迷子
やがて村の全ての住民が回復した。残念ながら治療開始初期の段階で何名か死人が出たが、やれることはやったという自負があった。これ以上の処置となると、探査船に運び込む必要があったし、そこまでやったとして回復したかどうかは分からない。
村の重役たちはレダとニュウを何度もおれに差し出そうとした。要するに村にとって彼女らはこれ以上ないほどの宝であり、それを差し出すことは最大限の謝意の現れであったが、おれは頑なに断った。当然の話だ。おれたちはじきにこの星を離れてしまうし、それでなくとも、人を物のように扱いやり取りをするのは、おれの常識と良心が許さない。
おれとヒミコは村をこっそり抜け出そうとしたが、懸念もあった。オーク、そしてイビルホークが村を狙っていることだ。おれは村人と話を何度もかわし、この大層立派な防壁を造り上げた魔法使いについて情報を得た。話によれば10年前にも、イビルホークによる煽動で魔物が活気づき、この村が襲われたという。そのとき例の魔法使いは防壁を築いただけではなく、周辺を探索し、しばらくすると魔物の出現がやんだという。防壁を築いただけならこの一帯は今頃魔物で溢れかえっているはずであり、魔法使いが何らかの処置を施したことは間違いなかった。
おれはこの村を取り巻く状況について、一つの仮説を立てていた。しかしそれは、この世界についてろくに知らない人間の妄想でしかない。おれはヒミコとこっそり討論を重ねていた。ヒミコ曰く、
「マスターのその仮説が正しかったとして、我々にできることはありません」
万能AIによれば、そういうことらしかった。しかしおれはどうしても気になる点があった。
「ダンジョンについて確かめたいことがあるんだ。もしかするとレダたち自らが魔物について何とかできるかもしれない」
「マスターのおっしゃりたいことは分かります。しかし、じきにワープ通信が可能になります。既にアルファとベータは地熱発電施設の撤収の段取りを進めているところです。気になることがあるのなら、全て宇宙開発局に報告書という形で表現すればいい」
帰還の目途が立つと、途端にヒミコは情を失ったように思えた。発電方法に地熱発電を選んだのは、長期間の滞在を見越したからこそだと思うが、想定以上に反物質の備蓄が順調だったのだろう。ヒミコはもうこの星に興味を失ったかの如く振る舞い始めた。
結局、おれはヒミコの意見に従った。これ以上の干渉はなし。おれとヒミコは探査船に戻ることにした。
下手に挨拶をすると引き留められると分かっていたので、おれとヒミコは黙って出て行った。防壁を内側からよじ登り、5Mの高さからヒミコが飛び降りようとしていると、ニュウが現れて慌てて制止した。おれとヒミコは例の無重力魔法で安全に村の外に着地することができた。
「言ってくれれば外に出してあげたのに」
ニュウが少し不貞腐れながら言う。ニュウは変に騒ぐことなく、村人に黙ってこっそり抜け出そうとしているおれたちの意思を汲んでくれた。見た目と言動は幼いがなかなか分別のある振る舞いだった。
「ありがとう、ニュウ。おれたちはあの家に帰るよ」
家というのは探査船のことだ。ニュウは頷いた。
「そっか。わたしとお姉ちゃんのこと、貰ってくれてもいいんだよ?」
「魅力的な申し出だが、遠慮しておく。一緒に行けない事情があるんだ。分かってくれ」
「にゅう……、ニュウは良い子だから、分かったよ。じゃあね。また来てね」
おれはニュウに手を振って別れを告げた。ニュウも手を振り返した。手を振るというジェスチャーの意味をニュウと共有できた気がする。おれとヒミコは足早に探査船のほうへ向かった。
平原を抜け、林を通り過ぎ、あっという間に村の防壁が見えなくなる。
「ところで、マスター。この星の名前ですが」
「ああ? 名前?」
ヒミコは非常にまじめな顔で言うが、おれにはあまり興味のないことだった。
「一応、形式上、名づけの権利はマスターにあります。宇宙開発局に報告書を提出するのに必要ですから、今の内に考えておいたほうがいいかと」
「名づけの権利ね……。この星には既に住んでいる人が大勢いるわけで、勝手におれたちで別の名前を付けるのは、なんというか、野蛮な気がしないか?」
「分かりますが、形式上のことなので」
おれは腕を組んで考え込んだ。
「……一応、見せてもらった歴史の本には、この世界全体のことを“イフィリオス”と書いてあったが、お前の翻訳だな?」
「イフィリオスはギリシア語で世界、太陽の下、という意味です。現地のニュアンスと似た部分もあったのでそのように名称を付けてみましたが……」
「それでいいだろう。どうせ仮名だ。この星の名前はイフィリオス」
「かしこまりました」
おれとヒミコはまっすぐ探査船に向かった。探査船はアルファとベータによって林の中に巧みに隠されていた。座標を知っていたのに、かなり近くまで来ないと分からなかった。
アルファとベータも既に人間にかなり近しい姿になっていた。おれを恭しく出迎える。
「ワープ通信に必要なエネルギーは溜まったか?」
「はい。既に諸々の準備を整えてあります」
おれの質問にアルファが答える。おれは頷いた。
「じゃあやってくれ。こっちの座標を添えた救難信号を送れば、数分後には救助の船がやってくるはずだ」
それまで沈黙していた反物質炉が稼働し始めた。かと思ったらすぐに停まった。対消滅によって生じる莫大なエネルギーを瞬間的にぶつけて空間の歪みをこじ開け、亜空間を出現させ電波を送り込む、これがワープ通信だった。送信した情報は僅かだが確実に救難信号は地球に届いたはずだ。
おれはほっと一息をついた。しかし三人のヒミコの表情は硬かった。こんなとき彼女らはおれを安心させるような穏やかな表情を見せるのが普通なのに。
「ヒミコ、どうした?」
「――ワープ通信そのものには成功しましたが、恐らく地球に届いていません」
「どういうことだ?」
「座標がめちゃくちゃです。計算に間違いはないはずですが……。ざっくり言うと、我々は迷子のようです。現在地が宇宙のどのあたりなのか、不明です。加えて言うなら地球がどのあたりにあるのかも」
「なに?」
「現在地が不明なら、地球の位置も分かりません。今まではワープの航跡を計算して現在地を割り出していましたが、その計算がどこかで狂ったようです。おそらく、最後のワープ航行で何らかのイレギュラーな事態が起こったようです」
「イレギュラーな事態、ね……」
心当たりならあった。この星に来る前、おれは不自然なほど長い時間眠ってしまい、ワープ航行の瞬間起きていることができなかった。しかも通常より反物質を消費してワープをしてしまい、備蓄がなくなってしまった。ヒミコもその原因が分からず、不穏な雰囲気がこのイフィリオスに着陸する前から漂っていた。そのことをおれは思い出した。
「周辺の星の配置から、現在地を割り出せないか」
「数多の探査船がワープ航行を用いて宇宙の各所を巡り、それを元に星図が作成されていますが、どうやらこの周辺はデータにない宙域のようです。該当する星の配置が見当たりません。この星の大気は濃いので、地上からだと精度の高い観測結果が得られないというのもあるのですが」
おれは頭を抱えた。
「どうすれば解決する。宇宙に天体望遠鏡でも打ち上げればいいのか?」
「それも一つの策です。現在地を割り出す方法は、他に三つほど案があるので、並行して実行します」
「頼んだ。……しかし、そうなると、しばらくおれたちはこの星で暮らすことになりそうだな?」
おれの言葉に、ヒミコ三人は同時に頷いた。
「地熱発電は安定しています。電力には困らないでしょう。しかし、この場所は長期間居座るにはやや目立ち過ぎる場所にあります。引っ越しも検討なされては」
「ああ、良い場所があればな」
おれは頷いた。ヒミコたちがひそひそと深刻そうに相談を始めたので、おれは手をぱんぱんと叩いた。
「うん、あまりネガティブになっても仕方ない。この星……、イフィリオスのことについて詳しく調べる時間の猶予ができたと考えることにしよう」
「しかし、あまりこの星の文明に関わるのは」
「過度な干渉はしないさ。しかし、目の前に死にそうな人間がいたら助けてしまう。おれの心はそういうふうにできている。多くの地球人もそうだ。その結果、多くの異星人と交流することになったとして、いったい誰がおれを責められるっていうんだ?」
ヒミコが呆れたように苦笑した。
「そういう言い訳を用意しておく、ということですね?」
「この星のこと、もっと知りたくないのか、ヒミコは?」
「私に好奇心に従うというプログラムは組み込まれていません」
「それじゃあ人間を模倣したアンドロイドとは言えないな、ヒミコ。不完全だ」
「そうかもしれません。マスター、程々にお願いしますね」
「ああ。大丈夫さ。村の人たちとの交流で、無理のないコミュニケーションが取れることは分かっただろう? 知りたい情報を引き出すだけ。過度な交流は避ける」
おれは自分に言い聞かせるようにして言った。宇宙における現在地が分からず、ワープ通信が成立しなかったのは不安だったが、これまで無数にワープ航行を繰り返してきた経験から、おれはまだこの事態を甘く考えていた。
それよりも目先の未知の惑星探査に興味があった。今すぐ帰らなくてもいいという名分ができると、おれは持ち前の好奇心がむくむくと湧き上がって抑え切れなくなっていた。今日から本格的に調査を始めることになる。ヒミコたちはそれを察して、おれがそれ以上何か言う前から、より大型の探査機の製造を始めた。相変わらず彼女らの動きは機敏だった。