。
城の周りを囲う堀のようなものだ。
暗くて底までは見えないが、落ちれば全身ずぶ濡れなのは確定だ。
(これ、飛び降りても大丈夫なのかな……)
よく見れば、結構な高さがある。
地上から三階ぶんの高さと考えていたが――もっとあるかもしれない。
(思ったより高い!!)
背筋がゾワッとした。
高いところから飛び込めば、水もコンクリートのようにかたくなると聞いた覚えがある。
(さすがに死にはしないと思うけど……水の中にワニみたいな魔物がいたらどうしよう!? それに、飛び込んだ音でバレるんじゃ……)
不安がぐるぐると脳内を巡る。でも、ここまで来た以上、選択肢はそう多くない。
(ごちゃごちゃ考えたも無駄だ。飛び降りるしか、ない……!)
私は石の縁に手をかけ、そろそろと足をかけた。
夜風が冷たい。
どのみち出口には衛兵がいるんだから、正面の扉から出るのは無理なことだ。
だったら、迷ってる場合じゃない。
(いける、いける。元の世界で何徹したと思ってるんだ、これくらい余裕でこなせるって信じよう!)
根性を見せるときがきたのだ。
私は一度だけ深呼吸し、足に力を込めた。
(行くぞ!)
――ドボンと大きな音を立てて、冷たい水が全身を打つ。
私は水中で必死にばたついた。
「ぷはっ……!」
何とか顔を水面に出し、必死に泳いで陸地の方にたどり着く。
ごつごつした石の段差に指を立て、腕に力を込めてよじ登る。
(た、助かった……)
ずぶ濡れの服が重い。水がしたたって、靴の中もぐしょぐしょだ。
髪は頬に張り付き、全身から泥臭い匂いが漂っていた。
(なんか若干生臭いけど……体と服が洗えたってことで、よしとしよう)
息を整え、辺りを見回した。
月の光に照らされる石畳の道は、静まり返っている。
人の気配はない。
(とりあえず、ペルが住んでいた森の家に戻ろう。あそこなら、きっと見つかりにくいはず)
音を立てないよう、そろそろと歩き出した。
濡れた服が肌に張り付いて気持ち悪いが、文句を言っている場合じゃない。
(……しかし、どうしてこんな目に)
一人で歩いていると、どうしても余計なことを考えてしまう。
胸がじんわりと苦しくなる。
(私、別に悪いことなんてしてないのに……)
ただ、ちょっと異世界に来ちゃって、ちょっと女の子とご飯を食べて、ちょっと名刺を出しただけなのに。
(幼い女の子と二人でご飯を食べたのは、流石に不味かったか……? だけど、それだけで牢屋に入れられて、逃げるはめになって、こんな泥だらけになって……)
歩きながら、涙が滲んできそうな気持ちだった。
自分でもびっくりするくらい、心細かった。