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頭の中に注が得る情報の波が渦になって、瞳を閉じているのに眩みそうになる。それが次第にはっきり意識と結びついた。
とある女性の一生。
ここではない、別の国――いや、別の世界だ。明らかに、今の自分の知る環境ではない。類似しているが、全く異質。異世界。そう、異世界だ。
――あぁ!
そういう娯楽小説をいくつか読んだことがある。違う世界に転生して、前世を思い出すアレだ。
幼いころから成人するまでの時間が、ありえない速さで流れる。断片的なシーンもあれば、目を背けたくなるほどじっくり映ることもある。
幼いころ両親に捨てられた彼女は、同じような境遇の子供たちが集まる施設で暮らした。施設出身というだけで奇異の目で見られた学生時代。心無い言葉をかけてくる人間に負けるまいと、勉学に励んでいた。
そんな彼女は学生時代を終えると、世話になった施設で働くことになる。そこで知り合った男性と親しくなり、結婚を前提とした付き合いが始まった。これで自分もようやく人並みの幸せが手に入る、と思った矢先のこと。彼女は恋人の浮気相手に高層ビルの窓から突き落とされ、あっけなくその人生に幕を下ろしたのだ。
――また突き落とされて死にかけているなんて……。
あまりの因果に乾いた笑いが漏れた。
瞬く間に二十三年分の記憶が通り過ぎたが、私の頭の中には彼女の人生での出来事が、一つ一つ鮮明に刻まれている。頑張ってもどこかで足をすくわれる。そんなことの繰り返しで、最後には殺されてしまった人生。
「なんでよ……」
一瞬にして上がった熱が、同じ速度で消える。ぶるり、と体が震えた気がした。
「なんで、このタイミング!」
これは私が、サティアナとして生まれる前の記憶だと自覚した。もともと、どこかこの世に根付いていないような違和感はあった。ここに来て、目が覚めたようにはっきりと以前の記憶が重なった。
娯楽であふれたあの話が自分に起きようとは、沸き上がったものは驚きや戸惑いよりも――怒り。
「理不尽だわ!」
前の人生は決して楽ではなかった。それでも、この記憶がもっと早くからあれば、この人生での苦労は軽減できたかもしれない。少なくとも、もう少し上手にレイリアや両親を避けることができたと思う。爺にもあんな怪我を負わせることがなかったかもしれない。今わの際で思い出したところで、何の役にも立ちはしない。ただ、理不尽に憤りを覚えるだけだ。
『あなた、本当はこの世界に生まれる予定だったのよ。それが違う世界に生まれちゃって。もともと異分子だもの、向こうの世界だって拒絶するし。そのせいで人としては辛いことが続いちゃったのね。すぐに新しい生をやめたくなるように、やめた後も未練を残さないようにって』
さも当たり前のように、女性の声は軽く答えた。
「そんなのしらない! だったら、今の私はどうして、こんな目にあっているの⁉」
十分この世でも拒絶された人生だったと思う。十二年しか生きてはいないが。
『まだ、前の人生を引き継いでいるって感じかしら。ほら、今記憶戻っちゃったでしょ? どこかに残っていたのかもね? 普通はきれいさっぱり忘れちゃうもので、思い出したくても思い出せないものなんだけど』
呆れたように言われても、理不尽さはぬぐえない。ただ、言われた通り、今はかの人生の続きを生きているような思考に落ち着いている。そして、怒りは頂点に達した。
「私はあの時だって、死にたいだなんて思わなかった! 今だって思っていない!」
どちらも未練たらたらだ。
「私はまだ生きていたい!」
切望は喉を焼いて、満天の星空に吸い上げられた。
『アーハッハッハ! いいじゃないか。お望み通り、悔いのない人生を生きればいい……っと、ほらよ!』
高笑いとともに空間の一部がたゆみ、何かが飛び出してきた。私は空中で、それを受け取る。
「星!」
ちかちかと瞬く星が入った、ちょうど両掌の中に納まるほどの珠だ。
『宝珠……星の魔法、それがあなたの魔法よ』
「星の……?」
『どんな魔法かはお楽しみ。祈りなさい、幸運の星』
ふわっと空気が耳の側をよぎり、女性の気配が消えた。
「ちょっと、待って……待って!」
手を伸ばした瞬間、片手に収まっていた珠が光を放つ。
『逃げそびれた!』
背後で男性の方の声がした。
『こりゃたまらん!』
光は崖に私の影を大きく映す。それが波打ったような気がした。
『落ちるぞ』
「えぇぇぇぇぇ!」
『祈れ! とりあえず』
「いやぁぁぁぁ! とりあえずってなにぃぃぃぃ!」
闇の中に私の叫びだけが反響する。光の筋が天へと昇っていく。鼻水も涙も一食ただ。幻想的だなんて思っている余裕はない。
「まだ死にたくないっ! 私、まだ、何もやってない!」
光の珠を胸に引き寄せる。
「……!」
それが私の胸の中に侵入しはじめ、体が光の膜をまとう。
「まだ何もやっていない! 何もやってないの! 私、まだ生きたいの!」
渾身の叫びに呼応したように、頭上の星が一斉に瞬いた。
『ヒュー! ……最初から飛ばすねぇ』
星のシャワー。一つ、二つと続き、今では無数のそれが谷の底に向けて勢いよく落ちていく。
「な、ナニコレ……! わっ!」
そこから上がってきた風に、私の体は押し上げられる。決して、落下が止まったわけではない。まるで、トランポリンの上ではねる卵。徐々に勢いを失いながら、私は強制的にジャンプを繰り返す。
「ひゃぁ!」
谷底に星の川が見える。その上を月面歩行さながら、飛び跳ねながら進む。
「いつになったら終わるの! コレ! とっとっと……」
散々叫んだあと、ややあって、ついに足の裏が谷の底に着いた。
「……生きてる……!」
私はそのまま、へたり込む。腰が抜けて立ち上がることもできない。突っ伏した状態で、顔だけを横に向ける。武骨なまでの岩肌がずっと奥まで続いていた。
そのまま体を反転させて、仰向けで転がる。天の星は消えて、真っ暗な闇しか見えない。谷底にあふれた星の光も今ではだいぶ薄まっている。私を守るための星だ。
「ありがとう……」
指の間をすり抜けていった幻影にそう囁いた。
助かった、命があることがうれしい。ただそれだけで。瞼の縁から流れ出す熱いものを止めることができなかった。




