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 予定通りにテスト勉強を終えた春奈は学習机の前でグッと背伸びをする。パジャマの裾からヘソがのぞいた。

「後は野となれ大和撫子」

 時計を見ると、十時になっている。少し早いが、ベッドに入ることにした。

 明日からは期末テスト本番。睡眠はしっかりととっておいた方がいい。

 ここ二週間は、寝る前の二時間をテスト勉強に費やしていた。なのでテストに対する不安はほとんどなかったが、それでも油断していいわけではない。春奈は電気を消してベッドに潜り込む。

(テストが終わったら宗像先輩の卒部式パーティー。後は夏休み、それから夏合宿。うー、楽しみすぎる)

 春奈はベッドの中でついニコニコする。毎日が楽しくて、時々心配になるくらいだった。

 楽しくて心配というのも我ながら妙な感情だとは思うが、それはきっといじめの後遺症なのだろうとも思う。うれしいことがあった後は、辛いことがやって来ることを春奈は身をもって経験したことがある。

 それは中学時代のことだった。

 きっかけは大手新聞社が主催する作文コンクールで金賞を受賞したことだ。金賞受賞は中学校始まって以来の快挙だった。全校朝礼で校長の横に立ち、たどたどしく挨拶をした時の緊張感と晴れがましさは、その後に起きたことを思えば苦笑したくなるほどに可愛いものだった。

 その日を境にして春奈はクラスメイト全員から無視されることになった。

 それまで春奈は「少し天然でドジっ子」的なキャラ属性としてまわりから見られていた。春奈本人も自分にはそういう面があると認めていた。人見知りをするので言葉がたどたどしいし、言いたいことをうまく言うことができない。

 ただし、文章となると、そのたどたどしさはきれいに消え去る。春奈は話すよりも書く方が得意だったし、さらには好きだった。

 好きで得意となれば、上達も早い。

 それが金賞という結果に結びついたわけだが、周囲からは「好きで得意」に対する全否定のジャッジメントが下されたのだった。

 有り体に言えば、春奈は嫉妬されたのだ。

 国語の教師も春奈に対して皮肉を言うようになった。その女性教師はどうやら作家志望でもあったらしく、授業中に雑談として人気作家のエピソードを話すことも多かった。とある作家はデビュー前に修行として一日原稿用紙二百枚の執筆をノルマにしていたとか、ある作家は一日六十本も煙草を吸うほどのヘビースモーカーだったが、小説を書き続けるには体力が必要とスッパリ禁煙をしたとか、そういった類いの話だ。

 春奈は作家とは言わないまでも、将来は文章を書く仕事に就きたいと思っていたので、その先生には共感めいたものを覚えていた。

 しかし、当の先生は春奈の受賞が気に入らなかったらしい。授業で当てられた春奈が答えられなかったり間違ったりすると、コンクールの受賞にからめて皮肉を言うようになったのだ。

「あらら〜〜〜? それが受賞者としての受け止め方なんだね。ふーん」

 いつもは春奈のことを無視しているクラスメイトたちだったが、その時だけは声をあげて笑った。

 そんな春奈の前に現れたのが倫子だった。


 ある日の夏休み。

 別のクラスの女子が突然、教室に入ってきた。彼女は教壇に立って大きな声で言った。

「このクラスでいじめがあると聞きました。そんなカッコ悪いことはやめましょう」

 教室内はシンとし、春奈はドキリとした。

 その女子が鬼城倫子だった。

「誰、あいつ?」

「確か鬼城。空手部の」

 近くで男子がそんなことを囁いていた。

「神浪春奈さんをみんなでハブってると聞きました。みなさんは嫉妬でそんなことをする自分を恥ずかしいと思うくらいには正しく生きるべきです」

 鬼城倫子は堂々と言い放った。

「いまのうちからそうしておかないと、この先ずっと他人を羨みながら生きていくことになります」

「キンモッ! なにあれ?」

 と誰かが言った。男子の声だった。しかし倫子は動じない。

「キモいのはみなさんの方です」

 落ち着いた声で首を振った。

「それは自分でも分かっているはずです。自分たちが手を抜いて毎日を生きていること、それを正当化するために理由をつけていじめをしていること、恥ずかしい生き方を選択していること」

 誰も何も言わなかった。ニヤニヤ笑っていたり、無視を決め込んでいたり、うんざりした顔をしたり……が大半だった。

 そんな彼らを見渡して、鬼城倫子は「うそ?」と首を傾げた。

「もしかして、こいつらマジで分かってないのかな……そこまでのバカなのか?」

 そのあともう一度教室を見渡した。

「ま、いいや。お前らの人生だ」

 そうつぶやいたあと教壇をおり、春奈の席まで来て手を差し出した。

「私は鬼城倫子。お友達になりましょ」

 後で聞いたことだが、倫子の友人が春奈のクラスにいたらしい。春奈がまわりから無視されるようになっていることを教えたのだという。

 その当人も同調圧力によって周囲に従わざるを得なかった。しかしそれを心苦しく思い、倫子に告白したとのことだった。


 その倫子は高校になってからキャラチェンジをした。

 中学時代までは正義漢キャラだったが(漢というのは男性のことだが、そこはそれ、倫子は気にしない)、それに疲れておバカキャラにすることにしたという。

「ストレートに正しいことって疲れるんだよね。それに正義は万能じゃないし」

 おバカキャラは楽だと言っていたが、そっちの方が倫子には合っていると春奈も思った。何より、とても楽しそうだ。

 真桜高校に進学した二人は文芸部に入った。

 春奈の入部に倫子が付き合ってくれたかたちだ。

 倫子は小さな頃から空手を習っており、中学でも空手部に在籍していた。黒帯も持っている。真桜高校にも空手部はあったが、倫子は「高校では文武両道の文の方を身につけたい」と言って文芸部に入ったのだった。

 文芸部に入った春奈は椋先輩や宗像先輩たちに出会い、そして岩志木に出会った。

 入部した翌日、春奈は自分が文章を書けなくなっていることを知った。簡単な自己紹介文を書くように言われたのだが、いざ書こうとするとうまく言葉が出てこない。いや、出てはくるのだが、しっくりこない。そこで春奈は「文章を書くことが怖くなっている」ことに気づいた。

「どうした、神浪さん」

 宗像一花先輩が途方に暮れている春奈に気づいて言った。

 春奈は正直に告げた。書けない、と。

 書こうとすると、その選んだ言葉がふさわしくないように思える、と。

 自己紹介文の出だしで春奈はまずこう書いた。

「小学一年生の時に出会った一冊の本によって私の人生は変わりました」

 しかしそこで手が止まった。「小学一年生の時に」よりも「小学校に入学したその年」の方がいいのではないか。「人生は変わりました」という表現は少し大袈裟なのではないか。逆に「私の人生は」から始めた方が素直な印象を与えるのではないか。「出会った一冊の本によって」ではなく「一冊の本との出会いから」という表現の方が文章にリズムが出てくるのではないか……。

 こうなると袋小路に入ってしまったも同然だ。どれが正解だというものでもないので、書き手が決断しないといつまでも答は出ない。

「どうやら読み手を意識し過ぎているみたいだな」

 宗像一花先輩が首を振り、もう一人の先輩も身を乗り出して言った。

「神浪。お前は心が弱すぎるんだよ。次の日曜、オレと一緒に滝に打たれに行こう。そしたら、」

 その後頭部をパコンと叩いて宗像先輩は言った。

「それなら無理に書かなくていい。そのうちまた書けるようになるさ」

「もしかして、中学の時のことが原因?」

 倫子が言い、春奈の了承を得てからいじめについて先輩たちに話した。

「なるほどー、それは呪いの魔法をかけられちゃったねー。でも、そのうち解けるよ」とおっとりとした口調で椋先輩が言った。「心配しなくていいから」

「はい」

 そんなやりとりを黙って聞いていた岩志木が口を開いた。

「添削はできるのか?」

「添削?」

「おれの書いた文章をチェックしてほしい。自分で書いてて何を言いたいのかがよく分からない」

「あ、うん」

 自分の文章なら迷いが生じるが、人の書いたものなら客観的に判断できるかも知れない。そう思って春奈は岩志木の書いた自己紹介文を見せてもらった。

「………」

 その表情を見て先輩たちが言った。

「よっぽどの内容みたいだな」

「岩志木。お前は修行が足りないんじゃないか。オレと一緒に修行をしたら、見えないものも見えるようになるぞ。そしたら、」

 パコン。

「神浪さんが岩志木君に文章を教えてあげれば、それが魔法を解く呪文になるんじゃないかなー」

 結果としてそれが功を奏し、岩志木の文章力はあがり、春奈は肩に力を入れることなく文章が書けるようになった。そのプロセスにおいて春奈はいつしか岩志木のことが好きになっていたのだった。

 何より、岩志木の書く文章にはひねくれたところがなかった。表現は拙かったが、素直な性格が伝わってきていた。普段はぶっきらぼうだが、ピュアな面があることも分かった……。そこに春奈は惹かれたのかも知れない。


(卒業したら、部長、誰を選ぶんだろう……?)

 春奈はベッドの中で考える。

 幸せ過ぎる日々のなかでの、それが唯一の不安材料だったが、もしかすると部長は誰も選ばない気も、どこかでしていた。

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