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誰を選んでも後悔しそうな異世界ラブコメ  作者: 谷口凧
第二章:二十七歳無職、仕事をください
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第二十六話 お願い、働かせて?

 部屋に戻ると、またひとりぼっちだった。


 あれから、どれくらい時間が経っただろう。

 私は、ベッドの上で寝返りを打ち、ため息ばかりついていた。


 (……暇すぎる)


 誰も来ないので、話し相手もいない。

 

 決まった時間になると、食事が運ばれてきて、お風呂の支度まで整っている。

 

 私が何もしなくても、すべてが完璧に揃っている。


 (至れり尽くせりの生活……だけど、やっぱりなんか違うんだよなあ)


 誰からも、何も求められない毎日って、こんなにも空虚だったっけ?


 ぐるりと周囲を見渡すと、部屋の隅にある立派な本棚が目に入った。

 その中の一冊――『世界史』と書かれた分厚い本を手に取ってみる。


 金色の文字で飾られた表紙に反して、中身は意外と読みやすかった。

 まるで物語みたいにスラスラと頭に入ってくる。


 異世界人が祝福をもたらしたという神話じみた逸話から、異民族との戦争、周辺諸国との緊張関係。

 意外なほど現実的な記録が並んでいた。


 現代の歴史書みたいに客観的ってわけじゃないけど、この世界が異世界人とどう向き合ってきたのか、その軌跡がたしかに刻まれていた。


 (うわぁ……異世界人、めちゃくちゃ神聖視されてる……そりゃノクスも大事にするよね)


 でも――悪意ある異世界人による被害も、ゼロじゃなかったみたいだ。

 そういった黒い歴史にも、ちゃんと触れられていた。


 ちょっと頭が重くなってきたころ、私は本を閉じて立ち上がる。

 気分転換にお風呂でも入ろうかな――そう思って、そっと侍女に声をかけた。


* * *


 浴室は、相変わらず貸し切り状態だった。


 高い天井に、壁は大理石のような石造り。

 湯からは、ハーブの良い香りが立ちのぼる。


 まるで高級スパ――なのに、なぜだか今日は落ち着かない。


 (こんなすごいお風呂、前まではテンション上がってたのに……)


 髪は、いつも侍女に洗ってもらっている。


 最初は「結構です」と断っていたけれど、「決まりですので」ときっぱり返されて――それ以来、観念してお願いすることにしている。


 (これも、すごく申し訳ないんだよなあ。私なんて貴族でもなんでもない、ただの一般人なのに)


 恥ずかしいので、身体だけは流石に自分で洗う。


 その後、湯に肩まで浸かると、じんわりと疲れがほどけていく。

 でも、心まではほぐれない。


 鼻の下まで湯に沈みながら、ぼんやり考える。


 (……このままで、いいのかな、私)


 異世界に来てからずっと、なんとなく流されてここまで来た。

 でも、このままじゃ――ただの「珍しいペット」みたいなものだ。

 

 何もしていないのに、高待遇だけは受けている。そのことが、どうしようもなく気持ち悪かった。


 「……ふう」


 小さく吐いたため息に、侍女がぽつりと声を落とす。


 「隣国が起こした戦争、激しくなってきたみたいですよ」


 「えっ……?」


 驚いて振り返ると、侍女は湯の温度を確かめるような手つきのまま、無表情で続けた。


 「隣国の異世界人のせいです。かなり粗暴な方だとか。……その影響で、今、我が国も軍備を強めているそうです」


 「そうなんだ……」


 暖かい湯に浸かっているはずなのに、胸の奥が、冷たい水の底に沈められたみたいにざわついた。


 ついこの間まで、私はただの会社員で。

毎日、何かに追われて、深夜――いや、朝方まで働いていた。

 それが当たり前だった。

 

 戦争なんて、いつだって遠いニュースの中の話でしかなかった。


 けれど今は違う。

 この世界は、思っていたよりもずっと――現実的で、恐ろしい。


 隣国の異世界人って、どんな人なんだろう。

 何を考えて、何のためにこの世界で戦ってるんだろう。


* * *


 夜、ベッドに入っても眠れなかった。

 暗闇の中で、考えがぐるぐると巡る。

 

 (……このままじゃダメだよね。

 元の世界にいたときより、ずっと元気なのに。無職でヒモって、さすがにない……。

 そもそも異世界人って、国を守る存在なんじゃなかったっけ? 何もしてない私って、普通にやばくない?)


 そんなときだった。


 コン、コン――

 静寂を破る控えめなノック。


 「……?」


 時計を見ようとしたが、異世界の文字盤は咄嗟に読めない。

 ただ、かなり深い時間だというのは肌で感じた。


 「コトコ様、起きていらっしゃいますか?」


 落ち着いた低音――ノクスの声だった。


 「少しだけ、お話がしたくて。よろしければ、扉を開けていただけますか」


 (こんな時間まで……働いてるの?)

 

 その社畜ぶりにちょっとゾッとしつつも、私はそっと扉を開けた。


 「お疲れ様、起きてたよ」


 そう言って、ノクスを部屋へ招いた。

 

 ――本来なら、深夜に男を招くなんてありえない。でも、相手がノクスなら大丈夫。

 優しいし、紳士だし。そもそも私なんて、そういう対象にすらならないだろう。

 

 (まあ、私だって……元の世界じゃ、それなりに……だったけど)


 空しくなって、思考を打ち切る。


 ノクスがソファに腰を下ろすのを見て、私は侍女が寝る前に用意してくれたハーブティーを差し出した。

 

 すっかりぬるくなっていたのに、ノクスは嬉しそうに受け取ってくれた。


 「ありがとうございます」


 服装は昼と変わらず、きっちりしたままだ。


 「……こんな時間まで働かされてるの?」


 思わず聞くと、ノクスは困ったように笑って、軽く頷いた。

 

 (まあ深夜残業って、妙にやる気出たりして、捗るからねえ)


 「私はいいんです。それよりもコトコ様、訪ねてきた私が言うのも何ですが、こんな時間まで起きてらっしゃるなんて……」


 「だって、ずっと暇だったんだよ? 体力余って眠れなくてさ」


 そう言うと、ノクスの表情が曇った。


 (ノクスのやつ、本当に私を働かせたくないんだな……)


 間がもたず、私は話題を変える。

 

 「そ、そういえば今日、部屋にあった歴史書を読んだんだけど、面白いねこの世界の話も……」

 

 ちらっと顔をうかがってみるものの、さっきと変わらず陰りのある表情のままだ。

 

  (こりゃもう、直球でいくしかないか)


 私は姿勢を正して、意を決したように言った。

 

 「――あのさ、自分で言うのもなんだけど、私、元の世界では結構、優秀だったんだよ。

 だからお願い、私にも何か協力させて。

 もう黙って外出したりしない。心配なら、ノクスの補佐でも何でもいいから」


 そして少し間を置いてから、確信を込めて続ける。

 

 「私の力って、“悪人を改心させる力”なんでしょう? だったら、今みたいな状況こそ、役に立つんじゃないかなって思ったんだけど……どう?」


 ノクスの、綺麗な瞳が揺れた。

 そしてゆっくり口を開いた。


 「コトコ様はお優しいですね。

 ――ですが、何かあっては困ります。私にとって、ユアロスにとって、それは……受け入れがたいことですから」


 その一言に、私は確信する。

 ――ノクスの中で、何かが引っかかっている。


 こういう時、必要なのは押しだ。熱意。言葉にしてぶつけること。


 「私に、協力させてほしい」


 ノクスの表情がわずかに変わる。息を呑んだ気配が伝わってきた。


 「コトコ様……」


 その反応に、私は続けた。


 「今まで、すごく良くしてもらったし。ちゃんと、恩返しさせて」


 二十七歳無職――そんな肩書でいるのは、もう限界だ。

 なりふり構っていられない。

 

 それに、こんなに良くしてもらって、何もせずに元の世界に戻るなんてことも、私にはできない。


 せめて、この戦争の脅威を解決してから、帰ろう。

 帰る方法はまだ不明だけど。


 私はそっとソファから立ち上がって、ノクスの目の前に膝をつく。

 そして、真正面からその緑の瞳をとらえた。


 「お願い、ノクス。……絶対、役に立つから」


 とびきり優しく、でも決して引かない声で。

 ペルにお願いしたときと同じように――

 ノクスが、私に甘いってことくらい、もう知ってる。


 ――沈黙が、数秒。


 やがて、ノクスは小さく頷いた。


 「……わかりました。何か、考えましょう」

 

 その瞬間、私は心の中でガッツポーズを決めた。

 嬉しさのあまり、思わずくるりと回りながらソファに戻る。


 そんな私を見て、ノクスが苦笑した。


 「……あまり、他の方には、ああいうお願いの仕方はなさらない方が良いですよ」


 その言葉に、私はギクッとした。

 

 (確かに……至近距離で見つめたりして、ほぼセクハラ?)

 

 じわじわと羞恥心が押し寄せてきて、思わず目を逸らす。笑ってごまかすしかなかった。


 「あはは……ごめん。歳下相手にあれはアウトだよね……。…………セクハラで訴えないでね……」


 後半はほとんど呟きだった。ノクスに届いてない可能性は高い。


 結果的には願いが叶ったけれど、なんとも言えない後味が残る。

 そんな私に、ノクスが少し困ったような笑みを浮かべた。


 「いえ、そういう意味では……。

 それに、私はもう二十七です。おそらく、コトコ様より年上かと」


 「えっ!?」


 驚いて顔を上げる。ノクスの目を思わず見つめ返していた。


 「そうなの!? 私も二十七! 同い年じゃん!」


 思わず声が弾んだ。

 良かった――歳下のヒモという、汚名が払拭された。


 (同い年……なんて素敵な響き……!)


 勝手に安堵し、胸を撫で下ろす私の隣で、ノクスが少し意外そうな表情を浮かべていた。


 「そうでしたか。失礼ながら、二十ぐらいかと……」


 「やだー! それは言い過ぎでしょー!」


 お世辞でも、やっぱり嬉しい。

 ノクスは、少し照れたように柔らかく微笑んでいた。

 

 その表情に、素の姿を見れたような気がした。


 (なんか、ちょっとだけ距離、縮まったかも!)


 そのあとは、他愛もない雑談をぽつぽつと交わした。


 そして、小一時間が過ぎた頃、ノクスは「おやすみなさい」と丁寧に一礼して部屋を後にした。


 私は満ち足りた気持ちでベッドに潜り込み、ふうっと息を吐いた。


 ――ノクスが来てくれて、よかった。明日は良い日になりそうだ。


 でも、そういえばノクスって、何の用で来たんだっけ?

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