第十八話 飛ぶなんて聞いてない!
朝の光に目を細め、私はゆっくりと身を起こす。
今日の予定は、浮遊庭園フローレラス――空に浮かぶ島の庭園だ。
そんなの、現実にあるはずがない……なんて思ってたけど。ここは異世界。夢みたいな景色も、現実の一部なんだ。
部屋の扉が、コンコンと控えめにノックされる。
「おはようございます、コトコ様。支度をお手伝いに参りました」
入ってきたのは、昨夜も世話をしてくれた侍女のひとりだった。
すらりとした長身に、シルクのような艶やかな髪。まるでモデルみたいな美貌に、思わず見とれてしまう。
「……お、おはよう」
寝起きのテンションでは気の利いた返しもできず、そのまま椅子に座らされる。
侍女が櫛を持って背後に立つと、ふんわりと花の香りがした。
(近い……)
距離感が近いのは、この国の文化なのか、それとも彼女の性格なのか。
どっちにしろ、ちょっとドキドキする。
それにしても――
(こんな綺麗な人に髪をといてもらえるとか……私、前世でめっちゃ徳積んだ?)
妄想が止まらない自分に、そっとツッコミを入れつつ――髪の毛はさらさらになっていく。
「本日は少し風が強いと聞いておりますので、こちらのスタイルなんていかがでしょう?」
「えっと……はい、お任せします……」
そして、あれよあれよという間に服を着替えさせられ、メイクまで施されて――気づけば朝食の席にいた。
テーブルには、温かいスープとパン、果物を使った彩りの美しいプレートが並んでいた。
「いただきます」
一口食べると、やさしい味が口いっぱいに広がる。
スープにはハーブの香り、パンはほんのり甘くて、焼きたての香ばしさがたまらない。
「……めっちゃ美味しい。ありがとうございます」
自然と笑みがこぼれて、侍女にお礼を伝えた。
「ありがとうございます。料理長が喜びます」
お腹が満たされると、不思議と心も落ち着いてくる。
食事を終え、ほっと一息ついたそのとき、扉の向こうから軽くノックの音がした。
「コトコ様、お迎えにあがりました」
ノクスの声だ。
支度を整えて扉を開けると、いつも通りきっちりした服装のノクスが立っていた。
変わらぬ微笑みで一礼し、私に手を差し出す。
「それでは、参りましょうか」
大きな階段を下りて外へ出ると、そこには――
「え?」
思わず目を疑った。
そこにあったのは、車だった。
いや、厳密には少し違う。フォルムは車にそっくりだが、妙に滑らかなラインと光沢があって、なんというか、近未来的な乗り物という感じだった。
「え、これって……車……だよね?」
ぽかんとしている私に、ノクスはにこやかにうなずいた。
「はい。これは、かつてこの世界に現れた異世界人の方が発明されたものです。今では、一部の貴族や王族の間で使われています」
「……異世界人が?」
ぱちん、と頭の中でパズルのピースがはまった。
――そうか。この世界に異世界人が現れると国が栄える、っていうのは、そういうことなんだ。
私の世界にあるものを、特別な力を使って、この世界で実現する。だから、文明が発展するんだ。
納得と驚きが入り混じる中、ノクスが助手席のドアを開けた。
「お乗りください。私が運転いたしますので」
内心ちょっと心配しつつも、私は少しおそるおそる乗り込んだ。
車内は意外なほど広く、シートもふかふか。
「私、一応免許持ってるけど、途中で代わろうか?」
そう言ってみたものの、ノクスは首を振る。
「とんでもない。私が責任を持ってお送りします」
いつもの丁寧な口調。でもその声には、ほんの少しだけ強さが混じっていた。
ノクスがハンドルを握る。
陽の光に照らされた銀髪が、金属のようにきらりと光る。
私はカチリとシートベルトを締め、出発の合図を待った。
――そのとき。
「えっ、ちょっ、浮いてる浮いてる浮いてる!!」
車が、音もなくふわりと宙に浮かび上がった。
しかも、そのまま斜め上に、ぐいっと上昇していく。
「う、うわあああああああ!!」
ジェットコースターの上り坂みたいな感覚に、私は反射的にアシストグリップを掴んだ。
……こわい。こわいこわいこわいこわい!!!!
ノクスはというと、隣でまったくの無表情。
ただ淡々と、ハンドルを操っている。
(こんなの車じゃない、車じゃないぃぃぃぃい!)
しばらく上昇を続け、ある程度の高さに達すると、車はふわりと水平移動に切り替わった。
私はシートに背を預け、ようやく息を整える。
「車は、コトコ様の世界の乗り物ではないのですか?」
ノクスが不思議そうに尋ねる。
「違う違う、全然違う! 車は――飛ばない!!」
首をぶんぶんと横に振る。
「ではこの世界に合わせて、改良されたのでしょうね」
ノクスは軽く納得したようにうなずくと、さらりとこう続けた。
「では、スピード出しますね」
「えっ、待っ――」
言い終わる前に、車は加速した。
私はアシストグリップを握りしめながら、心の中で必死に祈る。
――落ちませんように……!
どうか無事に、目的へ辿り着きますように……!!




