第十六話 魅了のような
ペルはまた家をこっそり抜け出して、習い事をすっぽかしていたようだ。
結局、探しに来た使用人に見つかって、むすっとした顔でしぶしぶ連れ戻されていった。
私は、眉をひそめたペルが連れられていくのを見送りながら、先ほどのノクスの言葉を思い返していた。
「……無意識に、周囲を惹きつける力、ねえ」
自分で言っておいて、あまりの中二病っぽさに思わず眉をひそめた。
まさか現実で、しかも真顔でこんなセリフを口にする日が来るなんて。
“特別な力”なんて、ゲームやアニメの中だけの話だと思っていたのに。
ちらりとノクスの方に目を向ける。
――もしかすると、この男にも、そういう力が働いてたりするのか。
「……じゃあ、貴方も私に惹かれてるってこと?」
冗談めかして口にした言葉は、よく考えたらかなり大胆な内容だった。
つまり、「私のこと、好き?」と聞いてるのと変わらないわけで――しまった。口にしてからじわじわと恥ずかしさが込み上げてくる。
私が恥ずかしさに耐えかねて視線をそらしているというのに、ノクスは涼しい顔でこう返した。
「我が国が待ち望んだお方ですから。――当然でしょう」
「うん。なんか意図が伝わってない気がするけど……」
苦笑まじりに、私は椅子の背にもたれた。
ノクスの態度は、相変わらず丁寧で静かで、どこか機械的だ。
でもきっと、これが彼にとっては“素”なんだろう。そう思うと、もうツッコむ気にもならない。
感情の色が薄いその横顔を見ていると、さっきのペルの笑顔が妙に思い出された。
「――そういえばさ。ペルって、そんなに……普段の様子と違うの?」
気になって尋ねると、ノクスの手がぴたりと止まった。
「はい。ペルがあれほど笑顔を見せるなんて。少なくとも、私の知る限りでは初めてです」
「それだけで、何かが関係してるって?」
私は冗談半分のつもりで、軽く目を細めて言った。
けれどノクスの返答は、いたって真面目だった。
「……観察していた限りでは、明らかに平常時と異なる反応でしたから。
精神干渉系の術に心を乱されてるような。それも、かなり強く」
「それが――私のせいって言いたいんだよね」
ノクスは少しだけ視線を伏せ、言葉を選ぶように一拍置いてから答えた。
「現時点では、仮説に過ぎません。
ですが、異世界人であるコトコ様が持つ特別な力が、無意識のうちに影響を与えている可能性は十分あります」
「……影響って言っても私、本当に何もしてないんだけどなあ。初対面からペルは懐いてたし……それが異常って言われても、ピンとこない」
ペルが笑わないタイプだったなんて、にわかには信じがたい。
でも、ノクスの口ぶりは真剣だった。
「だからこそ、検証する必要があるのです」
そう言って、ノクスはそっとティーカップをテーブルに戻した。
「もし仮に、コトコ様の力が、人の心に作用する力だとすれば――それが好意として現れる可能性もあるでしょう」
「うーん……」
「人を惹きつける力――魅了に近いもの、かもしれません」
私は固まった。冗談で話していたことが、急に現実味を帯びて背筋がぞくりとする。
顔からじわじわと熱が上がり、胸のあたりがざわつく。
でも、ノクスがあまりに真面目な顔でこんな話をするもんだから、笑いそうになる自分もいて――
ダメだ、ここで茶化したら真剣に話してるこの男に失礼だ。耐えろ、私。
「……何にせよ、もしそうだったら危ない力だね」
必死に真顔をキープして返すと、ノクスは表情を崩さずに頷いた。
「私も、そう思います。意図せず、人の心に踏み込む力。魅了と仮定はしているものの、支配――洗脳の力かもしれない」
ノクスは、まるで何かを分析するような静かな口調だった。
でも、その言葉の端々には探っているような気配があった。彼もまだ、核心には届いていないのだ。
一方私は、突然出てきた「支配」「洗脳」という言葉のインパクトに脳を揺さぶられていた。
そんな言葉、会社で働いていたときの私は使ったことがあっただろうか?
いや、洗脳ならまだしも、支配って……。
色々考えるうちに、最初に出た「魅了」という言葉がまた胸に刺さってくる。
(ダメだダメだダメだ。絶対に笑うな、笑うな私)
――そのとき。
コンコン、と控えめなノック音が響いた。
「……コトコ様、王妃様よりお菓子を届けるよう申し付けられました」
侍女の声とともに、ワゴンが運ばれてくる。
きれいに盛り付けられたケーキや果物、香り高いハーブティー。
よっぽど私を逃したくないんだろう。そう思えるくらい、隙のないラインナップだった。
だけど、それ以上に気になったのは、侍女の顔だった。
妙に整っていて、なぜか目が離せない。
その美しさに見とれていた刹那、ノクスの言葉が脳裏をかすめた。
『人を惹きつける――魅了のような力』
(……私の力、どうやって使うのかわからないけど、何か試してみる? どうせ何にも起こらないだろうし)
倫理的にどうなんだって気はするけれど――ちょっとだけ、やってみよう。
(とりあえず……何か念じたりするのがいいのかな? それとも、声に出す?)
テーブルを整えていく侍女をちらちら横目に見ながら、私は心の中で唱え始める。
(なんか起きろ……なんか、起きて……)
――しかし、何も起こらなかった。
さすがに「何かを唱える」勇気はなく、しばらくして侍女は丁寧に礼をして部屋を後にした。
「念じてみたけど、何も起こらなかったわ」
私がぼそっと呟くと、ノクスは少しだけ残念そうに言った。
「そうですか。術士であれば、感情の起伏が力に関係してきたりするのですが……。
果たして、コトコ様にもそれが適用するのか……」
そう言ったノクスの目は、どこか遠くを見ていた。




