招待
このダンジョンには魔王がいない。
それが分かった段階でアドルノはオットケとの交渉に入った。
魔族をこのダンジョンに避難させたい……。そして食料問題を解決したい。
アドルノがその話を始める前に、おれが既に打診をしていた。そしておおむね了承されそうな雰囲気があった。
オットケは食料となる魔物をダンジョン内で養殖する手法を開発していた。しかしそれはもちろん魔族の為ではなく、研究の為だった。
「天下のアドルノ様々が、魔族を保護しているとは、どういう経緯でそうなった」
オットケが質問する。純粋な好奇心からの質問のようだった。
「……それは答えないとダメか?」
アドルノは気が進まないようだった。しかしオットケはそこで空気を読むような人間ではない。
「答えられないようなことなのか?」
「いや。別にそうじゃない。大した理由でもない。目の前で殺されかけている魔族が、どうしても私たちとかけ離れた存在には思えなかった。ただそれだけだ」
アドルノは暗い目をした。いったいその目で何を見て来たのだろうか。
オットケは、わざとかどうか分からないが、アドルノのそんな様子に無頓着だった。
「ふむ。だが皇国の人間なら魔族が悪であると教育を受けているはずだろ。洗脳と言ってもいいかもしれんがな。その洗脳を覆すほどの感情が、貴様の中で生まれたってのか?」
それもそうだ。おれもこの国に存在するめぼしい本を読みまくったので、この国の教育方針もなんとなく分かっている。
基本的に、魔族には不寛容な国だ。
「……私が保護しているのは魔族だけじゃない。一人だけ、人間もいる」
「人間も?」
アドルノは観念したように大きく頷いた。
「そいつも、魔族を守ろうとしていた。そいつは人間の親に捨てられ、魔族に育てられたから、魔族を見捨てられなかったんだ。一度は皇都で高等教育を受けたが、魔族と共生する思想を隠し切れず、投獄され、拷問され、死にかけていた。世の中で邪悪とされているものを守りたいなら、バカ正直な方法ではとても無理だ。だから私はギルドに入り、権力と裁量を得た。正直に言うと、その魔族を守る為に投獄された阿呆がいなければ、私もそいつと同じ道を辿っていたかもしれない。悪い見本が先にいたわけだな」
言葉ではそう言うが、アドルノがその阿呆と呼ばれた人間をリスペクトしていることは何となく伝わってきた。
オットケはそんな彼に冷たい眼差しを向けている。
「他人の愚かな振る舞いを見て、客観的に自分の振る舞いを分析することができた、と?」
「そういうことだ。同時に、人間相手に簡単に拷問を行えてしまう連中の無慈悲さが引っ掛かった。私が本格的に魔族を守るようになったのは、それがきっかけだったかもしれない」
人間ではなく魔族の味方をする。アドルノの中にある危うさにおれは気づいていたが、それが悪いことだとは思わなかった。
オットケはむしろ面白そうだった。やはりこの男は変わっている。
「その、拷問された阿呆は、今でも追われているのか?」
「ああ。ただ、私がいない間、魔族を守ってくれている。色々と私が仕込んだから、腕も良い」
オットケはふむふむと何度も頷いた。
「難儀な奴だな。ふむ、いいだろう。俺も公然と外を出歩くことができない身だ。知人からの借金を踏み倒したおかげで身を隠さなくちゃならん。潜伏先としてこの地は最適だろう」
「ここに魔族を呼んでもいいのか」
アドルノはほっとしたような表情をみせた。オットケはここでにやりと笑う。
「ああ。ただし研究に協力してもらうぞ。もちろん解剖などはしないが、生態に興味がある……。死んだ魔族としか対面したことがなくってなぁ」
「……善処しよう。だが、人間相手に恐怖や怒りの感情を抱いている者も少なくない。研究の協力に了承した者だけにしてくれ」
「ああ。分かったよ」
これで話がまとまった。おれはアドルノに魔族の居場所を聞き出して、探査船で迎えに行くと提案した。
星の裏側であっても即日ここの招待できる。アドルノはふっと笑った。
「もちろん、スズシロの空飛ぶ船に頼るつもりだった。総勢で22人……、21人いる。収容は可能か?」
「余裕だ」
数時間後、ダンジョンの上空に探査船が到着した。
おれとアドルノ、ベータが探査船に入ると、すぐに出発した。
魔族の所在まではこの船で一時間もかからなかった。見つからないように高高度で飛ぶ。
「マスター」
久しぶりに会ったアルファが、近づいてくる。わざわざ会話内容をアドルノに聞こえるようにしている。椅子に腰かけてくつろいでいたアドルノがちらりとこちらを見た。
「どうした?」
「氷の大陸の情報収集を進めていたのですが」
この数か月、探査船は皇国だけではなく世界中にも探査機をばらまいていた。もちろん氷の大陸にも、だ。
おれは皇国から氷の大陸出身者だと思われている。氷の大陸の情報を持っておくことは無駄ではなかった。
「何か面白いことでも分かったか」
「ええ。氷の大陸には18の国があるようなのですが、その内の二つが、滅びかけています」
いきなり物騒な話だ。面白そうなことではなさそうである。
「国が18もある? 滅びかけているというのは、戦争で?」
「はい。元々、戦乱の絶えない地域らしいのですが、皇国が氷の大陸を侵攻しようとしている情報が伝わり、大陸統一の気運が高まったようです。強国四つが手を組み、他の国を併合する動きが加速しています。それに反発する国は滅ぼす、と」
外敵の存在が彼らを必死にさせたか。戦争なんかせずに協力すればいいはずだが、そう簡単でもないのだろう。
「ほう。……で? まだ何かあるんだろう」
「滅びかけている国の王族が氷の大陸を脱出し、今現在、海洋上を遭難中です。あと数日で死ぬでしょう。保護すべきかどうか、判断を」
わざわざアドルノにも聞かせたのはそういうことか。おれだけでは判断がつきにくいことだ。
アドルノは少し考えて、
「人命救助は進んで行うべきだ。もしその王族の存在が邪魔だというのなら、幾らでもやりようはある。貴重な情報源でもある」
「……だ、そうだ。救助部隊を派遣してくれ。おれたちは予定通り魔族を迎えに行く」
アルファは頷いた。
「了解しました。保護した後は、最寄りの兵器工場に匿います」
「そうしてくれ。ところで、氷の大陸の言語は……」
「修得済みです。世界中の主だった言語は既に会得していますよ」
それを聞いてアドルノは口笛を吹いてアルファを賞賛した。アルファは仰々しく辞儀をした。
探査船はとある寂れた農村近くに停まった。農村近くの洞窟に魔族たちは匿われていた。
最初、彼らは探査船の登場に警戒していたが、アドルノが姿を現すと一斉に姿を現した。
そしてあっという間にアドルノが囲まれてしまう。半分以上子供だったが大人もいた。
その中にアヌシュカやシーナ、ユリアもいた。全員無事なようだ。
アドルノを囲む魔族たちから少し離れて、長身の男性が立っていた。
顔面の半分以上が火傷で潰れている。耳が千切られ、右目が白濁していて失明している。
拷問跡だと気づき、おれは背筋が凍った。その男性が、アドルノに協力している人間に違いなかった。
その男性はアドルノが登場しても、まだ探査船やおれたちに警戒心を抱いているようだった。
いつでも戦闘に入れるように準備している。
その光が宿っているほうの眼でおれを睨んでいる。アドルノが説明するまで、彼の憎悪に満ちた眼差しが途切れることはなかった。