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人間、よくわからないものには手を出さない方がいい。
『カーッ! なんという物言い! まぁよい、ではお前、名を何という?』
そう問われて、言葉に詰まった。こんな目に遭って、あの子爵から与えられた「サティアナ」を名乗る気にはなれない。使用人同然に扱われ、最後は捨てられた。そんなことをする人たちと血縁関係にあるだなんて、思い出したくもない。きっと、この名を名乗ればずっとそこから離れられなくなる。
諦めの中で生きていたと思っていた。しかし、私の内側にはまだ理不尽さに対する怒りの感情がくすぶっていたのだ。私は怒っている。そして、憎んでいる。負の感情が暴れ出したことで、どうしようもないことはわかっている。復讐を願えば叶うのかもしれない。私が星の魔女として、魔法が使えるようになったなら。
――ばかばかしい……。
よぎった思考を鼻で笑った。はるか上空を見上げ、大きく息をつく。生きている。そして、生きなければならない。復讐など考えている暇などないのだ。
「サチ……」
とっさに口にしたものは、なじみのある音だった。
『サチか。まぁ、人間にしては良い音だな』
闇の精霊がそういったことで、目頭が熱くなった。ツンと鼻の奥が痛くなる。かろうじて涙はこぼれなかった。
幸子。
私が生きてきた世界、『日本』という国では、よくある名前だ。この名は施設の先生が『幸せな子になるように』とつけてくれた名前だった。サティアナのサティとサチ。少し、発音が似ている気がする。そうだ、私は「サチ」。サチとして生きていく。
「そもそも……あなたには名前がないのですか?」
『その昔、誰かが呼んだ名があったな……あれはそう、ディープ・ウィズロッド・シュヴァ……』
「長いから、ディーで」
話が(いや名前が?)長くなりそうなので、即流れをぶった切る。おかげで溢れかけた涙が引っ込んだ。
『カーッ! 自分から聞いておいて、最後まで聞かぬとは!』
この精霊王、口癖は『カーッ』なのか。そういえば、カラスもカーッという。漆黒つながりで同じようなものなのかもしれない。
『まぁ良い、契約は成立した』
「え……?」
見れば、自分の体がやや紫がかった光を放っている。
「ナニコレ! 呪い⁉ 気持ち悪い!」
『失礼かっ!』
「あ、消えた……」
憤慨する闇の精霊王、改めディーを横目に、自身の体から光が消えたことを確認し胸をなでおろす。
『契約が終了したという言ことだ。これで、お前が我を呼べばいつでも我を感じることができる』
「……呪いじゃないんだ」
『いい加減、怒るぞ』
呆れた様な声色で。
両手を天にかざすと、空の明るさが透けて見えた。契約が終了したからと言って、この体に何か変化があるわけではなさそうだ。そう思った瞬間、お腹の真ん中がくるると動いた。
「……お腹すいた」
気が抜けたせいか空腹感が襲い掛かる。食草でしのいでいたとはいえ、生きるための最低限のものだ。量も質も良いとは言えない。
『人間とは難儀なものだ』
ディーがローブの裾をふるうと、ぽつぽつとキノコが生えだした。その周辺には山菜の姿もある。
「ローブの中って菌がはびこる……」
確かにキノコはうす暗い森の中でよく見かける。じめっとした場所だとか。
『カーッ! お前は人の親切をぉぉ!』
むしり取ったキノコはかぐわしい匂いを漂わせている。松茸に似ているが、こちらの暮らしでお目にかかったことはない。この世界にあるのだろうか。
「ディーの本体は松……」
『その口を縫い留めてやろうかっ!』
食べられるのだろうか。わざわざ出してくれたということは、そうであると信じたい。
「とりあえず……このキノコを焼きたいなぁ」
どうせなら、出来上がった食事を出してくれればよいものを。
『そんな都合の良いようにはできておらん。物の理を狂わすようなことは我とて不可能だ』
「まさか私の頭の中を読んだのですか!」
『できるかっ! 読まずとも、顔に書いてあるわい』
「くぅ……」
この後、ディーは火と水まで用意してくれ、私は数日分の飢えをしのぐことができた。
食事を終えたところで軽く体が動くことを確認した。若干、体中に筋肉痛に似た痛みを感じるが、今なら問題なく動けそうだ。
いつまでもこの場所にとどまることは良くないような気がして、移動を試みることにした。
「ここより奥はどうなっているんだろう……」
キノコを焼いた残り火を、星の魔法で閉じ込める。こねくり回していると、ランタンのような見た目になった。なるほど、イメージとは大切だ。
『器用なものだ。もうそんなことをできるようになったか』
とはいえ、キノコを食べながら何度も試行錯誤したものだ。これも、前で読んだり、見たりした娯楽の影響だろう。魔力で包み込む発想が、この世界でも通じてよかったと思う。
ディーを背後に従え(勝手についてきている)、さらに奥へと進む。感覚として小一時間ほど歩いただろうか。
「突き当りだわ……」
これ以上はこの岩壁を登らなければ進めない。
「それにしても……ほぅ……」
胸の奥から、感嘆のため息をつく。うっすらと光を放つ苔。空想の世界でしか知らなかったものが、そこに敷き詰められていた。「ヒカリゴケ」は確かにあの世界にもあった。ただ、光を反射して光って見えるだけで、発光するわけではない。しかし、目の前にあるそれは、自ら弱々しくも光を生み出している。それが群生しているので、幻想的に、そして明るく見えるのだ。その中央には、組みあがった岩の合間から水が流れ出し、小さな川を作っている。
『なかなか良い場所ではないか』
「この暗さと湿度が?」
キノコも育成しやすそうな場所だ。
『カーッ! お前というやつは!』
ローブが激しく波打つ。
「えっと、ゴメンナサイ……」
勝手に契約されたこともあって、ぞんざいに扱いすぎた。調子に乗ってしまったかもしれない。
『反省したか。素直は人の美徳ぞ。とはいえ、サチ。お前もここが気に入ったのだろう? しばらく、ここに身を隠せばよい』
「え……でも、こんなところで……」
人は生きていけるのだろうか。
『ここで我が魔法を教えてやろう。崖の上に上がるにしても今のお前では叶うまい』
言われてみれば確かにそうだ。ディーがいれば、今のところ飢えることはない。どのみち、今の私には帰る場所もなければ、行く当てもない。この気まぐれで尊大な精霊が信用に値するかはまだ半信半疑だが、疲れてしまったのだ。今までの生活に。ここでゆっくり休めるのなら、それもありかもしれない。
「そう……だね」
意外に湿度を感じないヒカリゴケの側に腰を下ろし、ひざを抱えると急激に睡魔が訪れた。
『おい、寝るのか! カーッ! 人の子はなんと自由奔放か!』
この人(?)だけに言われたくない、と思いながら、私の意識はゆっくりと闇の中に落ちていった。
その後、口の悪さとそう反した面倒見の良いディーの手によって、一見何もない武骨な谷底は快適な場所へと変化した。
私はここにほとぼりがさめるころまで留まることになる。そしてこれが私の第二の人生の、新たなスタート地点になったのだ。




