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「大伴家持が編纂したと言われる『万葉集』は日本最古の歌集であり、そこにはおよそ四五〇〇首の歌が収められています。では、それらの歌の中で、もっとも多く詠まれている花は何だと思いますか?」

 ご神木であるヤマザクラの前でにこやかな笑みを浮かべた巫女が文芸部の三人……岩志木・美帆・あわたに言った。

「桜?」

 首をかしげながら答えたのは美帆だ。自信はなかったが、ご神木の前で巫女が言うのだから、流れとしては桜なのだろうと推測した。しかしその推測は外れた。

「実は萩です」

「萩?」

 意外そうな顔をする美帆に巫女がうなずく。

「そうなんです。いまでこそ日本人にとっては花と言えば桜ですが、万葉の時代はそうではなかったんです」

「あのう、すみません」とあわたが小さく手を上げる。「萩ってどんな花でしたっけ?」

「いまとなっては桜や梅ほど親しまれていないかも知れませんね。でも、おそらく見ると分かるはずです。小さく可憐な花を咲かせます」

「はあ」

「ちなみに、万葉集において萩についで多く詠まれている花は梅です。万葉の時代、桜は萩や梅ほどには親しまれていませんでした。その理由ですが……」

 巫女姿の愛宕梨々香は笑顔を浮かべたまま三人を見る。

 こんなに感じのいい人だったんだ……と美帆は内心で驚きながら愛宕梨々香を見ている。もっととっつきにくい人だと思っていた……。

 愛宕梨々香。

 白小袖に赤の袴がよく似合う、ショートヘアの美少女。

 彼女は「坂本団」の団長だ。美帆たちと同じく二年生。

 緒方塾の塾頭・学原鏡子がそうであるように、団の創立メンバーとして活動を支え、坂本からの信頼も厚い。 

 もちろんスクールカーストにおいても上位のポジションを獲得しており、男子生徒からの人気も高いようだ。

 これまで美帆は愛宕梨々香と同じクラスになったことがなく、遠目に見ているだけだった。そのため彼女がどういうタイプの人間かはよく知らなかった。団長を務めるほどだから、勝ち気な性格なんだろうな……という漠然とした先入観があった。

 だが、こうして面と向かって話してみると、とても感じがいい。坂本団の女子たちをまとめ、男子たちに人気があるというのも納得できた。

 その感じの良さも驚きだったが、それ以上にびっくりしたのは彼女がこの御桜神社の神主の娘だったことだ。

 部誌の取材で訪れた三人が境内を見学していると、一人の巫女が「あら、こんにちは」と声をかけてきた。参拝者に対する挨拶にしては親しげな口調だなと思ってよくよく見ると、それが愛宕梨々香だったのだ。

「え、愛宕さん?」

「はい、愛宕です。みなさんは文芸部の方ですね」

 愛宕梨々香はそう言ってこくりと会釈をした。笑顔が可愛い。

「あ、萌える」

 あわたが小さくつぶやいた。

 部誌の取材で来たことを告げると「私で良ければご案内しますよ」と案内役を申し出てくれたのだった。その時に、彼女の実家がこの神社を管理する愛宕家だということを知らされた。日曜日はこのように家の手伝いをしているとのことだ(もっとも、坂本の部活の試合がない日に限ってのことだが)。

 岩志木は平常運転で、愛宕梨々香がどういう人物なのかを美帆が教えても「そうか」とうなずいただけで、特に驚いたりすることはなかった。案内役を買って出た彼女に対しては「それは助かる。ありがとう」と淡々とした口調で頭を下げていた。

 拝殿や本殿、宝物殿などを案内した後、愛宕梨々香は御桜神社のご神木であるヤマザクラの前で、そのいわれについての解説を始めようとしていた。その前振りとして万葉集うんぬんの話をしているというわけだ。

「萩や梅は当時、自宅の庭に植えられるケースがほとんどでした。それだけ身近な花として親しまれ、愛でられていたわけです。一方の桜は自然の山に自生しているものがほとんどで、その多くがヤマザクラでした。万葉人たちにとって桜は愛でる対象ではなく、畏怖の対象として眺めていたのです。言ってみれば、神を見るような思いで崇拝していたと考えられています」

「はあ……神、ですか」

 あわたがきょとんとした顔をする。

「もともと桜の語源は、田の神が宿る場所という意味があると言われています。桜の『さ』は田の神、そして『くら』は御座を表しているとのことです。他にも説はありますが、桜が神聖視されていたことは間違いのないことでしょう」

「日本で『桜』というと、もともとはヤマザクラだったと聞いたことがある」

 岩志木の言葉に愛宕梨々香が笑顔でうなずく。

「おっしゃる通りです。いまでこそ桜というと多くの方がソメイヨシノを思い浮かべますが、ソメイヨシノが生まれたのは江戸時代後期のことです。それ以前は桜と言えばヤマザクラのことを指しました」

 そして愛宕梨々香はご神木を見上げて言う。

「このご神木もヤマザクラです。樹齢は一五〇〇年以上と言われています」

「せんごひゃくねん?」とあわたが目を丸くする。「私が生まれる前だ」

「あわたちゃん。倫子みたいなこと言うんじゃないの」

「あ、すみません。つい」

 あわたは頭を掻く。そんなあわたを優しく見つめた後、愛宕梨々香は話を再開する。

「このご神木は、ヤマザクラとして国内でも古いほうですが、おおっぴらには告知していません。評判になると、それだけ心ない方の目にとまる可能性も高まりますから」

 ただ話題になったというだけで、群れ集まるという層は一定の割合でいる。そういう連中には来てほしくないということなのだろう。美しいものを美しいととらえる感性はなく、単に写真を撮りに来るだけの者たちだ。しかも自撮りで。

「それもそうだね」

 美帆は御桜神社のウェブサイトを思い出しながらうなずく。サイトの情報は素っ気なかったのだが、その理由が分かった。部誌に書くにも、そのあたりの配慮はした方がいいだろう。もっとも、高校文芸部の部誌を読もうとする人がどれだけいるかという話にもなってくるのだが……。

「このご神木の由来ですが」と愛宕梨々香は言う。「かつて、この真桜の地に一人の美しい姫がいました。名は桜姫。その姿を目にした者は思わず拝んでしまうほどに神々しい美しさをたたえた方だったと伝えられています。気立ても優しく、真桜の里の人々を大切に思い、何よりも諍いごとを好まない方だったそうです」

 美帆の隣ではあわたが「そうそう」と言わんばかりにこくこくとうなずいている。「この話、知っているのかな?」と美帆は思った。

「その姫の噂を聞きつけて、一人の神が天から降り立ちました。その神の名を春瀬命と言います」

 そこであわたの動きが止まる。横目で見ると「ん?」という顔をしていた。

「春瀬命は桜姫に求婚をし、姫もその申し出を受け入れました。そしていざ二人が結ばれようとした時、突然一匹の悪鬼羅刹が現れ、姫の命を奪ってしまったのです」

「え、え〜!」

 あわたがめをまん丸にする。

「春瀬命の腕に抱かれた桜姫は息を引き取る前にこう言いました。私の身体を埋めたその上に、桜の木を植えて下さい。私はその桜の木とともに、この真桜の里を見守り続けます。そしていつの世にか、人として生まれ変わり、あなたともう一度出会うことになるでしょう」

 そう言って愛宕梨々香はもう一度ご神木を見上げる。

「その時の桜の木が、このご神木です」

 つられて美帆もご神木を見上げた。高さは十メートル以上はあるだろう。花の季節は過ぎているので、枝は葉で覆われているが、いまの話を聞いたせいか、神々しく感じられた。根元はゴツゴツとしていて、幹も太い。初夏の陽光が葉影を作っていた。

「あのう、そのお話って……」とおずおずとあわたが手をあげて言う。「本当のお話なんですか?」

「さあ」と愛宕梨々香は首を傾げる。「何しろ言い伝えですからね。でも」

 とそこで言葉を切り、なぜか美帆に視線を注ぎながら言った。

「何らかの真実は含まれているかも知れませんね」

 美帆は反応に困り、ぎこちない笑みを返した。


 鳥居の下で手を振る愛宕梨々香に見送られながら、三人は御桜神社の石段を下りていく。美帆は何度か振り返ったが、愛宕梨々香はいつまでもその場に佇んでいた。

(あの人が桜姫の生まれ変わりなんじゃないかな)

 美帆はふと思った。

 美帆の前を部長とあわたが並んで歩いている。そのあわたが言った。

「部長。さっきの桜姫の話なんですけど、私の知っているお話とはちょっと違いました」

「どう違ったんだ?」

「お姫様のところにやって来る神様は二人なんですよ」

「一人じゃなかったんだな」

「はい。それでその二人の神様が姫を取り合って、戦が起きて、真桜の里が蹂躙されるんですよ」

「となると、さっきの話に出てきた悪鬼羅刹がもう一人の神になるってことか」

「え? ……あ、そうか。そうかも知れないですね。春瀬命さんでしたっけ? その神様がもう一人の神様に勝ったってことになるんですかね」

「ハッピーエンドじゃなかったけどな」

「ふーむ。ですね。でも、そこのところも微妙に違うんですよね」

「あわたはどこでその話を知ったんだ?」

「部誌です」

「部誌?」

 その時、三人のスマートフォンが同時に鳴った。それぞれ立ち止まってチェックをする。倫子からのラインだった。

「ビックリ仰天! 照桜寺って学原鏡子さんのおうちだったよ!」

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