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「神浪さん、ちょっといい?」

 と春奈が声をかけられたのは、教室の掃除が終わり、掃除用具をロッカーに片付けた直後だった。どうやらそのタイミングをはかっていたらしい。

「えと、あの。はは、はい」

 春奈は動揺しながら答えた。声をかけてきたのが学原鏡子だったからだ。

 同じクラスの女子だったが、これまで会話を交わしたことはほとんどなかった。少なくとも春奈の方から話しかけた記憶は一度もない。

 というのも学原鏡子は一年生の時からクラスカーストの上位に位置する生徒だったからだ。容姿に優れ、勉強もでき、物怖じせずにハキハキと話すタイプ。そしてこれが決定的なことだが、彼女は「緒方塾」の塾頭を務めていた。緒方塾創立メンバーの一人でもあり、真桜高校のスーパースター緒方道祐からは絶大な信頼を受けているという話だった。

 そんな相手に話しかけるほどの度胸は春奈にはなかった。

 春奈は他の文芸部員と同じように緒方にも緒方塾にも興味を持っていなかったが、それでもさすがに彼らに関する情報は耳に入っていた。しかし所詮は「自分には接点のないジャンルの人たち」という捉え方をしていた。

 そのジャンルに属する人がいったい何の用事だろう? 

 春奈は警戒しながら、そしてやや怯えながら学原鏡子を見る。整ったその顔立ちからは勝ち気な性格がにじみ出ている。頭の回転も良さそうだ。塾頭を務めているからにはリーダーシップも備えているのだろう。

(やだなあ)

 というのが春奈の正直な感想だった。

 クラスカーストの上位の人はどうも苦手だ。中学生の時にいじめを受けた経験も影響している。

 他の掃除当番の生徒たちは二人の方に視線を投げかけるも、たいして気にも止めずに、三々五々、教室を出て行く。部活に向かう生徒もいれば、そのまま帰宅する生徒もいる。

 こういう時に頼りになるのは倫子だが、彼女は掃除当番ではないので、一足先に部室へと行っている。

「そんなに困った顔しないで。それとも、私に話しかけられるのは迷惑?」

 学原鏡子はストレートな言い方をした。

「めめ迷惑だなんて、そそんな」

 春奈は無意識に両腕を胸の前で合わせて首を振る。

「そう」と学原鏡子はうなずく。「それならいいけど」

「はははい」

「じゃ、ちょっとだけ時間をちょうだい。こっちよ」

 そう言ってくるりと背を向け、歩き出す。つられるように春奈はその後をついていきかけ、しかしカバンを手にしていないことに気づく。素早く自分の机からカバンを手にして、学原鏡子に続いた。学原鏡子自身はすでにカバンを手にしている。

 廊下を歩く学原鏡子は時折り振り向きながら話しかけてくる。

「神浪さんって何座?」

「わわ、私は牡牛座です、うん」

「牡牛座って何月だっけ?」

「五月ですね」

「そう」

 そんなやりとりがあったかと思えば、こんなやりとりもあった。

「花なら何が好き?」

「は、花ですか? うーんと、チューリップ」

「え、チューリップなの?」

 さも意外だという顔をする。てっきり別の花の名をあげると思っていたような顔だった。

「チューリップ畑って見たことありますか?」

「ないわね」

「すす、すごく綺麗なんですよ。うん、まるで奇跡みたい」

 春奈はかつて目にしたチューリップ畑の光景を思い浮かべながら言った。

 あれは中学生の時だ。家族とドライブをしているさなかに、その光景は飛び込んできた。郊外のバイパス沿いに広がる畑の一画に色とりどりのチューリップが咲いていたのだ。春先ということもあって周囲の畑は土色のままだった。それだけにコントラストが一層に鮮やかで、春奈は「奇跡みたい」と思ったのだった。

 そのチューリップは切り花として出荷するために栽培されているようだった。観光用ではないので過剰な演出はなく、その素っ気なさも春奈の胸に響いた。

 しかし学原鏡子はすでに花の話題には興味を失ったようで、前をスタスタと歩いて行く。三つ編みにした髪が背中で揺れていた。

 三階から二階へと下りる階段の途中で、あわたと出くわした。

「あ、春奈先輩。どこ行くんですか?」

 と声をかけてくる。

「あ。あわたちゃん。あのね」

 春奈は言って学原鏡子を見る。学原鏡子は少し先で立ち止まり、二人のやりとりが終わるのを待つ体勢に入った。

「ちょっと学原さんに用事があるって言われて。うん」

「そうなんですか」

 あわたは学原鏡子に軽く会釈をする。

「じゃ、先に部室行ってますね」

「うん、また後で」

 あわたが立ち去った後、学原鏡子が言った。

「いまの子は文芸部?」

「そ、そうです。一年生の、」

「そう」

 それ以上の説明は必要ないとばかりに、再び歩き出す。春奈もまたついて行く。

(どこに行くんだろう……?)

 とは思ったが、ほとんど答は分かっている。きっと緒方塾の教室だ。

 真桜高校もご多分に洩れず少子化の影響で生徒数が減っている。かつては一学年で七クラスあったが、いまは五クラスだ。校舎には使っていない教室がいくつかあり、緒方塾はその一つを使用する許可を得ている。

 緒方塾は部活動ではないが、生徒たちの自主的な勉強会を学校側が否定するはずもなく、許可はあっさりおりたという話を春奈は聞いたことがある。

 その教室は北校舎二階の一番端にあり、学原鏡子は明らかにそちらに向かっている。春奈の疑問は「どこに行くんだろう?」から「何をするんだろう?」に変わっていた。

 緒方塾と文芸部に接点はなかったが、もしかすると何らかの要請があるのかも知れない。例えば、特別講師として文学の話をしてほしいとか……。

(そうなると部長が行くのかな。でも、部長が人前で話すってちょっと想像できないな)

 などと春奈が思っているうちに緒方塾に着いた。学原鏡子は扉を開け、中に入るようにうながす。

 春奈が教室に入ると、それまで賑やかだった室内がシンと静まり返った。

 春奈は不安に包まれる……。

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