オットケ
皇都に帰還してすぐ、例の監視役がおれの周囲をうろつくようになった。この前とは別の監視役で、今度はかなり近い距離からおれたちをつけるようになった。もうおれに存在を知られても構わないという態度だった。
氷の大陸の情報を欲しているようだが、当然おれは何も知らない。今このタイミングで拉致でもされたら、ろくな目に遭わないだろう。
おれはギルドの宿舎にもう一度お世話になることにした。ギルドマスターのイドゥベルガが自ら部屋に案内してくれた。彼女の魔法薬の研究を一度見学しておきたかったが、それより大きな関心事があった。
ヒミコを魔法学校に入学させて数日が経っていたが、めきめきと頭角をあらわし、学校で早くも有名人になっているらしい。魔法学校の蔵書の半分を平らげ、知識量だけなら既に学生随一となったという。しかしかなり知識が偏っており、ときどき信じられないような無知を晒すので、面白い奴だと生徒たちから評判らしい。
「ヒミコ、学生生活は楽しいか」
《ますたぁ。わたしの近況はデータを閲覧して確認できるよ》
かなり言語がまともになっている。ぽんこつ計算機を使用することを強制させられたガンマは、演算のエラーが宿命づけられているが、うまく折り合う方法を見つけたようだった。聖印化初期に見られた不審な言動は少なくなっている。
「お前の口から聞きたい。楽しいか?」
おれはギルドの宿舎から、魔法学校にいるヒミコと会話している。ただの通信だが能力が制限されている今のヒミコからすると会話するのにもかなり全力に取り組まないといけないだろう。
ヒミコはふふふと笑い声を上げる。
《……楽しいっていう気持ちとは無縁だけれど。悪くはないね。学習に適した環境だと思うよ」
「一日中本を読んでいるだけか? 魔法の演習授業とかないのか」
ヒミコはうーんとうなった。
《あるらしいけれど、私はまだ入学したばかりだから……。図書館の閉館時間になったら、学生たちとおしゃべりするけどねー。他にすることないし、話を聞くのも有益だと思うから》
どうやら無事にやれているようだ。おれは彼女の付き人と化しているイングベルトのことを思いだした。
「そうか。イングベルトはどうだ」
《彼も無難に教師をこなしているよ。ダンジョンに関する科目は人気講義で、講堂が学生でいっぱいになる。特に皇都の冒険者ギルド所属を希望なら必須科目だから》
「よろしく言っておいてくれ」
おれのその言葉に、実際に隣にいたのか、ヒミコがイングベルトに何か言うのが聞こえた。
少し間があって、
《それよりますたぁ。山奥にいた、金髪の男――魔物を改造してた男だけれど》
「どうした」
《実は魔法学校の図書館には禁書というものがあって。当然生徒は閲覧不可で、教職員の中でも一部の研究者しか読めないものなんだけれど、こっそり禁書目録を確認したの。そうしたら》
禁書? なかなか危ないものに手を出したな。しかし、金髪の男とどう関連があるというのか。
「うん?」
《魔物の飼育方法――それから、魔物の特殊な器官の移植方法、魔物の発生実験、といったような、一般には忌避されるような研究書があったんだ》
「ほう。興味深いが、閲覧はできないんだろう」
ヒミコの声が心なしか低くなった。
《無理して小型機を潜り込ませればできないことはないのだけれど、これらの魔物に関する書物の著者が全員一緒で……。オットケという人物らしいの》
「オットケ……。それがどうした?」
おれはそう言ってから、山奥にいた例の男を思い浮かべた。
「――あの金髪が、オットケだと言いたいのか?」
ヒミコは何度も頷く。頷くたびに声の調子が変わるので分かる。
《あるいはその関係者。だって魔物に関するインモラルな学術書を発行しているのはそのオットケだけなんだもの》
「その可能性はあるな……。ヒミコ、お前は引き続き魔法学校の知識を余さず吸収しろ。おれはそれとなくオットケという人物について調べてみる」
《はーい。イングベルト、お願いね》
おれはヒミコとの会話を終え、ギルドの宿舎の中を歩き回った。談話室というものがあって、そこでギルドの人間がたむりしていた。食事をするスペースもあり、乳製品を煮詰めた匂いが部屋に充満していた。
「おや。スズシロさん、こちらにおいでですか」
そう言って出迎えたのは、グリ派幹部のツィスカだった。魔族殺し、かつ氷の大陸の渡航者であり、おれの中では結構キーとなりそうな人物だった。彼女と落ち着いた場所で話ができるのはありがたかった。
「どうも。戦場では飄々としていたが、ここだと逆にちょっと堅いな」
ツィスカは恥ずかしそうに笑った。
「あら。よく見ておられますね。そうなんです。魔法学校の教員と、学生寮の寮長を務めておりまして。どこで学生たちに見られるか分からないので、気が抜けないのです」
「ギルドの仕事と並行して教師もやっているのか。多忙そうだな」
「いえ。ギルドの仕事はたまにですし、魔法学校の教員と言っても、週に一度生徒たちを転がすくらいで」
転がす、の意味が分からなかったが、彼女は魔法戦闘の達人だった。生徒たちを文字通り転がして稽古をつけているということだろうか。
「……つかぬことを尋ねるが」
「なんでしょう」
「オットケという人物を知っているか」
「え? オットケさんのことをどこで?」
ツィスカはきょとんとした。おれは首を振る。
「いやなに。魔物に関して造詣が深い御仁だと、魔法学校の教員から話を聞いてね。興味が湧いただけだ」
ツィスカは話しづらそうにした。談話室で近くにいたギルドメンバーに目線を送り、人払いをした。
「……オットケさんは、学者です。ただし皇都やその他の学術都市の研究室に属さない、在野の学者です。狂気の学者とも呼ばれていましたね……」
「狂気、ね」
あの金髪の男。確かに狂気に染まっていたように思う。
ツィスカは言葉を選びつつ、
「魔物を切っては繋ぎ、切っては繋ぎ、改造実験に勤しんでいると聞いたことがあります。そのおぞましい所業を理由に学会を永久追放されましたが、彼が実験を通して得た知識を詳細に記載した学術書は魔物学の常識を根底からひっくり返したと言われています」
有名人なのか。あんな山奥で騒いでいた男のことを、学者たちが知っているというのは奇妙なことに思われた。
「ほう。功績はあると」
「功績というか……。確かに彼は驚くべき発見をしましたが、それが我々の暮らしに生かされているわけでもないのです。彼の書物は禁書扱いとされ、一部を除き焼き捨てられました。悪用される恐れがあるので、彼が追究した魔物の秘密は一部の学者しか知りません」
随分と物騒な話だ。悪用ときたか。
「秘密というのは?」
「私も知りません。ただ、知るべきではない、と魔物学の教授は言っていましたよ」
かなり気になる。やはり禁書を盗み見るべきか。しかし禁書に手を出したことがばれると追放されかねないので、禁書以外の本を全て読み尽くしてから挑むべきだろう。
「――その、オットケという人物は今でも生きているのか」
「今、50歳くらいでしょうから、何もなければ生きているはずです。ああ、そういえば」
「なんだ」
ツィスカはじろじろとおれの全身を眺めてきた。何か不審なものでもくっついていないかと検分するかのようだった。
「数年前、アドルノさんもオットケさんについて知りたがっていましたね。色々と質問されちゃいました。ギルドで魔法学校に属しているのは私の他に数名ですから、質問できるのは私だけだったんでしょう」
「ツィスカはそれにどう答えたんだ」
「オットケさんの年齢、人相、出身地や、研究内容を知っている限り伝えました。ろくな情報ではなかったですが」
「アドルノに話した内容をおれにも教えてくれ」
ツィスカはオットケについて知っていることをぼんやりと教えてくれた。曖昧な情報だったが、採掘候補地で出会ったあの男と矛盾する情報は一つも出てこなかった。
「そうか。ありがとう。よく分かったよ」
「お役に立てたのなら良かったです。でも、どうしてそんなにオットケさんのことが気になるんですか」
「ああ、ええと、魔王アイプニアが魔物を大量に生み出しただろう。あれの対抗策を知るために、魔物をよく知ることから始めようと思って」
「それでオットケさんですか。ふむ」
ツィスカは少し腑に落ちない表情だった。おれは何か言われる前にその場からそそくさと退散した。
山奥で出会った人物はおそらくオットケだ。しかし彼についてはろくに分からない。ヒミコが禁書の閲覧をできるようであれば、もう少しマシな情報を仕入れることができそうだが……。
とりあえず今のおれは、採掘の準備を進めることくらいしかできることがない。ツィスカからは氷の大陸のことや、魔族のことを聞きたいが、また別の機会にしよう。今の一番の関心事はオットケだ。あの男について知っておきたい。
おれは暇を持て余しているイドゥベルガを介して、採掘候補地の所有者との交渉の場を設けることにした。一番の本命はオットケのいるあの山だったので、他の候補地の採掘許可が下りるかどうかは正直どちらでも良かった。
あの場所には何がある……。資源が豊富な場所ではあるが、変人オットケが執念を燃やしてあの場所に留まり続けるのは何か理由があるはずだ。おれはいまやそちらのほうも気になっていた。なんとか彼を刺激せずに、あの場所の秘密を暴いてみたい。おれは色々と考えを巡らせた。