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懐かしく、そして苦しい夢を見た。私――この世界でのサチの始まりの夢だ。
私、サティアナ・リズベルトは、十四年前リズベルト子爵家の長女として生まれた。
父親の持つダークブラウンと呼べなくもない、黒髪と黒い瞳は何代かさかのぼればあったという色合いだったが、父親はひと時妻の不貞を疑った。少し経てば父親の幼いころを思わせるようになったものの、夫婦にわだかまりは残り、成長するにつれ地味な色合いの娘の扱いは雑になっていった。三年後に妹のレイリアが生まれてからは、それがさらに酷なほうへと変わって行った。
レイリアは母親譲りの金の髪、宝石のような青い瞳で愛らしい容姿を持っていた。それに加え、最初の子の育児で躓いた二人の関心が彼女に集中したのは言うまでもない。まるで高価な人形のように美しい赤ん坊は、それを自覚しているかのように与えられるだけの愛をわがものにした。
妹に比べ見目が悪く、曰く付きの姉の私は、いつしか邸の片隅に追いやられ、使用人に押し付けられた。両親も妹も、めったに顔を合わすことはない。もちろん、食事を共にすることもない。
やがて使用人たちから令嬢として扱われることはなくなり、しまいには彼らに交じって生活するようになった。幸い、使用人たちはそれなりに優しかった。子爵令嬢として扱われることはなかったにしろ、生きていくことに役立つ知識を教えてくれた。
最初のうちは父に、母にと泣いてすがっていた私も、毎日何度も不細工の出来損ない、子爵家の厄介者と言われ続ければ、自分が彼らにとって不要な「生き物」であることが分かる。八歳になるころには、「家族」への執着を失っていた。
家族の前に姿を見せず、使用人として働いていれば何とか生きていられる。当時の私にとっては、それがすべてだったのだ。
決して長女が袖を通すことがない美しいドレスをまとい、光沢のあるリボンでできた髪飾りをつけて。レイリアは手入れしたばかりの庭の花の上を駆けている。コロコロと楽しそうに笑いながら。
使用人のおさがりであるくすんだ灰色のシャツをまとい、昨日は庭師の手伝いをした。ちょうど、彼女が駆けたあたりの場所だ。
庭師の翁には「そんなもんだ」と聞かされていたが、悔しさに下唇をかんだ。運が悪かったのだろう、それがレイリアの目に入ったらしい。
「あの子! レイのことを睨んだわ!」
遠く離れた場所にいたはずの妹が、なぜかすぐそばにいた。それに気づいた瞬間、私は後方へと倒れこんだ。遅れて頬がずきずきと痛む。とっさに、手を当てれば熱が手のひらに移った。
「使用人の分際で、お嬢様に向かって生意気な」
レイリアの前に立ちはだかった侍女が、私のことをぶったのだ。
「おやめください! この方はサティアナ様でございますぞ!」
庭師の翁が植え込みから飛び出し、私の頭を守るように抱きかかえた。
「サティアナ? あぁ……そんな子もいたわね。でも、おあいにく様。それはとっくに過去の話……子爵家のお嬢様はレイリア様だけよ」
侍女がその手を振り上げる。
「やめてください!」
爺の腕の中で、私は声にならない叫びを漏らす。
「やめて……」
叩いているのではない。不自然な振動が爺から伝わってくる。
「立場をわきまえなさい」
すでにレイリアが邸に戻ったせいか、侍女は興味を失ったかのように踵を返した。
「じい……! ごめん! ごめん!」
肩で息をつき、痛みを逃がす翁は、明らかに顔色が悪い。背を見れば、服にうっすらと赤いものが滲んでいた。
「ひっ……」
ヒールだ。あの侍女は、翁をヒールで蹴っていたのだ。
「だれか……」
か細く声を上げ周囲を見渡したが、人の気配は見えない。昼過ぎのこの時間であれば、人の気配もあるはずなのに。誰も巻き込まれたくないと、この場から姿を消したのだろう。
「大丈夫……仕事を……」
爺が言葉を絞り出す。まだ、今日の分の手入れが終わっていない。
「くっ……」
視界が涙で滲み、声が震える。しかし、泣いている場合ではない。爺を早く休ませたい。私は、彼のわきの下に頭を通した。ただでさえ、栄養不足でやせこけたこの体では、爺を支えながら歩くことは並大抵のことではない。頬の痛みも忘れ、滴る汗もぬぐわずに小屋を目指す。
爺を寝台にうつぶせで寝かせつけたところで、完全に力が抜けてへたり込んだ。