新たなダンジョン
オットケのいる山地は採掘候補地としても魅力的ではあったが、土地の買収が進んだ今、必ずしも入手すべき土地ではなくなっていた。
ただ、オットケによる奇妙な魔物の研究と、あの場所を特別視して守っている事情は気になっていた。
そこにアドルノが加わって、無視できる状況ではない。アドルノが今、魔族をどう保護しているのか、おれも気になっているところだった。
プローブがオットケにいる山地を監視し続けている。大きな動きはなかったのだが、アドルノが現れて様子が一変した。
例の小人の魔物たちが戦闘準備をせっせと進め、アドルノの迎撃に動いた。
アドルノは一人だった。お供に魔族を連れていない。
彼は自分の足で山を越え、オットケに会いに来ているようだった。
おれは飛行艇に乗って現地に赴いた。アドルノが慎重に歩を進めているので、オットケと接触する前に追いつくことができた。
飛行艇は遥か雲の上で待機し、おれとベータがそこから飛び降りた。
小型の飛行装置――圧縮した空気を噴出して飛行する装置にパラシュートを付設したものをおれは身に付けていた。
使うのは初めてだったが無事に地上に着地した。パラシュートが速やかに巻き取られ、おれは飛行装置を地面に置いた。
着陸の様子をアドルノは見ていた。突然現れたおれとベータに驚いている。
「スズシロ……! どうしてここに」
おれは乱れた髪を直しながら、
「ちょっとこの場所に因縁があってね。オットケに会いに来たのか」
「オットケのことまで知っているのか。情報収集に余念がないようだな」
皮肉っぽくアドルノは言った。
おれは事情を話した。この場所を採掘地候補に挙げていたこと、オットケと遭遇したこと、そして禁書を閲覧して彼の著作を読んだこと……。
アドルノは一度驚いた後、豪快に笑った。
「スズシロが皇国各地に工場を造っているのは知っていたが、禁書にまで手を出していたとはな。悪いことは言わない、禁書には禁書になるだけの理由がある。興味本位で関わるべきではない」
「それはベルギウスにも言われた」
アドルノはくすりと笑った。
「ベルギウス……。あいつが禁書の件で協力するなんて意外だな。あいつは禁書を甘く見て痛い目に遭ったクチだからな」
「そうなのか? 禁書の管理に噛んでいる様子だったが」
あの黒い包帯を全身に巻いた尋常ではない姿は禁書が原因なのだろうか? なんとなく詳しく尋ねるのがはばかれた。
「あいつにも色々あるんだよ。それで? オットケに用事があるのか、それとも私に用事があるのか」
「両方だ。禁書を読んで、色々と理解できたこともある。ただ、オットケがこの場所にこだわる理由が気になって」
アドルノはおれの質問に意図的に直接答えず、
「ふむ。実を言えば、私は禁書に指定される前、オットケの著書を読んだことがある。当時は私も一介の学生で、学ぶべきことの多い時分だったが、あの内容は強烈に頭の中に残っているよ」
「そうか。アドルノはオットケに魔物について何か頼みがあるからここまで来ているんだろう」
「魔物の養殖、改造、改良……。色々と彼に尋ねたいことはあるが、一番は研究への協力さ」
アドルノは魔族の保護のために動いている。それは当初から一貫して変わらない。
「研究とは、魔物のか? それとも……」
「そう、魔族の、だ。魔族の研究者は数多くいるが、その体の組成や性質に踏み込んだ研究者はいない。大抵は魔族を効率的に殺す方法やら習慣の調査、文化風土の探究にとどまっている。魔物を研究しているオットケが、魔族の体の研究に最も精通していることに、数年前気づいたのさ」
オットケのような狂気の学者でなければ、魔物を徹底的に研究することはできない。少なくともこの国ではそうらしい。そして魔物への探究心が、魔族への理解にもつながっている。
「魔族の研究……。目的は、もしかして」
「下準備というやつだ。魔王を全て殺し尽くした後、魔族にかけられた呪いを解く方法……。魔物の肉を食らわずに済む方法。それを魔族の体の構造を解析し、明らかにする。魔物の研究者は本来、この分野では門外漢だが、他に似た研究をしている人間がいない。オットケ本人はどうでもいいと思っているが、彼こそが魔族研究の第一線に立っていると、私は考えている」
「魔王を全て殺した後のことを考えて、アドルノは動いていたわけか」
アドルノは頷き、笑った。
「ああ。スズシロ、お前が言っていたことだぞ。魔王を全て殺す、と」
「ふふ、アヌシュカに聞いたのか? だが、アドルノも同じ意見だったというわけか?」
「そうだな。魔王を殺し尽くすなんて遠い未来の話だと思っていたが、存外、そういうわけでもないらしい」
アドルノは話しながら、道のない山の中を迷いもなく進み続ける。
何度も通った場所なのかもしれない。おれたちはそれについていく。
「――オットケは魔物を改造している。ただし何の制限もなく好き放題やっているわけではない。他の魔物の器官を受け入れやすい小人型の魔物を“土台”として、色々と実験を繰り返しているわけだ」
おれは様々な器官を持った小人を思い出した。大小様々、あまりに機能的なそのフォルムは生命への冒涜さえ感じられるものだった。
「ああ、そうらしいな」
「その研究成果を是非教えてもらいたい。魔物という生物の本質を理解できれば必ず魔族にかけられた呪いを究明する手助けになる」
「魔物の研究……。魔物がたくさん手に入れば、おれも協力できそうだが、倫理観が邪魔をする未来も見えるんだよな」
「オットケはその辺の制約はないだろうな。学会に籍を置いていた時代ですら、異端者のそしりを受けていた」
おれとベータ、アドルノは山の中を淡々と進んでいく。
三人とも足取りは軽やかだった。常人ならあっという間にへとへとになってしまう急斜面をバランスを崩すことなく進んでいく。
間もなくオットケが専有する窪地に到着した。アドルノが空を見上げる。
「そろそろ、来るはずだが……」
アドルノが天に手をかざす。すると太陽の光が遮られ、こちらに投じられた岩石弾がみるみる迫ってくるのが見えた。
アドルノが雷魔法を撃ちこむ。
雷光の槍が岩石弾を真っ二つに引き裂く。
衝撃が波及していく。
凄まじい衝撃音と共に岩石弾が粉々に砕け、ぱらぱらと近くの木の葉に極小の破片が降り注ぐ音が聞こえた。
「慣れたもんだな」
おれが感心して言う。アドルノは更に前進する。
次の弾が飛んできては排除し、更に進む。それが何度も繰り返された。
アドルノは平然としている。アドルノの傍にいれば危険は何もないだろう。そう思わせるだけの凄みが彼にはあった。
前進を続けていると、やがてオットケのいる場所に辿り着いた。彼は逃げようとはしなかった。
「……去れ」
オットケが、小人の魔物に囲まれて岩の上に鎮座していた。小人たちはそれぞれ異なった形状をしており、剣や弓を構えている個体もいる。
アドルノは腕を広げて、敵意がないことを示した。
「オットケ。話を聞いてくれ。私はお前の研究に協力したいと思っている。お前が望むなら皇都にお前の研究室を造ってやる。私にはそれだけの力がある」
「黙れ若造。誰がそんなことを望んだっていうんだ、ええ?」
オットケは汚い歯を剥き出しにして威嚇した。そしておれを見た。
「また会ったな。そんなツラしてやがったか。この場所が欲しいんだろう? 誰がやるかよ」
「いや、事情が変わった。ここを採掘地にするのはやめにする。その代わり、教えてくれないか。あんたがここにこだわる理由を」
オットケは忌々しそうにおれを睨んだ後、怒りを誤魔化すような笑みを浮かべた。
「それを言ったら大人しく去るか?」
「おれは去ってもいい。こっちのアドルノは分からないが」
「ふん! そこの魔術師さまに聞いたらどうだ? 知っているんだろう?」
オットケはアドルノを指差す。
アドルノは肩を竦めた。
「……ここには魔物の巣がある。その小人の魔物の巣が。オットケの研究にその小人の魔物は必須だ。だから奴はここを死守しようとしている」
そういう事情か。予想の範疇ではあるが。
「そして、その魔物の巣はダンジョンの入り口にある。この山地にはダンジョンが眠っているはずだ」
「ダンジョンが……?」
「オットケは小人の魔物を手懐け、改造を繰り返し、ダンジョン内にいる他の魔物を駆逐した。小人を使ってダンジョン攻略を進めているわけだ。どこまで攻略できたかは知らないが、どうせ各階層を隔てる封印の突破には時間がかかる。私とスズシロなら、その封印も比較的容易に突破できるのだが」
オットケはそれを聞いて眉を持ち上げた。少し興味を抱いたのは明らかだった。しかしこの話はアドルノが以前からしているはずだ。オットケは首を振った。
「お前らギルドの人間は信用できない。俺がせっかく繁殖させた小人を駆除しかねないからな。俺はダンジョン全体を魔物の棲む家にしたい。小人だけではない、他の魔物を管理したいのだ。そうすれば実験がやりたい放題だ。そもそもダンジョン内の高濃度の魔力下でないと、魔物の改造もうまくいかない。研究にダンジョンは必須だ。ギルドはダンジョンの使用権を独占しようとする――その点も気に食わないんだよ」
「全く、同意見だ」
アドルノが声を高らかに言う。それは彼の本心に違いなかった。
「だからこそ、私はギルドに入ったんだ。入らざるを得なかった。オットケ、お前は私と似ている」
アドルノのこの言葉に、オットケは一瞬黙り込んでしまった。もしかすると交渉が成立するかもしれない。おれは淡い期待を抱いた。