第二十六話 お願い、働かせて?
部屋に戻ると、またひとりぼっちだった。
あれから、どれくらい時間が経っただろう。
私は、ベッドの上で寝返りを打ち、ため息ばかりついていた。
(……暇すぎる)
誰も来ないので、話し相手もいない。
決まった時間になると、食事が運ばれてきて、お風呂の支度まで整っている。
私が何もしなくても、すべてが完璧に揃っている。
(至れり尽くせりの生活……だけど、やっぱりなんか違うんだよなあ)
誰からも、何も求められない毎日って、こんなにも空虚だったっけ?
ぐるりと周囲を見渡すと、部屋の隅にある立派な本棚が目に入った。
その中の一冊――『世界史』と書かれた分厚い本を手に取ってみる。
金色の文字で飾られた表紙に反して、中身は意外と読みやすかった。
まるで物語みたいにスラスラと頭に入ってくる。
異世界人が祝福をもたらしたという神話じみた逸話から、異民族との戦争、周辺諸国との緊張関係。
意外なほど現実的な記録が並んでいた。
現代の歴史書みたいに客観的ってわけじゃないけど、この世界が異世界人とどう向き合ってきたのか、その軌跡がたしかに刻まれていた。
(うわぁ……異世界人、めちゃくちゃ神聖視されてる……そりゃノクスも大事にするよね)
でも――悪意ある異世界人による被害も、ゼロじゃなかったみたいだ。
そういった黒い歴史にも、ちゃんと触れられていた。
ちょっと頭が重くなってきたころ、私は本を閉じて立ち上がる。
気分転換にお風呂でも入ろうかな――そう思って、そっと侍女に声をかけた。
* * *
浴室は、相変わらず貸し切り状態だった。
高い天井に、壁は大理石のような石造り。
湯からは、ハーブの良い香りが立ちのぼる。
まるで高級スパ――なのに、なぜだか今日は落ち着かない。
(こんなすごいお風呂、前まではテンション上がってたのに……)
髪は、いつも侍女に洗ってもらっている。
最初は「結構です」と断っていたけれど、「決まりですので」ときっぱり返されて――それ以来、観念してお願いすることにしている。
(これも、すごく申し訳ないんだよなあ。私なんて貴族でもなんでもない、ただの一般人なのに)
恥ずかしいので、身体だけは流石に自分で洗う。
その後、湯に肩まで浸かると、じんわりと疲れがほどけていく。
でも、心まではほぐれない。
鼻の下まで湯に沈みながら、ぼんやり考える。
(……このままで、いいのかな、私)
異世界に来てからずっと、なんとなく流されてここまで来た。
でも、このままじゃ――ただの「珍しいペット」みたいなものだ。
何もしていないのに、高待遇だけは受けている。そのことが、どうしようもなく気持ち悪かった。
「……ふう」
小さく吐いたため息に、侍女がぽつりと声を落とす。
「隣国が起こした戦争、激しくなってきたみたいですよ」
「えっ……?」
驚いて振り返ると、侍女は湯の温度を確かめるような手つきのまま、無表情で続けた。
「隣国の異世界人のせいです。かなり粗暴な方だとか。……その影響で、今、我が国も軍備を強めているそうです」
「そうなんだ……」
暖かい湯に浸かっているはずなのに、胸の奥が、冷たい水の底に沈められたみたいにざわついた。
ついこの間まで、私はただの会社員で。
毎日、何かに追われて、深夜――いや、朝方まで働いていた。
それが当たり前だった。
戦争なんて、いつだって遠いニュースの中の話でしかなかった。
けれど今は違う。
この世界は、思っていたよりもずっと――現実的で、恐ろしい。
隣国の異世界人って、どんな人なんだろう。
何を考えて、何のためにこの世界で戦ってるんだろう。
* * *
夜、ベッドに入っても眠れなかった。
暗闇の中で、考えがぐるぐると巡る。
(……このままじゃダメだよね。
元の世界にいたときより、ずっと元気なのに。無職でヒモって、さすがにない……。
そもそも異世界人って、国を守る存在なんじゃなかったっけ? 何もしてない私って、普通にやばくない?)
そんなときだった。
コン、コン――
静寂を破る控えめなノック。
「……?」
時計を見ようとしたが、異世界の文字盤は咄嗟に読めない。
ただ、かなり深い時間だというのは肌で感じた。
「コトコ様、起きていらっしゃいますか?」
落ち着いた低音――ノクスの声だった。
「少しだけ、お話がしたくて。よろしければ、扉を開けていただけますか」
(こんな時間まで……働いてるの?)
その社畜ぶりにちょっとゾッとしつつも、私はそっと扉を開けた。
「お疲れ様、起きてたよ」
そう言って、ノクスを部屋へ招いた。
――本来なら、深夜に男を招くなんてありえない。でも、相手がノクスなら大丈夫。
優しいし、紳士だし。そもそも私なんて、そういう対象にすらならないだろう。
(まあ、私だって……元の世界じゃ、それなりに……だったけど)
空しくなって、思考を打ち切る。
ノクスがソファに腰を下ろすのを見て、私は侍女が寝る前に用意してくれたハーブティーを差し出した。
すっかりぬるくなっていたのに、ノクスは嬉しそうに受け取ってくれた。
「ありがとうございます」
服装は昼と変わらず、きっちりしたままだ。
「……こんな時間まで働かされてるの?」
思わず聞くと、ノクスは困ったように笑って、軽く頷いた。
(まあ深夜残業って、妙にやる気出たりして、捗るからねえ)
「私はいいんです。それよりもコトコ様、訪ねてきた私が言うのも何ですが、こんな時間まで起きてらっしゃるなんて……」
「だって、ずっと暇だったんだよ? 体力余って眠れなくてさ」
そう言うと、ノクスの表情が曇った。
(ノクスのやつ、本当に私を働かせたくないんだな……)
間がもたず、私は話題を変える。
「そ、そういえば今日、部屋にあった歴史書を読んだんだけど、面白いねこの世界の話も……」
ちらっと顔をうかがってみるものの、さっきと変わらず陰りのある表情のままだ。
(こりゃもう、直球でいくしかないか)
私は姿勢を正して、意を決したように言った。
「――あのさ、自分で言うのもなんだけど、私、元の世界では結構、優秀だったんだよ。
だからお願い、私にも何か協力させて。
もう黙って外出したりしない。心配なら、ノクスの補佐でも何でもいいから」
そして少し間を置いてから、確信を込めて続ける。
「私の力って、“悪人を改心させる力”なんでしょう? だったら、今みたいな状況こそ、役に立つんじゃないかなって思ったんだけど……どう?」
ノクスの、綺麗な瞳が揺れた。
そしてゆっくり口を開いた。
「コトコ様はお優しいですね。
――ですが、何かあっては困ります。私にとって、ユアロスにとって、それは……受け入れがたいことですから」
その一言に、私は確信する。
――ノクスの中で、何かが引っかかっている。
こういう時、必要なのは押しだ。熱意。言葉にしてぶつけること。
「私に、協力させてほしい」
ノクスの表情がわずかに変わる。息を呑んだ気配が伝わってきた。
「コトコ様……」
その反応に、私は続けた。
「今まで、すごく良くしてもらったし。ちゃんと、恩返しさせて」
二十七歳無職――そんな肩書でいるのは、もう限界だ。
なりふり構っていられない。
それに、こんなに良くしてもらって、何もせずに元の世界に戻るなんてことも、私にはできない。
せめて、この戦争の脅威を解決してから、帰ろう。
帰る方法はまだ不明だけど。
私はそっとソファから立ち上がって、ノクスの目の前に膝をつく。
そして、真正面からその緑の瞳をとらえた。
「お願い、ノクス。……絶対、役に立つから」
とびきり優しく、でも決して引かない声で。
ペルにお願いしたときと同じように――
ノクスが、私に甘いってことくらい、もう知ってる。
――沈黙が、数秒。
やがて、ノクスは小さく頷いた。
「……わかりました。何か、考えましょう」
その瞬間、私は心の中でガッツポーズを決めた。
嬉しさのあまり、思わずくるりと回りながらソファに戻る。
そんな私を見て、ノクスが苦笑した。
「……あまり、他の方には、ああいうお願いの仕方はなさらない方が良いですよ」
その言葉に、私はギクッとした。
(確かに……至近距離で見つめたりして、ほぼセクハラ?)
じわじわと羞恥心が押し寄せてきて、思わず目を逸らす。笑ってごまかすしかなかった。
「あはは……ごめん。歳下相手にあれはアウトだよね……。…………セクハラで訴えないでね……」
後半はほとんど呟きだった。ノクスに届いてない可能性は高い。
結果的には願いが叶ったけれど、なんとも言えない後味が残る。
そんな私に、ノクスが少し困ったような笑みを浮かべた。
「いえ、そういう意味では……。
それに、私はもう二十七です。おそらく、コトコ様より年上かと」
「えっ!?」
驚いて顔を上げる。ノクスの目を思わず見つめ返していた。
「そうなの!? 私も二十七! 同い年じゃん!」
思わず声が弾んだ。
良かった――歳下のヒモという、汚名が払拭された。
(同い年……なんて素敵な響き……!)
勝手に安堵し、胸を撫で下ろす私の隣で、ノクスが少し意外そうな表情を浮かべていた。
「そうでしたか。失礼ながら、二十ぐらいかと……」
「やだー! それは言い過ぎでしょー!」
お世辞でも、やっぱり嬉しい。
ノクスは、少し照れたように柔らかく微笑んでいた。
その表情に、素の姿を見れたような気がした。
(なんか、ちょっとだけ距離、縮まったかも!)
そのあとは、他愛もない雑談をぽつぽつと交わした。
そして、小一時間が過ぎた頃、ノクスは「おやすみなさい」と丁寧に一礼して部屋を後にした。
私は満ち足りた気持ちでベッドに潜り込み、ふうっと息を吐いた。
――ノクスが来てくれて、よかった。明日は良い日になりそうだ。
でも、そういえばノクスって、何の用で来たんだっけ?




