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姉の話.1

暖かな日差しと風が心地よい、春を体現したような日だった。

凪ぐ風は緑を鼻腔に運んでくる。

それに乗ってどこから流れて来たのか、ピンク色の花弁がいくつも舞った。

草原と森のちょうど間に三人の人影がある。

そのうちのひとり、地面に胡座をかいた癖っ毛の和装の男が大きく息を吸った。

春を胸いっぱいに吸い込んだ男は伸びをして、大きなあくびをすると切れ長の目から一粒涙がこぼれる。

それから男はこう言った。



「墓参りにはちょうどいい日だね」



男の前には墓があった。

それもひとつではない。

広大な土地にいくつもの墓が立っていた。

それは何十年、何百年もここが使われている事を示しているようで、草が茂ったり崩れかかったりしている物も多い。

しかし彼の眼前の墓は真新しかった。


「ツヅメさん。あの、ど、どうでしょうか」


男に背を向けて立っている少女が声をかけた。

男より少し若い十代前半といった少女はどこか緊張した面持ちでそわそわとしている。

少女がワンピースを握る手には随分と力がこもっていた。

男は何も答えない。

少女はもう一度声をかけるために振り向こうとしたが、そのとき丁度、微かに先程までとは違うにおいがした。

それは決して春やお日様といった心地よいものではなく、初めて嗅いだ臭いに少女は少し顔を歪ませた。

それは何かが墓の下から現れた事を示していた。


「エレナちゃん。まだ振り向いてはいけないよ」


ツヅメは自身の後ろに立つ少女に振り向かずにそう言った。

そして立ち上がり、臭いのもとへと近づく。

墓から這い出た何かに手を触れる。


右頬。

首。

胸。

脇腹。

足。


全身を上から撫でていく。

そうして最後に耳元で小さく呟く。

耳元でと言っても人間のそれの位置ではない。

ツヅメが話しかけたのは頭上に生えたもうひとつの耳。

まるで獣の、猫の耳のような部分に向けてだった。


「破損は直したかい?」


「治した」


「傷は?」


「ない」


「腐敗は?」


「多少」


「記憶は?」


「これから」


地面から這い出した死体は流暢に話した。

死体はツヅメと同じくらい、二十代なかば頃の女だった。

それは話すだけに留まらず、自らの足で立ち上がり、あまつさえ自身の身体全体をまるで初めて見るかのように確認している。

そうして腕に残っていた土埃をはたき落としてから、無表情にツヅメの後ろに立つ少女を見つめた。

ツヅメは何度か頷いた。それから小さな噴霧器を取り出すと目の前の死体に何度か噴射する。

そして少女、エレナの方を振り返る。


「じゃあ良いだろう。エレナちゃんもう良いよ。さあ、君のお姉さんだ」


エレナはその声にハッとして、握りこぶしにさらに力がこもった。

それから少しして意を決したように振り返る。

ずっと緊張していたエレナの体の力が緩んだ。

彼女の前には姉が立っていた。


数日前に亡くなった姉が、そこに立っていた。



「ほら、何か声をかけてあげなよ?ミミ」


信じられないと言った表情をした少女を目の前に、ツヅメは死体に声をかける。

ミミと呼ばれた死体は表情を変えない。

だが、面倒くさそうに頭をかいた。


「何ていえば良い」


「なんでもいいさ。そうだね、じゃあ名前を呼んであげたらいいと思うな。お姉さん」


「私は姉ではないが?」


「エレナちゃんから見たら君はお姉ちゃんだろう?中身が別の何かだとしても、外見上はお姉さんだ」


「そうか」


ミミはエレナの姉の体で歩を進める。

そうして彼女の前で立ち止まる。


「エレナ」


そういった瞬間に、エレナはミミに抱きついて、胸に顔を埋めた。

ミミはその間微動だにせず、されるがままだった。


しばらくしてミミから顔を離したエレナはミミを抱きしめたまま彼女越しにツヅメに話しかけた。


「ツヅメさん。ありがとうございます」


「いえいえ。僕は何もしていないよ。エレナちゃん。君がお礼を言うならお姉さんに言うべきだよ」


エレナはスッと顔を上げる。

そこには表情を変えないミミの姿がある。


「ありがとう...。お姉ちゃん」


姉は、ミミは何も答えずに一度頷いた。

少しの笑みも、涙も、喜びも何も感じさせない姉の表情に、エレナは少しばかり目線を動かせずに何かを考えているようだった。


「エレナちゃん。今、君のお姉さんはまだ色々思い出している最中なんだ」


「はい...」


「だからね、まだ君のお姉さんらしくないかもしれない。けれども僕達がここにいられる限りはゆっくりと話すと良いよ。少しずつ思い出すかもしれないからね」


「ありがとうございます」


エレナはツヅメに柔らかい表情で謝辞を述べた。

その瞳にはもう涙はなかった。

ツヅメは満足げに笑って、再び地面に腰を下ろす。

しかしエレナはそんなツヅメとミミの姿を何度も何度も見比べるようにした。


「あの、ツヅメさん。ひとつ良いですか?」


「ん?なんだい」


「あの...、お姉ちゃんの、あの、服は......?」


短く、暖かな風がツヅメの頬を通りぬける。

エレナの髪をなびかせる。

同時に姉の全身を、撫でた。


「......ごめん」




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