オイドクシア
案の定、その女性はすぐに怒鳴り疲れて、腰かける場所を探した。
さっとベータが椅子を差し出すと、こちらを睨みつけながら座った。
思いのほか座り心地が良かったらしく、少し驚いたようにその座面を撫でた。背もたれに体重を預けて、具合を確かめている。
「……ふん。最初から椅子くらい出しなさいよ」
おれが部屋を見渡すと、食事の跡があった。暖房器具も点いている。衰弱していた彼女をアンドロイドたちは最低限介抱してあげたようだ。
おれは彼女の前に椅子を持ちだし、腰かけた。彼女と相対する形になる。
その女性は既にアンドロイドが差し出した服に着替えていた。船で漂流中に濡れてしまったのだろう。
なので服装から氷の大陸の人間の特徴を窺い知ることができなかった。
金色の巻き毛と長い睫毛が特徴的で、高圧的な態度の裏に怯えの感情が見えた。おれは後ろに控えるイドゥベルガを指差した。
「おれはスズシロ。この辺の建物のオーナーだ。で、こっちがギルドマスター様のイドゥベルガ。皇国における重要機関である冒険者ギルドのトップで、皇国中枢へのパイプも持ち合わせている。何か相談したいことがあるなら聞くが?」
おれのこの言葉に女性の鼻が膨らんだ。怒声を浴びせようとしたが、疲れていたせいか、咳き込んでしまう。
「落ち着け。まずは自己紹介でもしたらどうだ」
「不遜なっ……! 皇国の野蛮人に名乗る名前などないっ!」
女性の声は言葉の刺々しさとは裏腹に、弱々しかった。おれはできるだけ穏やかな声で、
「おれは皇国の人間じゃない。皇国とは仲良くやれないっていうなら、おれに話してみたらどうだ」
「ここは皇国なのでしょう? そこに大きな土地を持っている時点で、貴様も皇国の人間でしょうが。出自は関係ない」
「一理あるな。だが、名前くらいは教えてもらえないと、どう呼んでいいものか悩む」
「呼ばなくていい! 私はここを出て行きます。皇国の世話になるなんて耐えられない」
既に、さんざん世話してやった後なんだが……。もちろんそんな恩着せがましいことは言わない。
「ここから出て行ってどうする気だ?」
「言う必要はないわ」
「そうおれたちを敵視する必要はない。あんたの役に立ちたいってだけなんだがな」
見た感じ、彼女は特別強い力を持っているわけでもない。無策にここを出て行っても死ぬだけだ。
おれはベータを見た。ベータはおれの意図を察し、頭の中にデータを送り込んでくれた。
氷の大陸の調査は秘密裏に進めていた。彼女がどこの国の出身なのかも把握している。
亡国の姫、オイドクシア。氷の大陸の極北に位置するダージ公国出身で、枢軸国の合併策を拒んだため、侵略を受けた。その結果、ダージ公国は侵攻から三日も持たずに居城が陥落し、滅んだ。
「……オイドクシア。あんたの境遇には同情する」
オイドクシアは露骨に動揺した。おれから少しでも距離を取ろうと仰け反る。
「ど、どうして私の名前を……。皇国でも私は指名手配されているの?」
「皇国が氷の大陸に侵攻する準備を進めているという情報から、氷の大陸の人間がそれに備えるのは自然な流れだ。そのとばっちりを受けてしまったわけだ。ダージ公国は既に滅ぼされ、皇国を迎撃する為の基地が続々と建造されているな。かつての民は奴隷同然の扱いを受けている……」
「……何者なの? スズシロとかいったわね」
オイドクシアは、おれが事情を知り過ぎていることで逆に冷静になったようだった。鋭い目を向けてくる。
「繰り返しになるが、おれはあんたの敵ではない。もっと言えば、皇国が氷の大陸へ侵攻しようとしているのも、できれば止めたいと思っている。戦争なんてろくでもない。特需や、技術革新なんてものも戦争がもたらすが、おれがその気になれば代わりになるようなことをこの世界に引き起こせるしな」
オイドクシアの目が泳いでいる。信用すべきかどうか、悩んでいるようだった。
「信用なんて……。できるわけない。それに、貴様に何かができるとも……」
「まずは話をしてくれないか。自分で言うのもなんだが、おれはこの世界を良くすることができるかもしれない。もちろんおれ一人では限界があるし、万能ではないが、他人より手札は多く持っているつもりだ」
オイドクシアはおれと、ベータ、それから事情が分からずに突っ立っているイドゥベルガを順番に見た。そしておれをまっすぐ見つめてくる。
「……事情を話す前に、一つだけ聞かせて。どうして貴様らは我々の言語を完璧に操ることができる? ひとりならともかく、そこの世話人も、貴様も、後ろに控えている女も……。たどたどしさが微塵もない。そこの冴えない女はよく分かっていないようだが」
「勉強したんだ」
オイドクシアの目がすっと細く、険しくなった。
「……話す気はない、と?」
「いや。真面目に答えている。他の人間と比べて効率の良い勉強方法を知っていてね。嘘だと思うか? 氷の大陸に存在する最も巨大な図書館は、奇しくも、タージ公国の首都にあった国立図書館だな?」
当然のように言ってくるおれに、オイドクシアは気圧された。
「え、ええ……。そうね」
「そしてオイドクシア、あんたはそこで読書をするのが趣味だった。一般市民に紛れて。市民は姫の存在に気づきつつも穏やかにそれを見守っていた。毎日毎日、雨の日も吹雪の日も、姫が図書館に現れて本を読みに来るので、そこの館長は姫の為の読書スペースを用意して彼女の安全を図ろうとしたが、姫自身が断った。市民と一緒の場所で本を読むこの空気が好きなんだと、あんたは言ったらしいな」
よくもまあここまで調べたもんだと感心しながらおれは言った。氷の大陸を重点的に調べていたとはいえ、凄まじいことだ。もしかすると、氷の大陸に存在する書物をこっそり閲覧するため、ここの図書館には頻繁に出入りしていたのかもしれない。アンドロイドを変装させればタージ市民に紛れるのは簡単なことだ。
オイドクシアは俯いた。
「本当、何でも知ってるのね。不気味だわ……」
「おれはそこの図書館の本は既に読み尽くしている。あんたも読書好きなら、相当の本を読んでいるはずだな。本の内容から出題してみればいい。完璧に答えてみせる」
オイドクシアはふっと笑った。これまでの荒々しさが抜け、その代わりに、その細い体にのしかかっている巨大な悲劇と責務に圧し潰されそうになっている若い女性の姿が現れた。
「……いえ。いいわ。たぶんスズシロは本当のことを言っている。それは分かった……」
「それなら良かった」
オイドクシアはぶんぶんと首を振った。諦念なのか、微笑んでいる。
「……正直に言うと……。私は逃げてきただけだわ。これからしたいことなんてない。国を取り戻すなんて不可能だし、仮に取り戻せたところで、皇国が攻めてくる。タージ公国はあっさり負けたおかげで死者自体は少なかったみたいだけど、残った市民は最下等市民として奴隷同然の扱いを受けて、皇国との戦争に備えている。いざ戦争が始まったら肉壁として利用されたり、最前線の基地に取り残されたり、ろくなことにならないのは目に見えてる。私は……、もう、あの国には帰れない。何もできないから。もう、どうしようもないから……」
おれは腕を組んで考えた。皇国が氷の大陸を攻めようとしている理由はよく分からない。しかし、そのことが氷の大陸全土を不幸に突き落としている。何か乱暴な手段を経ずに解決する方法はないものか……。皇国と氷の大陸、どちらが勝つのかは分からないが、いずれにせよ多くの人命が失われるのは確実だ。
オイドクシアは静かに泣いていた。おれはそんな彼女を見ながら、とあることを思いついた。ベータにこっそりその案を打ち明ける。
ベータが反論しようとしたその瞬間、あまりにぶっ飛んだ案に探査船のヒミコ本体が文句を言ってきた。
《マスター! この世界が大混乱に陥ります! 絶対にいけません》
「だが、氷の大陸はきっとタージ公国の民を奴隷扱いするのをやめてくれるし、なんなら皇国にも恩を売れるし、うまくいけば死人は一人も出ないぞ」
《しかしマスター自身が戦争を主導するようなものではありませんか》
「そうだ。おれが戦争を差配し、支配し、コントロールする」
氷の大陸に兵器を提供し、皇国の脅威から解放してやる。
皇国にも兵器を提供し、両者間の戦争を無人兵器同士のやり合いに終始させる。
そうすれば死人は出ない。皇国が何を目的に戦争を起こしているのか分からないが、それもおれが解決できるならしてしまおう。目的を達成した皇国が戦争に頼らずとも良くなれば、侵攻を中止するだろう。
それがおれの案だった。一歩間違えれば世界全体の均衡を崩す大博打だった。ヒミコが反対するのも無理はない。
しかし、魔王の脅威がある今、皇国だけではなく氷の大陸にも兵器工場を置くことは有意義であると言えた。無駄に戦争を起こして人類が消耗したところを魔王に狙われる可能性もある。
メリットはある。完璧に遂行できるなら、これ以上の案はないと思えた。ヒミコはこの案が秘める危険を何十個も羅列してきたが、最終的にはおれが決めることだ。
やがてヒミコはすっかり諦めて、最後にこう言った。
《マスター。気づいていますでしょうか。あなたはこの世界の王に至る道を歩んでいることに。いずれ世界はマスターに依存してしまうでしょう。その危険性を、本当に理解しているのでしょうか》
「……肝に銘じておく」
おれはそう言って、これからの計画を練った。まずは氷の大陸の主要国家に、おれの兵器の強力さをプレゼンし、タージ公国の民に行っている奴隷労働をやめさせなければならない。そしてオイドクシアを国に帰して国を再興させる。
うまくいくかどうかは分からないが、全力であたる。少しでも気を緩めれば、戦争で人が死ぬ。魔王が人類を滅ぼさんと襲ってくる。おれがそれを食い止めてやる。




