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魔王



「レーム将軍という男がいるだろう」


 ザカリアス帝は辺りを意味もなく歩きながらおれに言う。

 ベータのほうへは全く視線を向けず、おれだけに言葉を投げかけている。


「ああ。レーム将軍……。あんたの腹心だ」


 ザカリアス帝はくすくすと笑って、話をするのが楽しくてたまらないという表情をした。


「私にとっては孫のような存在でね。彼の祖父の代からの知り合いなんだ。彼の祖父もこの国の将軍だった。当時は今とは比較にならないほどの小国だったし、軍事力も大したことはなかったが、一つ他国と比べて特異な点があった」

「特異な……?」


 ザカリアス帝が指を一本立てる。


「ダンジョンだよ。氷の大陸には一つだけダンジョンがあった。それがラズ国の領地にあったんだ」

「ダンジョンが……」


 しかしおれはこの大陸を徹底的に調査させたがダンジョンらしき場所は見当たらなかった。

 隠蔽しているのか? だが今のおれたちは極端に高い魔力濃度を見逃すほど魔法の素人ではない。

 隠そうと思っても、ダンジョンを完全に隠すことはできないと考えている。


「……今は既にないようだが」

「そうだ。完全攻略し、魔物を殲滅し、魔力を全て吐き出した後だ。今ではただの、深くて長い洞窟だよ」

「……それで?」


 ザカリアス帝は足を止めた。そして昔を懐かしむような目で、


「そのダンジョンの存在は国家の存続においてかなり重要でね。つまり、攻略前は魔物が無限に湧き出てくる危険地帯だ。誰もそのダンジョンを欲しがらなかった。ラズ国は小国にも関わらず他国から侵略を受けずに済んでいたのは、ダンジョンから出てくる魔物の駆除をラズ国が負担していたからに他ならない」

「ほう。そんな恩恵があるとは」


 おれは感心して言った。恩恵というより呪いを背負わされた感じだが、確かにダンジョンが領地内にあれば、最低限の国力を保持し続けることを周辺国から容認されるだろう。


「だが、レーム将軍の祖父が、魔物被害の甚大さに胸を痛め、攻略に乗り出してしまった。彼は本当に強い男だったよ。ほぼ単独で長大なダンジョンを攻略し、最奥に眠る魔王の魂を目覚めさせてしまった」


 単独で……。魔物の大群を処理し、過酷なダンジョン内を突き進んだのか。確かに想像を絶する難事だ。


「そのダンジョンには魔王がいたんだな」

「ああ。ときの国王や国民は、彼を責めた。ダンジョンを完全に攻略すれば他国からの侵略は時間の問題だったし、ダンジョンの奥底から得体の知れない奴を目覚めさせてしまった。いよいよラズ国も終わりかと、誰もが覚悟したそうだ」

「ほう……」


 ザカリアス帝は肩を竦め、そして少しだけ居心地が悪そうになりながら言う。


「だが目覚めたのは、魔王の中でも変わり種だった。なにせ氷に閉ざされた土地にたった一つ築かれたダンジョンだ。他の魔王とは相容れない存在であることは立地からも明らか」

「それがあんたか」


 ザカリアス帝は直接答えず、


「……かの魔王は人を殺すことに興味がなかった。久方ぶりに見る地上の様子に興味津々で、読書を好んだ。そして人の世を知るにつれ、人が滅ぼすには惜しい存在だと思うようになった。最初は暮らしに困っている人を少し手助けする程度だったが、魔王の卓越した魔法の腕の噂は、小国ゆえ、すぐに多くの国民の知るところとなった」


 やはり他の魔王とは決定的に違う。人間に友好的だなんて。


「そして次代の王に推挙されたと?」

「七回、いや八度は断ったんだがな。ダンジョンが攻略されたという噂が他国に知れ渡り、侵略戦争の標的になりつつあった時期だった。当面の戦争を乗り切るまで、という期限付きで渋々王の座を引き受けた。そこから80年間も治世が続くとは、かの聡明な魔王も予想していなかっただろう」


 これはきっと本音だろう。くたびれた表情になっている。

 おれは話題を少し捻って、


「……魔王の魂は魔族の肉体がなければ顕現しないはずだ。その魔族の体はどこで?」


 ザカリアス帝は頭を振りながら額に手を当てた。


「それがな……。誰も知らないのだ。私は気づいたときにはこの肉体を得ていた。だが、ラズ国の人間の誰も、この肉体の主を知らなかった。更に言うなら、氷の大陸には彼以外に魔族が一人も存在していなかった」


 おれは少し考えた。天涯孤独の魔族が一人、氷の大陸にいた……。

 魔族の境遇を考えるなら不思議なことではない。彼らは迫害される身だ。

 しかし氷の大陸にはダンジョンが一つしかない。他の大陸にはダンジョンが多い。どうしてわざわざここにいたのか。元々ここで生まれ育ったのなら知っている人間が少しはいても良さそうだし、親兄弟も見つかりそうなものだ。


「それは……。どういう……」

「80年前のことだ。当時の私もそれほど熱心にこの肉体の主のことを追ったわけでもない。今となっては正体不明だな。当時と姿はほぼ変わっていないから、もしかするとこの姿を見たことがある人間がどこかにいるかもしれんが」


 これ以上は本人も本当に知らないようだった。これ以上この点について聞いても無意味だろう。


「……そうか。ザカリアス帝のことはよく分かった。この際だからとことん聞いておきたいんだが。魔王というのはどういう存在なんだ。古代において、人間に封印された存在というのが通説だが、どうもそうではないらしいな」


 魔王アイプニアの話を思い出す。魔王は人類を滅ぼすつもりらしいが、目の前のザカリアス帝はそうではない。


「うむ……。自らダンジョンの奥に自分を沈めた者がほとんどだ。皆、永遠の命を求めてダンジョンを造らせた強欲ばかり。ろくな連中ではないよ」

「永遠の命を求めて……?」


 おれは顔をしかめた。ザカリアス帝は深く首肯する。


「そうだ。その仕上げとして、人類の滅亡を目指している。だがスズシロ、きみがどこまで知っているのか、私も知らないのだが。魔王が元々はきみたちと同じ人間だということは、知っているね?」


 思いもよらないワードに、おれは硬直した。

 余裕たっぷりのザカリアス帝の表情が、おれの反応を見て、強張っていく。


「……は? 同じ人間……?」

「その様子だと知らなかったようだな。すまない、忘れてくれ」


 ザカリアス帝は慌てて言った。おれは彼ににじり寄った。


「いや、詳しく教えてくれ。頼む」

「野暮というものだよ。知らなくてもいいことだと思う。人間と魔王の対立構造は今となっては覆らない。どちらかが滅ぶまで、平穏は訪れないだろう。ならば知らなくてもいい……。こんな滑稽でおぞましい事実は」


 おれは今までのことを思い出す。魔王リーゴスはカスパルの魂を掌握し、自在に操った。アイプニアは大量の魔物を出現させて混乱を引き起こした。あいつらが人間?


「同じ人間……。おれは、魔王リーゴスや、魔王アイプニアと遭遇した。とてもじゃないが人間とはかけ離れた存在だったぞ」

「ほう! リーゴスやアイプニアと出会って無事だったか。リーゴスは好戦的で自己中心的。アイプニアは比較的温厚だが魔王の中でも随一の実力を誇る。よく生き残ったな」

「……知り合いなのか?」

「同じ修行をした仲だ」


 ザカリアス帝は笑んだ。少し寂しそうな笑みだった。

 古代において、彼ら魔王がどのような存在だったのか、おれは色々と想像をした。

 永遠の命を求めて……。元は人間……。

 一気に存在が身近に感じられるようになった。しかし分からないことがあまりに多い。


「スズシロ、きみも忙しいな。戦争を回避したい。魔王の襲撃に備えたい。知的好奇心も抑えられない。そんなところだろう?」

「ああ……。そう思うなら協力してくれ」

「この国に関することなら、喜んで」


 ザカリアス帝は本心からそう言ってくれている。おれは彼の笑みを見てそう信じた。



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