2-4.ギルドの食堂
食堂では巡回修道女のマリエルが、エプロン姿で皿を並べていた。
「今日はたまたま修道女様がギルドにきてくださっていてね。あたしゃ、畏れ多いからってお断りしたんだけどさ……」とメリッサ。
「治癒のご奉仕が早く終わりましたので、お手伝いさせていただいています」
マリエルが目を伏せて説明した。
「修道女様を働かせるなんてねえ、罰が当たらないか、あたしゃ心配だよ」
「ご安心ください。食事をいただけるのですから、むしろ感謝しております」
マリエルはそう言って微笑んだ。
メリッサおばさんと話しているマリエルは、駅馬車で会ったときよりもずいぶん表情が柔らかいように、理一郎には感じられた。
テーブルには質素ながらも手の込んだ料理が並んでいる。メリッサおばさんの愛情のこもった手作り料理の匂いが、食欲を刺激した。
「さあさあ、お祝いだからね、今日だけはギルドのおごりだよ。どんどんお食べ!」
メリッサおばさんとマリエルは、大皿を次々と運んでくる。
「こんなに?」
理一郎が驚くのを見て、メリッサおばさんが豪快に笑った。
「何言ってんの、まだ食べ盛りだろ。ジルバウを見てごらん」
ジルバウはさも当たり前のような顔をして、皿に手を伸ばしていた。サマンサも澄ました顔で席に着いている。
「それに、あんた大時計塔も直したんだろ? 街の英雄じゃないか。これくらいの労いは当然だよ」
おばさんは焼きたてのパンを理一郎の皿に載せながら、豪快に笑う。
「冒険者ギルドで40年以上食堂を切り盛りしてきたけど、あんたみたいな珍しい魔法使いは初めてさ。これからも頑張っておくれよ」
「ああ、ありがとう」
* * *
テーブルに一通りの料理が運ばれてきた頃、アリアがやってきた。
「おめでとう、理一郎くん。D級からなんだって? すごいね! 私なんてまだE級なんだよ」」 アリアが快活に微笑みながら、隣に座った。
「今日が授業じゃなければなあ、わたしも付いて行ったのに。ねえ、どんな風だったの?」
理一郎は森での出来事を順を追って話し始めた。サマンサとジルバウも料理を頬張りながら、それを補足する。少し離れた席で報告書を書いていたエリーゼも、話しに加わった。料理と給仕を終えたメリッサおばさんとマリエルもテーブルの端で食事を始める。
一通り今日の出来事を話し終わると、エリーゼが訊いた。
「ところで理一郎さんは、どれぐらいのペースでクエストを受けられそうですか?」
「まだ結論は出していない。研究と生計のバランスを模索中だ」
「研究……ですか?」
エリーゼの問いには、純粋な好奇心が滲んでいた。
「そういえば、あなた、学者さんなのよねえ」とサマンサ。「とてもそうは思えないわよ」
理一郎はうなずいた。
「目指しているのは、世界を束ねる一貫した理論体系――すべての現象を記述可能な枠組みの確立。世界の理の追求だ」
この世界に存在する魔法。それは元の世界の物理法則を逸脱しているように思える現象だ。
――だが、現に俺自身が使っているように、この世界の理はその存在を許している。
これまで見聞きした限り、この世界の物理法則は元の世界と同じだ。どんな理屈で魔法が発動し、現象が発生するのか、見当も付かない。
――前の世界で奪われた俺の研究は、まだまだ不完全だったのではないだろうか?
こちらの世界を知ってしまった今、あれは一般的な理論ではなく特殊解の一つに過ぎないようにも思えてくる。
――おそらく、この世界の理を明かすことなしに、俺の世界理論とその結晶である世界方程式は完成しない。
完成させるためには……。
「魔法という現象を究明し、この世界の理も研究しなければならない」
「だったら」と、それまでじっと聞いていたアリアが口を開いた。
「やっぱり私の指導教官に会ってみるといいよ」
「前にも言ってた人か」
「うん。あの時は話さなかったけど、指導教官は王立アカデミアの総長なんだ」
「おや、ラランドランドララ大博士かい? 超大物じゃないか!」
サマンサが驚く。どうやら有名人らしい。
理一郎がきょとんとしていると、メリッサに背中を叩かれた。
「坊や、大博士様を知らないのかい? 学都で一番偉い人だよ!」
理一郎が顔をしかめた。叩かれたのが痛かったからではない。
「あ! 理一郎くん、そんな人に会うのは面倒だと思ったでしょ」
図星だ。
「絶対会った方がいいよ。世界で一番魔法に詳しい人だから、理一郎くんの魔法を調べるにはうってつけだもん。もちろん一般的な魔法の研究もできるよ。それに、科学院にもコネがあるから、物理を研究する道が開けるかも。そして――」
アリアは一呼吸置いた。
「これが一番、理一郎くんには興味があると思うけど、『理の書』についての知識もあるの」
「『理の書』だと?」
理一郎の目が輝いた。
「大昔の魔法書よ。当時の大賢者が、この世界の根源的な法則について書いたものだと言われているの」
理一郎が身を乗り出す。
「実に興味深い。その大博士が持ってるのか?」
「わからないけど、でも、何か知ってると思う」
「そうか。ならば面会させてほしい」
思わずアリアの手を握って頼んでいた。
「いつがいいか、先生に都合を聞いてみるね」
アリアの顔が赤い。
「あ、すまん」とあわてて手を離した。
「理一郎さん」エリーゼが肩を叩いた。「魔法の実践ならクエストが一番ですよ。しかも報酬が出るんですから、一石二鳥です。どんどん受けてくださいね。ギルドも助かりますから。何か困ったことがあれば、いつでもギルドに相談してください。私たちは、あなたの味方です」
「坊やはもっと食べなきゃダメだ。お腹が空いたらいつでもおいで」とメリッサ。
マリエルは皆の話には無関心のようで、会話には加わらず伏し目がちにゆっくりと食事をしていた。
* * *
お腹いっぱいになってギルドから出た頃には、すっかり日が暮れていた。
「今日は夕飯。助かっちゃった。理一郎くんのおかげだね」
アリアが弾んだ声で言う。
「メリッサさんはあれが常態なのか?」
「どういうこと?」
「人との距離が近いというか……」
総じてこちらの世界の人間は他人との距離が近いように思う。社会がコンパクトだからか、あるいはメールやSNSがないためだろうか。
「ギルドの肝っ玉母さんだからね。豪快な人だけど、いい噂しか聞かないよ」
「坊やと呼ばれるのは、どうも座りが悪い」
見た目通りの十七歳にしたって、もう坊やという歳ではないだろう。
「わたしだって〝アルタイルさんとこのお嬢ちゃん〟だよ。人の名前を覚えるのが苦手なのかな。長生きしているとたくさんの人に会うもんね」
アリアが笑う。
「本質的な問題はそこではないと思うが」
学都に街灯が灯り、街全体が柔らかな光に包まれている。その中を歩いているだけで、なんとなく暖かい気分になる。理一郎にとってはあまり経験したことのない気分だった。
この世界で新たな可能性が見えてきた。
研究者として、そして一人の人間として、前を向いて歩んでいけそうな気がした。
アリアと並んで家路につきながら、理一郎は自分の中でも何かが灯っているのを感じた。
次回、第三章突入。『!理の書』についての情報をもとめて、王立アカデミアに向かいます。