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6

 その日の放課後。

 ホームルームを終えたあと、紗希と美帆は一緒に部室に向かった。

「倫子からのライン、見た?」

「うん、見た」

「どう思う?」

「いいと思うよ」

「良かった」

 倫子から送られてきたメッセージはこんな内容だった。

「文芸部で緊急動議を発動するので、女子部員は必ず出席すること! 緊急動議のテーマは『部長に、私たちのことは下の名前で呼んでほしい件』です」

 どうやら部長が紗希のことを下の名前で呼ぶことに不服を感じていたらしい。自分たちも公平に同じように呼んで欲しいという問題提起をするので、その是非を話し合いたいとの趣旨だった。

 問題提起とか大袈裟なことを言わなくても「下の名前で呼んで」と言えば「分かった」とあっさり了承すると思うのだが……。

「そうじゃないのよ!」

 部室に集まった女子部員たちを前に倫子は言った。いつものように長テーブルを囲んでそれぞれが腰をおろし、倫子一人が立って話している。

「いいですか、みなさん! 女子がですよ、私たちのようなうら若き、裏表なき乙女がですよ、好きな人から下の名前で呼ばれる。これは、特別なことなんです! 一生に一度の、処女喪失に匹敵するくらいの大きなことなんです。だから、そこには非日常的な演出が欠かせないわけです。おわかりですか?」

「おかわりですか?」

 急須を手にしたあわたが紗希に言った。

 紗希はちょうどお茶を飲もうとして、湯飲みが空っぽになっていることに気づいたのだった。

「ありがと」

「いえいえ」

 こぽぽぽぽ。

「そこの二人! こぽぽぽぽじゃありません。真剣な話をしている時に何をしているんですか?」

 部長の姿はなかった。倫子が「大切な話し合いをしているので、部長は三十分遅れて来ること!」とラインを飛ばしたのだった。部長はその申し出に素直に従っているようだ。

「ということで『私たちのことは下の名前で呼んで委員会』を結成しようと思います」

「ダサっ!」

 あわたが顔をしかめる。

「はっ倒すぞ、元中学生」

「だって先輩、その名称だと下の名前で呼ばないでくれみたいなニュアンスじゃないですか。てか、それ以前に、何もかもがダメっぽいですよ」

「これは倒置法を使ってるの。あわたちゃん、あなたも文芸部なんだから倒置法くらいは知ってるでしょ?」

「文芸部でなくても知ってると思いますけど、鬼城先輩はきっと理解してないと思いますよ。それ、倒置法じゃなくて反語ですよ」

「ぐげ」

「そ、その委員会ってさ、部長が願いを受け入れてくれたら、どどどうすんの?」

 春奈が言った。

「もちろん解散するわよ」

「だだ、だったら別にわざわざ結成しなくても、うん」

「さっき言ったでしょ。これは非日常的な演出よ」

「あんたの存在が非日常だからいーじゃん」

「お黙りなさい」

 倫子は美帆を睨む。

 そのやりとりを聞いていた紗希が思わず笑うと倫子が指をさした。

「あ、上から笑顔」

「え?」

「梓川さん。自分だけ下の名前で呼ばれているからって、私たちを上から笑ったね」

「そ、そんなことしてない」

「ふふん。その優位的な立場も今日で終わりを告げるのよ。笑ってらんないのよ。最後に笑うのは、この私なんだから」

「梓川さん、マジに受け止めると疲れるから、適当にね?」

「あ、うん。そうだね」

「あ、うん、じゃないわよ。そうだね、って何よ。美帆も的確なアドバイスしてんじゃないわよ」

「的確なんですね」

 あわたのツッコミを無視して倫子は言う。

「まずは、大切なこと。意思確認をします。この中で、部長に下の名前で呼ばれたい人は挙手して下さい」

 春奈と美帆と倫子の三人が手をあげ、あわたは手を顎に添えて首を傾げている。紗希はすでに下の名前で呼ばれているから挙手しなくていいだろうと思った。

「はい、さっそく分裂しましたね」

 なぜかうれしそうに倫子が言う。

「まず、青柳あわたちゃん。あなたは部長から下の名前で呼ばれたくない、と。青柳のままでいい、と、そういうわけですね」

「てか、別に下の名前で呼ばれても全然いいんですけど、そうなると問題が生じるかと」

「ほう。聞かせてもらいましょうか。どんな問題でしょうか?」

「私も部長のことが好きってことになりませんか?」

「え? あなた部長のことが好きじゃないの?」

 倫子が驚愕を顔に貼り付ける。

「あ、好きですよ。でも、先輩方ほどの思いはないっていうか……」

「青柳。お前は緒方塾か坂本団に行け」

「は?」

「行ってモブとして生きろ。並ぶのが好きな人間になれ」

「そそ、それだけはご勘弁を!」

「大丈夫よ、あわたちゃん」と美帆が言う。「部長はハッキリ好きだと言わないと分からない人だし、下の名前を呼んでくれってくらいじゃ『分かった』の一言で済ます人だから」

「ま、そうですよね。じゃ、私も挙手しまーす」

 あわたが小さく手をあげる。

「これで四対一、と」

 そう言って倫子が紗希を見る。

「では、幼なじみ属性を獲得している梓川紗希さん。あなたはなぜ、挙手しなかったの? もしや、下の名前で呼ばれていることに何らの価値も見い出していなかった、と。もう呼ばれたくない、と」

「え、違うよ」

「だったらなぜ? 英語で言えばホワット?」

「いや、そこはホワイだよね? というか、もう下の名前で呼ばれてるから、いまさら呼んで下さいって言うのも変かなと思って」

「そ、それはそうだよね。一理あると思うよ、うん。あと、いまの返しは良かったよ」

「春奈」

「なな、何?」

「あんた、敵に塩を送ってどうすんのよ」

「てて敵? 梓川さんは敵じゃないよ」

「甘い。塩なのに甘い。私たち四人は誰もがお互いにライバルなのよ。一人の男を巡って血で血を洗う壮絶な乙女バトルを繰り広げているの!」

「今日も全開ですね、鬼城先輩。よいしょ」とあわたがテーブルに手をついて立ち上がる。「私、お茶入れ直しますね」

「あ、私ね、クッキー持ってきたよ、うん。自分で焼いたんだ」

「私、さっき購買でチョコ買ってきた」

「え、そうなの。私もだよ」

「ちょっと。ちょっとちょっとちょっと! 待ちなさいよ、何みんな休憩タイムに入ろうとしてるの!」

 憮然とした顔をする倫子に美帆が言う。

「もうすぐ部長も来るし、もういいんじゃない? 梓川さんもこれまで通り、下の名前でいいんだよね?」

「うん」

「じゃあ、みんなの意見が一致したことだし、あとは部長に言うだけね」


 ※※※


「分かった。苗字ではなく、下の名前だな」

 案の定、岩志木部長はあっさりと了承した。

「よし、私たちは勝利を勝ち取った!」

 それでも倫子はこぶしをあげて喜んでいるが。

 そして文芸部はいつもの日常に戻る……と思いきや、部長が「おれからもお願いがある」と言い出した。

「ぬ?」

「え?」

「ん?」

「へ?」

「は?」

 と部員たちがそれぞれに反応する。

 部長からお願いというのも珍しかった。

「紗希のことも、みんな、下の名前で呼んでほしい」

「!」

 紗希は思わず顔を赤らめる。

 確かに二年生の中では自分だけが「梓川さん」と苗字で呼ばれている。一年生のあわたは別として、二年生部員たちは互いに名前で呼び合っている。

 紗希はそれを、自分がまだ入部したばかりだから、と違和感なくとらえていた。まだ少しばかり距離がある。そのうちみんなとの距離も縮まるだろうと、さほど気にしていなかったのだが、どうやら部長は気に懸けてくれていたようだ。

「もーやだー、部長ったら! 紗希のことばかり気に懸けちゃって、幼なじみ過ぎるんじゃないの?」

「何だよ、幼なじみ過ぎるって」

「でも、そうね」と美帆がうなずく。「じゃ、いまから紗希って呼ぶね、紗希。私のことも美帆って呼んで」

「あ、うん。……ありがとう、美帆」

「ささ、紗希。私は春奈よ、うん」

「うん、春奈」

「私のことはそうね……倫子でいいわ」

「分かった、倫子」

「あの、じゃあ私は紗希先輩って呼んでいいですか?」

「いいよ、あわた後輩」

「あわた後輩って、なんか新鮮ね。私もそう呼ぶかな」

「いいっすよ、隅田先輩」

 と、そこで倫子が口を挟む。

「ダメダメ。あわた後輩も私たちのことは下の名前で呼ばなきゃ」

「オッケー、倫子」

「なに呼び捨てしてんだ! てめー、ぶっ飛ばすぞ!」

 と、その日も文芸部では平和な時間が流れていたのだが……翌日はちょっとした波乱が生じることとなる。

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