姉の話.3
「どう?記憶は」
エレナを家に返してからしばらく経って空はすっかり暗闇に覆われていた。
二人は墓のすぐ真裏にある森に身を移して、木陰にもたれかかっている。
ツヅメは毛布にくるまっていたが、ミミは何かを考えるように宙の一点を見つめていた。
「ああ」
「少しずつ思い出してきたかい?思い出すというのもおかしいけれど」
「ああ」
「随分と上の空といった感じだね。まさか、感情移入でもしてしまったのかい?」
ツヅメは少しからかうようにそう言った。
ミミはすぐさま「うるさい」と否定してから続けた。
「この体の持ち主だった者は、随分と妹の記憶ばかりにあふれている」
「そうだろうね。姉妹だもの」
「そういうものか」
「そういうものだね。昼間の彼女の様子を見ればわかるよ」
「そうか」
ミミの見つめる先には何もない。
空には何も見えていない。
分厚い雲が覆い、月の光も通さない。
しかし、幸運にも雨は降りそうになかった。
今の身体から受け取る膨大な記憶。
ミミはそれをただ栄養補給のついでに貪る。
寄生生物にとって記憶はただの食事のついでに流れ込んでくるだけの雑音に過ぎなかった。
「ミミ」
「なんだ」
「その人はどうして死んだんだい」
ツヅメはゆっくりと、しかしながらはっきりとそう聞いた。
ミミが答える間もなく、ツヅメは続ける。
「やっぱり戦争かな?未だに小競り合いはあるらしいしね。それとも人じゃない物にかな?」
ミミは答えない。
「犠牲者は軍人ばかりじゃないからね。人と人じゃないものが争い始めてどれだけ経ったか分からない」
異型の生き物が現れて数十年。
まるで神話やおとぎ話に出てくるような悪意だけを塊にした生き物たちは、瞬く間に一国を手中に収めた。
周辺国家はもちろん対抗した。
しかし、異型は殺しても殺しても限りなく湧いて出た。
亡くなった人々は数しれず、被害はただただ拡大するばかりだった。
しだいに国家は協力し異型に対抗し始めた。
はじめのうちは戦果をあげたが長くは続かなかった。
異型との争いで疲弊した国を狙ってもともと敵対していた国が戦争を仕掛けた。
争いは争いを呼び、いつしか世界中が戦火に包まれた。
異型が人を殺し、人が人を殺し、人が異型を殺し、それがずっと続いた。
それから人類は疲弊し、いくつもの国が消えていった。
異型はその間も侵攻を続けたが、ある時を境にぱったりとそれは止まった。
何が理由かはわかっていない。
異型は領土の拡張を辞めたのだった。
しかし彼らの土地に踏み込むことがなければ手を出されることはない。
いくつかの周辺国家は取り込まれたが、かつてのように大規模な争いは繰り広げられることは少なくなった。
周辺国家は異型に取り込まれた区域を不可侵の場として、争いは沈静化していった。
だが未だにその地を手にし、自国の領土拡張を目指す国家が無いことはない。
そうした国々は大規模な軍を派遣することなく、調査の名目で自国の若者を数人ずつ送り込んでいる。
人々は送り込まれる若者たちを、皮肉を込めて勇者と呼んだ。
だが異型の国に踏み入った勇者たちが成果を上げたという声はない。
そしてその姿をもう一度見たというものもいなかった。
「やっぱり、君のお仲間が殺したのかな?」
「だったら?」
ミミはそれ以上、何も答えない。
ツヅメもそれ以上は何も言わない。
二人はお互いの事を全く見ることが無いまましばらく時間が経った。
「ミミ」
「なんだ」
「明日は少しくらいエレナちゃん優しくできそうかい」
ミミは未だにぼんやりと宙を見つめていた。
何も言葉が無いことをツヅメは分かっていたかのように、そこからは何も言うことなく体を毛布で包み直した。
しかし、ツヅメの予想に反してミミは呟くように言った。
「この女は落ちて死んだ」
「落ちて?」
ツヅメはミミの方へと向き直す。
ミミは淡々と文章を読み上げるように続ける。
「階段から落ちて死んだ」
「事故で亡くなったんだね君は」
「エレナが落ちそうになった。それを庇った」
しん、と二人の間に沈黙が流れた。
ツヅメは何かを思うように、そしてミミはただ思い出すように。
沈黙を破ったのはツヅメだった。
「そっか。妹思いのお姉さんだったんだね」
ミミは何も答えない。
それは何が妹思いなのかが分からなかったからだった。
ツヅメもそれを分かっているようでそれ以上は何も言わなかった。
それから再び毛布をかぶり直して、ミミから背を向けた。
「思い出したこと、君の感情を伝えてあげるといいよ」
「それが優しさか」
「たぶんね」
ミミが見つめる空に、少しずつ柔らかな月の光が満ちてきていた。