パーティ
天体観測用の望遠鏡が探査船の中央に据えられて、星々の詳細な位置を確認する作業が始まった。それにはベータが従事し、おびただしい量の星図と観測結果を突き合わせて、膨大な計算を行った。ベータの消費電力が格段に上昇し、心なしかアルファとガンマの動きが緩慢になった気がする。緊急性のない会話を投げかけると、レスポンスがいつもより遅い気がした。
おれは探査船の周辺を警戒していた。空中を徘徊するプローブが、周辺の情報を絶えず届けてくれているが、自分の眼でも確かめておきたかった。長い間、探査船に押し込められて、映像と数値で宇宙や惑星について知った気になっていただけのおれは、この目と耳と鼻と手と舌でこの世界について理解したかった。
数日間は平和な日々が続いた。探索範囲を広げたプローブは、他にも集落があることを伝えてくれた。いずれも立派な防壁を備えていて、どうやらそれらが魔法で建てられたものであることは察しがついた。防壁の中の暮らしと、その強固過ぎる防壁が、あまりに不釣り合いに思えたからである。
「マスター、報告が二つあります」
ベッドに横たわってプローブがもたらす俯瞰映像を眺めていたおれに、ヒミコが話しかけてきた。おれは通信を遮断してヒミコに向き直った。ヒミコは服装を変えて、村の人たちが着ていたような粗末な婦人服を着用していた。顔形も僅かに修正して、この星の住民に近しい容姿になっている。
「どんな報告か当ててやろうか。現在地が分からない」
ヒミコはわざとらしいほど綺麗に頭を垂れた。恭しい態度だった。
「ご名答です。天体観測の結果、この周辺の宇宙の星図を我々地球文明は持ち合わせていないことが判明しました。どうあがいても現在地を特定することは不可能です」
「そこまで言うか。宇宙に巨大な望遠鏡を建てて、より遠くの宇宙を観測できるようにならないと、現在地を割り出せないということだな」
「いえ……」
ヒミコは、自分でも理解し難い、という顔で、
「宇宙を観測した結果、この宇宙は、既知の宇宙とは根本的に異なるのではないかという説が有力になりました」
おれは瞬きを三度し、
「ええと、どういう意味だ?」
「今、我々が存在する宇宙に、地球はありません。ワープ航行が一般的になった現代において、我々の知らない宙域というのは限られます。宇宙というのは、当然ですが、何もない空間が大半を占めているので、遠くまで見通すことができます。星々の相対的な位置関係を調べていく過程で、ここが全く別の宇宙でないと説明がつかないと、私は考えるようになりました」
おれはしばらくその言葉が意味するところを考えた。
「つまり……、ワープ航行が何らかの理由で暴走し、おれたちは全く別の宇宙に紛れ込んでしまったと?」
「信じがたいことですが」
「……帰る手段はあるのか?」
おれはヒミコの返答が分かり切っていながらそう尋ねずにはいられなかった。
「分かりません。検証が必要です。ワープ航行によって別の宇宙に転移するという事象がこれまで報告された例はありません」
「そりゃそうだよな。参ったな……。おれたちはもう帰れないかもしれないのか。少し楽観的に考えていたよ」
おれは腕を組んで考え込んだ。ヒミコはおれの返答を待つ為に直立していた。
「……魔法」
「はい?」
おれは身を乗り出してヒミコに言う。
「考えてみれば魔法なんてよく分からん技術が存在しているのがおかしかった。同じ宇宙に地球とこのイフィリオスが存在しているのなら、同じ物理法則に支配されていないとおかしい。しかしどうも魔法技術の原理が分からない。おれたちの全く知らない法則に従って挙動する魔法という技術は、この宇宙でないと成立しないんだ。きっとそういうことなんだろう」
「そう、かもしれません」
「魔法が科学で解剖できないのなら、ここがおれたちの知らない宇宙であることが決定的になる。まずはそこからだ。魔法について詳しく調べたい」
おれの言葉に、ヒミコは小さく頷いた。
「魔法に関することならレダやニュウに尋ねるのが最も手早いでしょう。しかしニュウは魔法については教えられない、というようなことをちらりと言っていました。強引に聞き出しますか?」
「いや。もちろん、穏便にだ。無理ならもっと情報が集積する土地まで出張る必要があるだろう。皇都がどうとか、言っていたな。もしかするとそこを目指すことになるかもしれない」
おれは魔法という未知の技術に興味があったが、これまでは理性で抑圧していた。しかし、地球とこのイフィリオスを隔絶する要素である魔法に触れない限り、おれたちは次に進むことさえできないだろう。ここは地球と同じ宇宙にあるのか、それともそうでないのか。はっきりさせておかないといけない。
「マスター、二つ目の報告ですが」
「ん? ああ、忘れていた。なんだ」
おれは魔法について考えを巡らせながら訊ねた。ヒミコは険しい顔つきだった。それを見ておれは思考を切り替える。
「書物にあったダンジョンという構造物らしきものを発見しました」
「ダンジョン……。ああ、古代の人間が不死身の魔を封印した迷宮、だったか」
「ダンジョンからはなかなか恐ろしい姿の生き物が出てきて、とても友好的な付き合いは出来なさそうです。幾つか見た目と予想できる生態から名付けてみましたので、興味がありましたら情報を参照してください」
おれは探査船のデータベースに干渉して、新たに判明した魔物の姿形を確認した。どいつもこいつもおぞましい姿をしていた。
「ああ。ここにそいつらが来そうなのか?」
「いえ。魔は、ニュウたちの村へ向かう素振りを見せています」
「ほう……。そいつは厄介だな。警告しておいたほうがいいだろう。あの堅固な防壁があるなら安心だろうが」
ヒミコの険しい顔が、ますますその程度を増した。
「それが……。ダンジョンの近くに、何名かのこの星の住民を確認しました」
「ふむ?」
「どうやら彼らはダンジョン内の魔を討滅し、攻略を目論んでいるようなのですが……。そのパーティの中に、レダとニュウの姿があります」
おれは思わず飛び上がりそうになった。
「レダたちが? ダンジョンに挑む? もしかしてそのパーティというのは、全員村の人間か?」
「いえ。村の人間はレダとニュウだけで、他の人間は武装した男女……。あの村の人間ではありません。他の集落から出張ってきたのでしょう」
書物にあった、ダンジョン攻略に挑む冒険者パーティというやつだろう。富と名声を求めてダンジョンに潜り、そしてその大半は無残に死ぬことになる。そんな危険な行為を、レダとニュウが? 村の人たちに随分大切にされていたように思えたのに。おれは胸騒ぎがした。
「……村の人間はそれを知っていると思うか? レダたちがダンジョンに挑むというのは」
「確かめますか? 私の“足”なら数十分で村に到着しますが」
ヒミコが早速足の構成を組み替えて、長距離移動に適した形状にし始めた。彼女らは余裕があるときに用途に応じた自らのパーツを各種製造し、揃えていた。
「頼む」
「もし、レダたちが村の人に無断でダンジョンに挑んでいるとしたら、どうなさるおつもりです?」
「彼女らの意図を聞く。必要とあれば止めたい。……余計なお世話だと思うか、ヒミコ?」
ヒミコは微笑んだ。
「いえ。乗りかかった船ですし、正直なところ、我々は今、暇ですしね。あんなに若くて美しい娘さんたちが危機に瀕しているのなら救い出すべきだと思います」
ヒミコは茶目っ気たっぷりにそう言ったが、きっと魔法に関することやダンジョンや魔について知る絶好の機会だと捉えているのだろう。このイフィリオスという星が、地球と同じ宇宙に存在しているのか、それを突き止める材料になる。
ヒミコの内の一人、アルファが、探査船の外に出て、走り出した。アルファからの連絡を待つ間、おれたちがプローブがもたらす映像を確認し、ダンジョンの位置と、蔓延る魔、その周辺をたむろする八名のパーティの様子を観察した。レダとニュウの姉妹は、他の人間とは少し距離を置いて、二人寄り添い合うように佇んでいる。あまりパーティメンバーと馴染んでいないようだった。
数十分後、アルファから連絡が入った。プローブ機が電波を中継して、安定した通話ができるようになっている。
《もしもし。村の人たちは、マスターがレダとニュウを受け取ったと思っています》
おれは頭を抱えた。
「ああ……、そんなとこだろうと思った。あんなにはっきり断ったのに」
《なので、レダとニュウがどうしてマスターのもとへ来るのではなく、ダンジョンの攻略に乗り出しているのか、不明です。彼女らに直接問いただすのがよろしいかと》
「ああ。そうだな。アルファは船に戻ってきてくれ。おれとベータでレダたちに会いに行く」
《了解しました。村の人たちにお土産をたくさんいただいたので、持ち帰りますね》
おれとヒミコはレダたちのいる地点まで向かうことにした。おれたちのいる地点からダンジョン付近までは徒歩で半日の距離だった。走れば数時間で着くだろう。おれはできるだけ見通しが利かない場所を選んで走り始めた。途中で厄介な魔物と遭遇したら、殺さざるを得ない。あまり殺生を繰り返したくなかった。
しかしこれは予感だが、おれはこの世界で生きていくと決めたその瞬間から、魔物を積極的に殺していくことになるだろう。この世界で生きる人間が、古代の時代から、魔との戦いに注力していることは、書物からも、彼らの生活様式からも、明らかだったからだ。郷に入っては郷に従え。おれは短銃一本で外を出歩いている自分が迂闊だろうかと考えた。本気で武装すれば、おれたちに敵う生き物はこの星にはいないはずだ。この星で生きていくのなら、どこまでヒミコをはじめとする科学技術を開放するか……。おれは前々から考えていたこの課題に本格的に取り組む時が来たのだと悟った。