10
文芸部の部室の扉がノックされ、倫子が声を張り上げた。
「入ってまーす!」
扉に一番近い場所にいたあわたが「先輩、またバカなこと言って」と立ち上がり、扉を開ける。
直後、のけぞった。
「うげ!」
その声に他の文芸部員たちが「?」と視線を向けると……。
そこには、意外な人物が立っていた。
「うわ、緒方道祐!」
倫子が立ち上がり、指を差す。
美帆も紗希も春奈も一様に目を丸くしている。一人、平静なのが岩志木だ。
「入っていいかな?」
返事を待たず緒方は部室に足を踏み入れる。そして手にしていた紙袋をあわたに渡した。
「これ、みなさんで」
「あ、はい。ありがとうございます」
「あわたちゃん」と倫子が厳しい声を出す。「何をそんなにあっさり受け取ってんの。いくらそれが限定販売のレアなシュークリームであっても、私が前々から気になっていたものであっても、簡単に受け取るんじゃないの。相手は緒方塾のラスボスじゃない。ちょっとはプライドを示しなさい!」
「あ、はい。やっぱり返します」
あわたがシュークリームの入った紙袋を突き返すと、緒方は肩をすくめて受け取る。
「せっかく手に入れたのにな」
「どうせ緒方塾の誰かに並ばせたんでしょ」
「そんなことはしないさ」
「緒方君が買いに行ったの?」
美帆が疑わしげな表情を浮かべる。
「おかげで今日は遅刻したよ」
「………」
緒方が手土産として持ってきたのは駅前のスイーツ店が毎日二十セット限定で売っているシュークリームだった。紙袋にはその店のロゴとキャラ化されたシュークリームが描かれている。専用の紙袋だった。倫子が一目で中身を見破ったのはそのためだ。
「へえ、そうなの。立派な心がけじゃない。だったら受け取ってあげないでもないわ」
倫子が言うと、緒方は再び紙袋をあわたに渡す。
「じゃあ、これ」
「ありがとうございます」
「でも緒方君。あなたたちがこのあいだ春奈にしたことは、私たちは絶対に忘れないからね」
「当然だと思う。あの時は本当に申し訳なかった」と言って緒方は春奈に深々と頭を下げる。「神浪さん、イヤな思いをさせてしまったね。すみません」
「えと、あの、そんな。私は大丈夫ですよ」と両手を振りながら答えたあと、倫子を睨む。「倫子も言い過ぎ。失礼でしょ」
「だって」
「学原さんもちゃんと謝ってくれたんだし」
「それはそうだけど」
勧誘騒動のあった翌日、同じクラスの学原鏡子は春奈の席にやって来て「昨日はごめんなさい」と言いながら深々と頭を下げた。教室中が静まり返り、逆に春奈があたふたしたほどだった。
「だ、だからこの話はもうなし。うん。終わり」
「分かったわよ」と言って倫子が緒方に向き直る。「それで、緒方君。今日は何の用事? スーパースターがじきじきにおでましなんてビックリなんだけど。まさか、わざわざお詫びのために?」
「ああ、それなんだけどね」と緒方は部室内を見渡したあと、肩を軽くすくめた。「僕は文芸部に入部したい」
「!」
「!」
「!」
「!」
「!」
その言葉に女子部員全員が固まる。
部長の岩志木は表情を変えることなくパソコンを操作している。カチカチとマウスがクリックされ、やがて壁際のプリンターが動き出した。岩志木は立ち上がり、プリントアウトされた用紙を緒方に渡す。
「入部届だ。フルネームで署名。あと、保護者の印鑑をもらってきてくれ」
「分かった」
「ちょっと待てや!」
倫子が叫ぶ。
「倫子、声が大きいぞ」
「大きくもなるわよ。ならいでか。部長、何考えてんの? まさか緒方君を入部させるの?」
「うん」
「うんじゃねーよ、この部長男!」
「部長男て」
あわたが小さくつぶやく。そのあわたに岩志木が言った。
「あわた。椅子を出してやってくれ」
「あ、はい」
あわたは壁際に立てかけていた折りたたみのパイプ椅子を開いて緒方の前に置く。
「どうぞ」
「ありがとう」
緒方は言って腰を下ろす。そしてテーブルの上で手を組んだ。物怖じしている様子はなく、笑みを浮かべている。
「ねえ、緒方君。冗談よね。今日は確かにエイプリルフールだけどさ、それでも冗談キツ過ぎない?」
「倫子先輩、今日は六月一日ですが」
「スーパースターにとって二か月くらいの誤差は何でもないの!」
「んな無茶な」
「いや、僕は本気だよ。本気で文芸部に入りたい」
「り、理由はなな何ですか?」
「二つある。一つは、岩志木君に対する興味」
「それはどうも」
席に戻った岩志木は答える。
「文芸部の二年生女子を独り占めしているのはなぜか。実に興味がある」
「好奇心は大切だ」
「好奇心は猫を殺すとも言うよ」
美帆が言う。それには反応せず、緒方は岩志木に言う。
「彼女たちを独り占めしているという点は否定しないんだね」
「彼女たちはおれに好意を寄せてくれているからな」
「ハーレムだね」
「あなたが言うことじゃないでしょ」と倫子が言う。「ハーレムの規模では、そっちが上じゃない」
「それは否定しない」
「あらま」
「もも、もう一つの理由は何ですか?」
「君たち女子とお近づきになりたい」
「ええー!」
女子部員全員がのけぞった。
「お、お、お近づき?」
「そう、お近づき」
穏やかな笑みを浮かべながらうなずく緒方に倫子がキッパリと真面目な顔で言う。
「やめてほしい」
「なぜ?」
「恨みを買うから、緒方塾の人たちに。緒方君、女子の嫉妬は物凄く怖いのよ。マジでやめて」
「うーむ。そう言われても」
「それにいまも緒方君が言ったように、ここにいる二年生女子のハートは岩志木部長が独り占めしてるの。私たちが緒方君に興味を示すことはないのよ」
その言葉にあわたも含めて女子全員がうなずく。
「これは手厳しいね」
「気を悪くしないでね。でも、それは緒方君だからじゃないのよ。例えば、もう一人のスーパースターが来たとしても同じことなの」
と美帆が言った。
「そんなに君たちは岩志木君のことが好きなんだな」
「うん」
「好き」
「そうよ」
「だね」
二年生女子は一斉に答える。
「君は?」
と緒方はあわたを見る。
「わた、私は一年生ですから」
「なるほど」と緒方はうなずき、岩志木に言う。「僕は入部できないのかな?」
「できるさ」
「だから部長ってばよ!」と倫子が吠える。「緒方君が入ると大変なことになるでしょうに。分かんないのかよ、ダーリン!」
「例えば、どう大変なんだ?」
「緒方君が入ってきたら緒方塾の女子たちが文句を言いにくるじゃん。怒りに突き動かされた集団ほど怖いものはないんだよ」
「おれが何とかするよ」
「部長をそんな危険な目に合わせるわけにはいかないでしょうに」
「バカ、それはおれの仕事だ」
「もうやだ、カッコつけちゃって! みんな惚れ直したじゃない! とか言ってる場合じゃないの。ことは重大なんだから! ガラスの重大なんだから!」
「どうもピンとこない」
「ピンとこいよ!」
二人のやりとりを見ていた緒方が「ふむ」」と小さくつぶやき、視線を美帆・春奈・紗希へと順に移していく。見られた三人はどことなく値踏みされた印象を受けた。
「ホントにもう、部長は危機感がないんだから」
「そうは言うけど、倫子。断る理由がない」
「文芸部の危機なのよ」
「危機じゃないだろ。部員が増えるんだ」
「部長は部員さえ増えれば、文芸部が存続すると思ってるのね!」
「普通はそうだろう」
「やれやれ、埒があきませんな」と倫子は両肩をすくめる。「みんなはどう思う?」
美帆が答える。
「正直なことを言えば、困惑の方が大きいけど、部長の言う通りだと思う。断る理由がない」
「なに言ってんの⁉︎ この人は文芸に興味があるんじゃなくて、部長に興味があるから入りたいんだよ。あと、私たちとお近づきになりたいと言ってんのよ。不純よ」
「もちろん、文芸にも興味はある」
と、緒方。
「うわ、ハンパないほどのとってつけました感」
「倫子、仕方ないよ」
紗希が言い、春奈も
「そそ、そうだよ。うん」
とうなずく。
「あわたちゃんはどうなの?」
「わ、私ですか?」
「あわた、答えなくていい。倫子、一年生に言わせることじゃないだろ」
「ぶー」と倫子はむくれた後、パッと顔を明るくする。「そうだ、宗像先輩の意見も」
「先輩も同じことを言う」
「……ま、そうか」
話が落ち着いたタイミングで緒方が言う。
「では、僕は入部してもいいのかな」
「もちろんだ」
「でもさ、緒方君」と倫子はまだ抵抗する。「こんなことを言うと気を悪くすると思うけど、ここは緒方君にとって針のむしろになるよ。だって私たち、あなたに興味がないんだから。他の人たちみたいにちやほやしないんだよ? スーパースター様ってあがめたりもしないよ? 緒方塾にいた方がずっと快適なんじゃない?」
「そうとも言えないよ、倫子」
と紗希が言う。
「どうして?」
「緒方塾の子たちがみんな入部してきたら……」
「うがー、それがあったかー」と倫子が自分の頭をわしづかみにする。「乗っ取られっじゃん、文芸部。敵対的買収じゃん! 緒方君、あんた何てこと企んでんのよ!」
「私たちを緒方塾に入れるのではなく、緒方塾を文芸部に入れて、実質緒方塾にするのか。考えたわね」
美帆が半ば呆れ、半ば感心したように言う。
「お前ら、考え過ぎだ」
岩志木が苦笑しながら言うと、倫子がまた吠える。
「部長が考えなさ過ぎなの!」
「そうかな」
「あ、私、思いついた」
「何をだ」
「部長、ここは私に任せて。ねえ、緒方君」
「何だろう」
「わが文芸部は真桜高校創立時よりの歴史を持つ伝統ある部なのです。そのことはご存じ?」
「一応は」
「したがって入部するには、それ相応の試練が必要です。具体的には試験を受けて、それに合格しなければなりません。実は、文芸には代々受け継いできたそういうルールがあるのです」
「倫子、お前いま、思いついたって言ってたじゃないか」
「黙ってろや、部長ビッチ!」
「部長ビッチて……」
あわたがつぶやく。
「入部試験か。うん、面白そうだ。それはぜひ受けたいね」
「ほほう」
「で、問題は?」
「あう。えーと」
と救いを求めるように部員たちを見る。美帆が助け船を出した。
「私たちが一人ひとり、文芸に関する問題を出します。それに全問正解したら入部を許可ってどう?」
「あ、それ。それだった、ルール」
「オーケーだ。じゃ、問題を出してくれ」
「緒方君。あなたの伝説は聞いてる。入試に始まり、中間、期末、授業の小テストに至るまでことごとく満点を取り続けているらしいわね。でもね、わが文芸部が出す問題は、そういう甘っちょろいもんじゃないの。それでもいいのね? あ、いまさら前言撤回はなしよ」
「構わない。始めてくれ」
緒方は余裕の表情を浮かべている。
「ふん。余裕をぶっこいてられるのもいまのうちよ。じゃ、第一問はあわたちゃん。スーパースターをぎゃふんと言わせてあげなさい!」
「へ? わたたしですか? えと、あの」
急に指名を受けたあわたはあたふたした後におろおろし、そのあげくこんな問題を口にした。
「わわ吾輩は猫であるの作者は?」
二年生女子全員が「あー」と頭を抱える。
「夏目漱石」
緒方はあっさりと答える。
あわたは頬を紅潮させて絶句していたが、やがて絞り出すような声で言った。
「ですが」
二年生女子全員が今度は「おう」と顔をあげた。「その手があったか」という期待が表情に表れていたが……。
「まま舞姫の作者は誰でしょう」
というあわたの言葉に再び「あ〜〜〜」と頭を抱えた。
「森鴎外」
緒方が再びあっさりと答える。
「……正解です」
「ありがとう。次は?」
緒方は部員たちを見る。
「私よ」
倫子が腰に手を当てて胸をそらす。
「どうかお手柔らかに」
「一問目はサービス問題だったけど、二問目からはいきなりハードルがあがるわよ」
その一問目の出題者であるあわたはテーブルに突っ伏して、春奈から背中を撫でられている。
「それは気を引き締めて当たらないとね」
「ふふーん。君みたいな秀才はライトノベルなんて読まないでしょ。その弱点を突いてあげましょう」
「ほう」
「涼宮ハルヒシリーズのタイトルを最初から順番にすべて言いなさい!」
と、おそらくはかの有名キャラの物真似をしながら言った。
「あ、これはラッキー問題だ。ハルヒは大好きでね」
「え、嘘⁉︎」
「最後の二文字ずつでいいかな?」
「う」
その言葉に倫子は動揺し、数歩後退する。
涼宮ハルヒシリーズのタイトルはすべて「涼宮ハルヒの○○」という風に統一されている。緒方の言う「二文字ずつ」とは、そのことを指していることが分かったようだ。
「いいわよ。言えるものなら言ってみなさいよ」
「憂鬱、溜息、退屈、消失、暴走、動揺、陰謀、憤慨、分裂、驚愕、直観、劇場」
緒方はリズムでもつけるようにタイトルを口にする。楽しそうだった。
「うぐぐ」
「正解かな?」
「部長、どうなの?」
「お前は自分でも答が分からない問題を」
岩志木は苦笑し、マウスをクリックしてキーボードをパチパチと打つ。ネットで調べているのだろう。
「緒方。もう一度言ってもらっていいか」
「憂鬱、溜息、退屈、消失、暴走、動揺、陰謀、憤慨、分裂、驚愕、直観、劇場」
「正解だ」
岩志木がうなずくと、倫子が
「あう」
と言ってヨロヨロとよろめきながらあわたの隣で突っ伏した。
「次は私。いい?」
美帆が言い、春奈と紗希がうなずくのを確認したあと緒方に問題を出す。
「ドストエフスキーのお父さんの職業は?」
「なるほど、そうきたか」
と緒方は腕組みをする。その反応に文芸部員たちは期待の目を向ける。あわたも倫子もテーブルに頬をつけたまま緒方を見ている。
「医者だね」
「……正解」
と答えて美帆が突っ伏す。
「じゃ、じゃあ次は私が」
と春奈が小さく手をあげる。
「どうぞ」
「百人一首をすべて暗誦して下さい」
「暗記なら得意だよ」と緒方が軽い口調で言う。「僕は万葉集もぜんぶ覚えてるから」
「え、うそ!」
と春奈が口をポカンと開ける。
「だだだって、万葉集って四五○○首あるんですよ」
「正しくは四五三六首だね。なんなら、そっちにする? 今日中には終わらないけど」
春奈はその場で突っ伏した。緒方なら「あり得る」と思わざるを得なかった。しかしそれでも最後の抵抗とばかりに顔をあげて言った。
「百人一首の十七番目の歌を暗誦して下さい」
「十七番目……」
緒方は軽く目を閉じながら口にした。
「千早ぶる神代もきかず龍田川からくれないゐに水くくるとは」
「……せ、正解です」
春奈が顔を伏せる。
「さて、次は君だね?」
緒方は紗希を見る。
「吸血鬼を書いた作家は?」
紗希は早口で言った。それにつられて反射的に答えさせるのが目的だった。しかし緒方は引っかからなかった。
「もう少し具体的にお願いできるかな」
「う」
「吸血鬼というタイトルの小説を書いた作家なのか、それとも吸血鬼を題材にした小説を書いた作家なのか、どちらだろう? 前者なら江戸川乱歩が有名だし、ボードレールの作品にもあったはずだ。ブラム・ストーカーは違うしね。後者なら、それこそ星の数だけあるよね。問題としては広すぎるんじゃないかな」
「……負けでいいです」
と言って紗希は突っ伏す。
「じゃ、最後は岩志木部長からの出題だね」
「おれはいいよ」
「いいじゃないか。何か出してくれよ」
「わかった」と岩志木はうなずく。「桜の樹の下には屍体が埋まってるって話があるだろ? あれを書いたのが坂口安吾か梶井基次郎かいつも迷うんだ。なにかいい覚え方はないか?」
「………」
「ん?」
岩志木は緒方の顔を見て首を傾げる。緒方の顔には驚愕が張り付いていた。
「どうした?」
「え? あ、ああ、そうだな。桜の樹の下には屍体が埋まってるというのを書いたのは梶井基次郎だ。安吾は桜の森の満開の下だね。覚え方は……そうだな、檸檬の屍体という風に考えたらどうだろう」
「檸檬の屍体ね。それはいいな。分かりやすい」
「……ああ」
「よし。じゃあ入部届は明日にでも持ってきてくれ。ようこそ、文芸部へ」
岩志木が言うと、女子部員たちは全員が「あー」と呻いた。
しかし緒方は岩志木に入部届を返して首を振った。
「やっぱりやめておくよ」
「え」
「え」
「え」
「え」
「え」
「どうしてだ?」
緒方は立ち上がり、パイプ椅子を閉じて元の位置に戻す。
そして、
「少し考えてみたいことができた」
とだけ言って部屋を出て行った。




