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2

 翁が傷を負って動きが悪くなったこともあり、その日から私は庭師の弟子として働くことになった。使用人たちも、持て余し気味だったいわくつきの子供が落ち着く先を見つけたことに胸をなでおろしたようだ。

 子供にできることは限られているが、庭師は一人ではない。数名の庭師と共にできる限りのことをする。指先が今まで以上に荒れて傷だらけになっても、弱音など吐かなかった。先の見て見ぬふりのこともあり、罪悪感があったのだろう。ほかの庭師が表立って何かを言うことはなかった。年老いた庭師の仕事量が、もともと少なかったのも不幸中の幸いだったのかもしれない。身を粉にして働けば、ほかの庭師の仕事を増やすことはなかった。

 レイリアと出会えば、彼女とその侍女に理不尽な嫌がらせを受ける。出会わない時間帯である早朝にできる限りの仕事を終わらせ、それ以降は翁のサポートに徹した。私の中では「自分」はこの家の令嬢ではなく、庭師の孫娘だった。


 時がたち、十二歳になったころ。邸が少しばかりあわただしい雰囲気に気が付いた。


「ここにいたか!」


 昼過ぎの庭の端、レイリアも寄り付かない廃材置き場にもっともそぐわない人物が現れた。何年ぶりに見ただろう、立派な身なりのその紳士を。もう、父と呼ぶことすら許されないその男を。


「来い!」

「……っ!」


 助けを求めようと周囲を見渡すも、周囲には誰もいない。少し離れたところでは、何人かの使用人が身を隠すようにこちらを窺っていた。その中には庭師の翁の姿もある。


 助けを求めてはいけない。


 刹那、それを理解した。相手が主であろうがなかろうが、貴族に平民の使用人が逆らえるはずがない。いつか、翁がレイリアの侍女に打たれ続け、それを耐えたように。

 こんな私をここまで生かしてくれた人たちだ。迷惑をかけたくなかった。

 腕をつかまれ、引きずられるようにして連れられたのは、リズベルトの紋の入った古い馬車の前だ。あちらこちらが朽ちて、強い衝撃を受ければ崩れてしまいそうに見えた。


「乗れ」


 そこに押し込められると、建付けの悪い扉が閉まった。


 何が起きているのかわからないまま、声を発することもできない。馬車はひどい揺れで、恐怖と混乱の中でまともな思考を保つことさえままならない。ただただ、朽ちかけた座面にしがみつき、この揺れが収まるのを待つしかなかった。

 どれだけ走っただろう。時間の感覚はわからないが、外から入り込む光はない。遠くにうっすら明かりが点り、恐る恐る窓の外を窺った。


 場所はどうやら森の中のようだ。リズベルト邸から町には何度か訪れたことがある。町から離れた場所に森があることくらいは知っていた。馬車でずいぶん走った距離だと聞かされたことがある。


「……まさか……黒の森に行くつもり?」


 窓の下で身を縮めると震える体を両の手で抱え込む。


 黒の森とはこの国の西の端、子爵領のはずれにある深い森だ。木々が絡み合うように生え、空が見えないくらいに葉が覆い茂っている。そのせいで、一日中日の光を見ることができない。それがその森の名の由来だ。


「この辺でいいか」


 感覚的に二晩を過ぎたころ、男たちが動き出す気配に身を起こした。


「どのみち、この先は馬車では進めません」


 会話が途切れ、轟音と共に扉が開いた。扉は馬車の壁ごとはがされている。


「しぶといな……もう少し弱っているかと思ったが」


 馬車での移動の最中、水は与えられたものの、食事はなかった。近くに生えていた草を、目を盗んで口に押し込んでしのいでいたのだ。庭師の仕事を手伝っていなければ、それが食草であることもわからなかった。あるいは、いつか放逐されることを見越して、爺が教えてくれていたのかもしれない。


「まぁいい、降りろ。次はこっちだ」


 首根っこをつかまれ引きずり出されると、別の男たちが無人になった馬車を砕き始めた。恐怖に身をすくめると、私をつかんだままの男が大きなため息をついた。


「悪く思わないでくれ。俺だって、夜目が効くからって理由で駆り出されただけだ」


 その言葉に何かを返すこともできない。奥歯が音を立てて、食いしばろうともかなわなかった。


「心配しなくていいさ、書類と同じ状態にするだけだよ? お嬢サマ」

「書類……」


 心臓は今にも壊れそうに激しく脈を打っている。


「お嬢サマは六年前、死んだ」


 鈍器で殴られたかのような衝撃に硬直した。直接言われたわけではないが、レイリアの侍女がそれらしいことを言っていた。それよりも以前。もう六年も前に、私はあの家の子供でなくなっていたのだ。冷えた体が、もっと芯の方から凍り付くように温度を失っていく。


「子爵にわがままを言ってこの黒い森に付いてきたサティアナお嬢サマは、気まぐれに乗った馬の暴走でこの先の谷に落ちたらしいよ」

「そんなの……!」


 六年前にはすでに父と母とかかわること自体なかった。会いたいと口にしたことはあっても、実際に会うことはおろか、父と一緒に出掛けることすらなかった。


「事実なんてどうでも良い。死亡届も当然出してあるんだけど……それを怪しむ人間がいてね。いくら教育を受けていないからと言っても、使用人くらいの知識があればわかるよねぇぇ?」


 男は間延びした語尾を紡いだ後、歪んだ笑みを浮かべた。


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