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春奈は緒方塾への参加をうながされていた。
最初は無理強いではなかったものの、いまでは半ばそれに近い状態になっていた。
春奈は涙目になっている。
「ねえ、どうして入るのがイヤなの?」
学原鏡子が首をかしげた。
「あのあの……イヤなわけじゃなくて、」
「だったら入ればいいじゃん」
春奈の言葉を遮って、名前の知らない女子が言う。気の強そうな顔をしていた。
「で、でも……」
「緒方君に勉強教えてもらったら、すごく成績あがるよ?」
「そうそう。神浪さんも大学行くんでしょ? だったら二年生のうちから頑張っておいた方がいいって」
「一緒に頑張ろうよ!」
春奈は机の前に座らされていて、学原鏡子をはじめとする女子たちが立ったまままわりを囲んでいる。
緒方の姿も見られた。教壇の横に立っている。
緒方は彼女たちを止めようとせず、しかし自身が勧誘に加わることもなく静かな目で春奈を見ていた。
「わた、私は文芸部なので」
「それさっき聞いた。両立できるって言ったじゃん」
別の名前を知らない女子が言う。口調に苛立ちが混じっていた。
どうしてこの人たちはこんなに強要するのだろう……と春奈は戸惑っていた。
別に私が緒方塾に入らなくても迷惑をかけるわけでもないし、入ったところで何ができるわけでもないのに。
最初は穏やかな口調で「緒方塾に入る気ない?」と切り出されたが、春奈が首を縦に振らないので、次第にみんなは気分を害してきたようだった。
春奈を緒方塾に入れるというより、自分たちの言うことを聞かせようという方向に気持ちが傾いているようにも感じられた。
春奈は立ち上がって教室を出て行きたかった。
しかしその行動が逆に刺激を与えてしまうかも知れないという恐怖があった。
一度いじめを経験した者は「集団」がいかに怖ろしいものかを身にしみて知っている。
「ねえ、神浪さん。じゃあ、あなたはどうしても緒方塾には入らないって言うのね」
学原鏡子が落ち着いた声で念押しをする。
「あの。は、はい。私は入りません」
「なんかムカつく。私らのことバカにしてる?」
気の強そうな顔をした女子が舌打ちをする。
「そそ、そんなことないです」
あまりの口調の強さに、春奈はついに涙をこぼす。
「別に泣かなくていいじゃん」
「私らがいじめてるみたいになるじゃない」
「あ。ご、ごめんなさい」
春奈が涙を指で拭った時、教室の扉が開かれた。
塾生たちがいっせいに顔を向ける。
「あ」
春奈が安堵の声を出す。
そこにいたのは岩志木だった。
その背後、扉の向こうから文芸部の女子部員たちが顔をのぞかせている。
岩志木はゆっくりと春奈に近づき、腕をとった。
「春奈、みんなのもとへ行ってろ」
「はい」
春奈が、たたたと文芸部員たちの元へ駆け寄る。
それを確認した後、岩志木は緒方塾の女子たちに向き直る。
「学原鏡子というのは誰だ」
「私よ」
「そうか」
岩志木はそう言って学原鏡子を静かに見る。
「何か言いたいことでも?」
岩志木の目を見つめ返しながら学原鏡子が言う。
しかし岩志木はそれには答えず、ただ無言で学原鏡子を見続けた。
沈黙が続くにつれ、空気が張り詰めだした。
と、岩志木は視線を外し、緒方を見た。
「緒方」
「何だろう」
「お前の指図か」
「だとしたら?」
「表に出ろ」
感情をこめることなく、淡々とした口調で岩志木が言った。
「おいおい、暴力は良くないよ」
岩志木は静かに答える。
「お前はそうかも知れないが、おれはそうは思わないんだ」
静謐ではあるものの、青白い炎のオーラが立ち上っていた。
学原鏡子もほかの女子たちも何も言わなかった。気圧されていて何も言えなかった。
岩志木が本気で言っているということを誰もが感じ取っていた。
この男は緒方のことをまったく怖れていない。
怖れるどころか、歯牙にもかけていない。
緒方が真桜高校のスーパースターであることも、女子たちから圧倒的な人気を集めていることも、さらにはそのことで緒方に手を出したらどれだけの反感を食らうかも意に介していない。
この男にあるのは文芸部員にちょっかいを出されたことへの怒りだけだ。
(この男はバカだ。狂ってる)
と緒方塾の誰もが思った。同時に、
(何をしでかすか分からない)
という恐怖も感じた。
緒方の身に及ぶであろう危険も感じたし、自分たちもその危険にさらされていることが分かった。きっとこの男は相手が女子であろうがなんだろうが容赦しないはずだ。
守るべきものが何かを知っていて、何があっても守るという意志のかたまりだった。
緒方塾の面々は剥き出しに置かれたスズメバチの巣に対峙しているような気持ちになった。
「悪かった」と緒方が言った。「少し行き過ぎてしまったようだ。許してくれ」
頭を下げたあと、春奈にも呼びかける。
「神浪さん。申し訳ないことをした」
春奈が岩志木に駆け寄ってきて腕を取る。
「あの、ぶぶ部長。私、大丈夫だから。うん。だから、あの、もう行こ。ね?」
「分かった」
うなずいた岩志木は春奈の背に手をまわし、緒方塾の面々には目をくれることなく教室を出て行った。
扉が閉まり、教室内に大きなため息が生まれる。
「なに、あいつ。キモ過ぎ」
誰かが言ったが、それに反応する者は一人もいなかった。




