第二十四話 パンを盗んだ王子様
観光地の宿で一泊してから、翌朝、私はノクスと一緒に城へ戻った。
帰りももちろん、例の飛ぶ車。
離陸と着陸のとき、さすがにもう絶叫はしなかったけど――ちょっとだけ叫びそうにはなった。
そして、城に戻った私はというと。
完全に、ぐうたらモードに突入していた。
することもないので、ほとんど部屋に引きこもり、侍女とおしゃべりを楽しみ、ご飯をもりもり食べて、たまに庭を散歩する。
ペルがお弁当を持って訪ねてきてくれる日もあって、そのときは一緒にピクニックへ出かけた。
学校に通う彼女の話を聞きながら、芝生の上で寝転ぶ時間は、ちょっとした贅沢だった。
毎晩、悪夢は見る。
けれど、それを差し引いても、これは“至福”と言っていい日々だった。
元の世界では、常に仕事のことばかり考えていた。
けれど今は、なーんにも考えなくていい。
幸せすぎて、脳みそもきっと喜んでいる。
――このくらい、いいよね。
頑張ってたもん、私。
この世界では、ちょっとくらい休んでもバチは当たらない。
そんな風に開き直ってから、一週間ほど経ったころだった。
――ある日、城がなんだか騒がしかった。
聞き耳を立ててみると、どうやら隣国が突然、戦争を始めたらしい。
幸い、今のところユアロスには攻めてきていないらしいが、城内は妙にバタバタしている。
あれほど私の部屋に顔を出していたノクスも、次第に姿を見せなくなり、ついにはぱったり来なくなった。
ほんの少しだけ、寂しいと感じてしまったのは、暇すぎるせいだ。
ペルも、学校や家の事が忙しくなったのか、顔を出す頻度が減っていった。
忙しそうな侍女たちを引き止めるのも悪い気がして、私は更に暇になっていった。
――とにかくやることがない。
いつもは城内をうろついて時間を潰していたけれど、それももう飽きた。
今日は、街へ行こう。
そう決めて、私はドアではなく、窓から外へ出た。
ぴょん、と飛び降りた先は庭園の奥まった一角。誰にも見られていない。完璧。
こっそり門を抜けて、私は久しぶりに城下の街へと歩き出した。
街は思ったよりも静かだった。
人通りはある。店も開いているし、子どもたちが走り回っているのも見かけた。
けれど、どこか空気が重いような気がする。笑い声が少ない。通りを歩く人たちが、妙に周囲を警戒しているように見える。
(……戦争、の影響?)
私は戦争というものを知らない。
実際、隣国がどこかと戦争を始めたと聞いたとき、「ユアロスには関係ないのでは?」と思ってしまったくらいだ。
でもそれは甘い考えだと、ペルが教えてくれた。
彼女は今、学校で“実践魔術”という授業を受けているらしい。
有事の際に国を守れるように、とのことだった。
ペル――本名ウェスペル・ヴェルディア。
ユアロスでも屈指の名門、ヴェルディア家の本家のご令嬢だ。
ノクスも同じ“ヴェルディア”の名を持っているけれど、彼は分家の出身。
それでもペルから見れば、ノクスはすでに宮廷術士として第一線で活躍する成功者。
ペルもいずれは、同じ道を歩むのかもしれない。
そんなことを考えながら、ノクスから貰ったお金でいくつかパンを買った。
そして、それを片手に街の中をぶらぶらする。
歩き続けているうちに、中央の噴水広場にたどり着いた。
子どもたちが水遊びをしていて、保護者らしき大人たちが微笑ましく見守っている。
私もベンチに座って、残りのパンを食べよう。
そう思って、袋を膝に置いて腰掛けた。
噴水の水しぶきを眺めながら、私は袋に手を入れる。
――あれ?
二つめのパンが、ない。
視線を袋へ移したときだった。
「随分と無防備ですね、異世界の方」
すぐ隣から声がした。
驚いて振り向くと、男が座っており、私のパンを手に持っていた。
柔らかな金髪に、青い瞳。
整った顔立ちだけど、目元を隠すようにかけられた眼鏡のせいで、どこか表情が読めない。
「……えっと、誰?」
思わず口に出すと、男はパンを一口かじってから、微笑を深めた。
その笑顔は、どこか馴れ馴れしくて、なのに得体の知れない距離感だった。
「あなたに興味があって。……ご挨拶が遅れました、僕はマーネといいます」
ゆったりとした声。まるで、最初からそこにいたような自然さ。
けれど、私は間違いなく、この男の気配に気づかなかった。
「……マーネ?」
聞き返すと、彼はパンをもう一口かじり、咀嚼のあいだもずっと私から目を逸らさなかった。
「あ、私は青山琴子って言います……」
「知っていますよ、コトコさん。ノクス様から伺っているので」
にこりと微笑むその顔には、悪意も敵意も見当たらない。
――ノクス“様”? この人、一体何者?
「ところでコトコさん。あなた、ひとりでここまで?」
「あ、はい……」
「なるほど。――それでは、そろそろ戻りましょうか。お城へ」
「えっ……」
いつの間にか立ち上がったマーネは、まるでそれが当然のことのように、私に手を差し出していた。
その所作はどこか優雅で、まるで童話の中の王子様のようで……少しむず痒い気持ちになる。
正直、見た目はけっこう、好みの部類だった。
まるで少女漫画のワンシーンに入り込んだみたいで、ちょっとだけ、自分でも可笑しくなった。




