第二十八話 火種
朝の光が差すことのない書庫に、魔術灯の柔らかな光が灯っていた。
天井から吊るされた半透明の球体が、一定のリズムで揺れながら、棚の背表紙を静かに照らしている。
高窓はあるものの、厚手の遮光布がぴたりと閉じられていて、外の気配は感じられない。
ここは王国の知の宝庫――膨大な資料を守るため、光と湿気を徹底して管理されているようだ。
そんな静謐な空気の中、私は軽く腕を回しながら気合いを入れた。
異世界に来て、はじめての仕事。
たしかにこれはただの雑務――でも、私は真剣だった。
まず着手したのは、本棚の番号の割り付け。巻物と本を完全に分離し、ジャンル別にラベルを貼る。
そして、歴史系、魔術系、政治系などにざっくり分類し、タグの色まで整えていく。
「パソコンがあったらなあ〜。管理がもっとラクになるんだけどな〜」
そうぼやきつつも、元の世界で鍛えた業務スキルが火を吹く。
内容が重複している巻物は、情報を一冊にまとめて分類フォルダに収納。
破損していたものには「修復予定」ラベルをつけ、専用の保管箱に。
書類整理の基本、それは使う人の気持ちになって考えること。
――ふと手を止めて、思い出す。
「……ていうかこの世界、車あったよね。車作れる技術あるならパソコンもあるんじゃないの?」
この世界の科学技術はどうなっているのか、という疑問が湧く。
確かに車はあった。飛んだけど。
「あれって車みたいな見た目してるだけで、実際は魔道具の一種なのかな」
外見がSFっぽく見えるのは、異世界人が持ち込んだ技術の残滓を、この世界の住民がなんとなく使っているだけ……とか。
異世界人のテクノロジーを、魔術のフレームで解釈して再利用しているだけ?
と、そんなことを考えながらも、夢中で作業していると、いつの間にか午前が終わっていた。
私は台帳を閉じてふぅと一息ついた。
「よし。ここまでくれば、午後からはあっちの棚を片付けられそう」
書類整理、分類、記録――すべて順調。
私は壁の時計に目をやった。
「そろそろ、ペルと約束した時間だね」
焦りはない。
むしろ完璧な時間配分で、きっちり一区切りつけてからの退室。
これぞ社畜OLの底力だ。
書庫の扉を開ける前に、整えた日報の下書きを机に置く。
そうして廊下を歩く侍女に一声かけてから、私は城の外に出た。
(お腹すいたな〜っ)
昼の光の中、私は歩き出した。
* * *
異世界人・コトコさんを書庫へ送り届けた後、僕は執務室へ戻った。
王城の一角、戦術書や地図が広がる静かな部屋。
上官であるノクス様は、山のような書類に目を通しながら、淡々とペンを走らせていた。
「どうしてあのような無意味な仕事を……」
静かに眉をひそめる。
わからない。わからない。未だ何の役にも立っていない異世界人の我儘に付き合う、優秀な上官の思惑が。
それに…
「魔術で分類すれば、書庫の整理など一日で終わります。あえて手作業にこだわる理由が、どこに? コトコさんにはもっと他に――」
「なるべく、この城の中にいてもらうためですよ」
言葉を遮るように、ノクス様はさらりと言った。
視線は資料から上がらない。――こちらを正面から見る必要もない、とでも言うように。
「今、王国が置かれている状況を……貴方も理解しているでしょう? コトコ様の存在を公にして、もしものことがあったらどうするつもりですか?」
少し呆れたような声音だった。
――しまった。余計なことを言った。そう思い、無言のまま頷いた。
「隣国は、かなり危険な状態です。異世界人の力で、各国の密偵が次々に炙り出され、処刑されている」
その声は、低く、冷ややかだった。
実際、その通りだ。
かつて密偵として隣国に潜入していた自分からすれば、あの異世界人は――ただの、下劣な若者だった。
人を人とも思っていない。
奢侈の限りを尽くす、品性なき外道。
そうした振る舞いに、周囲の国々も危機感を抱いたのだろう。
各国が密偵を送り込み、そして、次々と処刑された――その光景を、この目で見てきた。
「貴方だってその一人になっていたかもしれない。
……マーネ、よく無事で帰ってきてくれました」
先ほどとは違った優しい声音。
「帰ってくるまでが任務ですから」とだけ答える。
「現在、隣国では有力な奴隷商会の廃業が相次いでいます。
国の基盤となる産業の崩壊は、国家運営に大きな影響を与える。
今回の戦争には、新たな奴隷を確保するという側面もあるのでしょう。
矛先がユアロスに向かなくて良かったとも言えますが――」
ノクス様は手元の書類を一枚、静かにトンと揃えると、ぽつりと続けた。
「いずれにしても、コトコ様の存在が火種になる可能性は、十分にあります。
だからこそ――あの方を表に出すわけにはいかないのです。
……わかったら、自分の持ち場へ戻りなさい。マーネ」
「はい」と、聞き分けのいいふりをして頭を下げた。
そのまま、音も立てずに部屋を出る。
しかし内心では疑念に溢れていた。
(ノクス様は、あの異世界人を特別視しすぎている。
力の片鱗すら見せていないにもかかわらず――。
……確かに、人間性は隣国の異世界人と比べれば、遥かにまともだ。
たまに浅ましい顔をすることもあるが、周囲に害がない分、許容範囲だろう。
だが、本来異世界人に求められるのは“力”だ。
その点、隣国は恵まれているのかもしれない。
何の取り柄もなかった小国が、今や他国を脅かす存在になったのだから。
ユアロスだって――コトコさんが力を持てば、もっと大国になれるかもしれないのに。
……それに、隣国の奴隷商会の“廃業”なんて、妙な話だ。
そもそも廃業するメリットが思いつかない。
王も、今や王に匹敵するほどの権力を持った異世界人も、奴隷制度には大賛成だったはずだ。
なのに、なぜ? おかしい。奇妙だ。理屈が通らない)
考えがまとまらないまま、自分の業務へと戻った。




