第四話 街へ行こう
「私ね……今まで一人でいるのが好きだったの」
光が差し込むキッチンへ移動して、ペルがぽつりと呟いた。
「でも森で倒れてるお姉さんを見つけたとき、不思議と助けなきゃって思ったの。……いつもの私なら知らない人なんてどうでもいいはずなのに」
ペルは、窓の外の風景を見つめる。
「あのときのこと、今でもうまく説明できないの。不思議な気持ちだった……胸の奥がぎゅってなって、何かに引き寄せられるみたいに感じたの」
そしてふっと笑って、
「……もしかして、お姉さんって、天使さん?」
ペルは、まだ少し名残惜しそうに私の顔を見ていた。
「いや、そんなことないけどね? でも本当にありがとう」
なぜペルが見知らぬ私を助けようと思ったのかは、正直よくわからない。
もしかしたら異世界転移の際に、神さま的な存在が“加護”とか“ギフト”を与えてくれたとか、そういうやつかもしれない。
(となると私、チート能力持ちで最強に? それとも追放されるパターン……?)
――青山琴子の異世界知識は、実にファジーであった。
まあ何にせよ、ペルが助けたいと思ってくれたことに感謝だ。
もしかしたら、私の日本人らしい容姿がこの世界では珍しく見えたのかもしれない。
なにしろ、ペルの造形はまるで芸術品だ。
透き通るような肌、宝石みたいな瞳、天使のような癖毛。
隣に並ぶと、私の顔面偏差値が低下して感じるのは気のせいではないだろう。
そんな美少女ペルが、今は機嫌よく鼻歌を歌いながらキッチンに立っている。
どうやら、軽食を作ってくれているらしい。
見覚えのある食材が並んでいる。ベーコンらしきもの、卵、パン。
思ったよりも、日本とそんなに変わらないようで一安心だ。
ジュッ、と油がはねる音とともに、食欲をそそる匂いが部屋に満ちる。
そして、私の胃袋がそれに応えるように――
……ぐぅ~
と鳴った。
「コトコお姉さん、お腹減ってるよね……もう少しでできるから、待っててね。簡単なものしか作れないけど……」
そう言って振り返るペルの笑顔が、すごくまぶしい。
誰かが私のために作ってくれるご飯なんて、いつぶりだろう。
バレンタインに部下がくれた手作りクッキーが最後だったような……。
ここのところプロテインバーで命をつないできた私は、完全に飢えていたのだ。
愛のこもった食事に。
「パンもね、手作りなんだよ」
手作りのパン。余計に食欲をそそる。
「できたよ!」
そう言って、焼きたてのベーコンエッグをパンにのせたプレートが差し出された。
「いただきます!!」
反射で叫び、がっつく私。少々はしたないが、仕方ない。
「お、美味しすぎる……!!」
ジュワッと広がる旨味、サクッとしたパンの歯ごたえ。これは……幸せの味だ。
思わず涙腺がゆるむ。
「私、料理が好きなの……。コトコお姉さんに、もっといろいろ作ってあげたいな。私の好きなものを、お姉さんにも好きになってもらえたら嬉しい」
ペルはそう言って、ふわりと笑った。
その笑顔は、まるで朝の光みたいにやわらかくて、心がほぐれていく。
なんて良い子なんだ。
「ありがとうペル、すっごく美味しいよ。私にもできることがあったら、なんでも言ってね」
美味しいごはんに、やさしい言葉。ぐっすり眠れて、胃も心も満たされている。
……このままじゃ、健康になってしまうじゃないか。
社畜としてのアイデンティティが崩壊する。
「……あっ」
ペルが小さく声をあげた。
「調味料が、ちょっと切れかけてる。街まで買いに行かなきゃ」
私は心の中で、ガッツポーズを決めた。
(街! 文明! 文化圏! この世界の情報が得られるチャンスだ)
「ペル、私も行くよ。荷物とか任せてね」
笑顔で言うと、ペルは少し戸惑い、もじもじしながら答えた。
「ほんとは……街、あんまり好きじゃないの。人がいっぱいで、ちょっと……」
そっか。確かにペルは、“一人が好き”と言っていた。
おそらく、人混みが苦手なタイプなんだろう。
私だって、満員電車は無理だった。
まあ最近は会社に泊まってたから、そもそも乗ってなかったけれど。
「大丈夫だよペル、一緒に行こう?」
優しく声をかけると、ペルはふと真顔になって、
「……コトコお姉さんは、おうちにいなきゃダメ、だよ?」
思わぬ発言が返ってきた。
「街は危ないの……。だから、お姉さんはここにいて。ね?」
念押ししてくるペルの瞳は、どこか切実だった。
でも、私は情報を集めなきゃならない。
ここで足踏みしてる場合じゃないのだ。
――というわけで、ちょっと小狡い手を使わせてもらう。
ペルは私に少なからず好意を抱いてくれているはずだ。
私は椅子を降り、目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。そして、そっと優しく、言葉を紡ぐ。
「ペル、私、ペルのことが心配なの。危ない街で、ペルのことを守りたいんだ」
じっと、緑の瞳を見つめる。目を逸らさせない。
――数秒の沈黙。
やがてペルは、小さく頷いた。
「……わかった。コトコお姉さんと一緒に行く」
その声は、小さくても確かな決意だった。
よしっ!
私は心の中で、ガッツポーズを決める。
街へ行ける。
きっと、そこから何かが始まる。