砦
ベルギウスに最も近くにいたのはおれたちだった。魔法による通信では連絡が取れなかったので、可能な限り急いで誰かを派遣し、危機が迫っていることを報せるしかない。
だがベータに案があるようだった。ダンジョンが変形を繰り返したものの、元の形に戻っているなら、電波を中継する機械が残っているかもしれない。その機械を使ってベルギウスにメッセージを送れないかと思案した。
中継機械そのものに通話機能はないが、受け取った電波を増幅させ、次の中継器に情報を受け渡すだけの電力は保持している。その電力を使えば、ベルギウスが気づくような形でこちらの意図を伝えることができるだろう。
ベータが早速中継器の操作を試みる。元々、電波を受け渡すだけの無骨な装置なので、自由度は低い。中継器の出力が乱高下して異音が鳴る。
「あ」
グリゼルディスが頭に手を当てておれのほうを見る。
「ベルちゃん――ベルギウスちゃんと連絡がつきそう。スズちゃんが使っている力(電波)を追っていった先にベルちゃんがいたわ。私のほうからつついてあげたから、向こうも気づくでしょう」
「電波を追う? そんなことができるのか?」
おれはかなり驚いていた。この世界の住民は電波の存在に気づいているのだろうか。地球の歴史で言えば、電磁波の存在が初めて立証されたのは19世紀末のことだ。そのレベルの科学知識があるとはあまり思えないが、魔法による文明が地球とは異なる自然科学へのアプローチを試みていたとしても不思議ではない。
グリゼルディスは瞼を閉じる。
「ちょっと待ってね。ベルちゃん、ベルちゃん、返事をして。合流して。魔物がいっぱい――あ」
グリゼルディスが目を見開いた。
「どうした?」
「もう魔物の軍勢と遭遇したみたい。会話どころじゃなくなったわ。うまいことここまで逃げてくれればいいけれど」
おれは一瞬思考し、それからベータに声をかけた。
「大量の魔物を相手どるのに最も適した位置は割り出せたか」
「防衛ラインを複数構築するプランでいきますと、まずは第六層の隘路で陣を張り、徐々に戦線を後退。各階層に、それぞれ一つは砦を構築できる場所がありますので、そこで魔物を迎撃するのがいいでしょう」
「第六層だな。ギルドの人間が集結すればかなりの防衛力を有するはずだ。まずはベルギウスを六層まで退避させる。砦の構築を急げ」
おれは走り出した。ベータが呼び止めようとしたが振り切った。
ダンジョン内の構造は把握している。第一八層まで徒歩で進んだ甲斐があった。もはやこのダンジョン内の構造は完璧に掌握し、迷うことも、遠回りすることもなかった。
おれは第二層まであっという間に辿り着いた。すると遠くから地響きが聞こえてくる。肉と肉が擦れ、壁や地面に挟まれて圧死する魔物と、それをも引きずりながら突き進んでくる猛烈な魔物の軍勢。血と肉を撒き散らしながら進軍速度を優先する狂った魔物の行進が眼前に迫っていた。
そのすぐ傍をベルギウスが駆けている。と思ったら空中を滑るように移動している。魔物たちが掴みかかろうとしたところを、するりと避けて逆立ち状態になり、それから黒い稲妻のような魔法を放ち魔物たちを攻撃した。
先頭の魔物を丸焦げにしたが、後続の魔物がすぐにそれを追い抜き、奴らの足を止めることすらできない。ベルギウスは黒い包帯の奥で舌打ちした。
「ベルギウス!」
おれが叫ぶと、ベルギウスはもう一度舌打ちした。重力を無視しているかのように、天井を駆けている。
「スズシロ。こんなところで何をしている」
「こっちに来い。ギルドの人間で陣を敷く。魔物の数は数十万――とてもじゃないが個人で対抗できないぞ」
ベルギウスは楽しそうに魔物の軍勢を見やった。顏の表情は包帯に隠れて見えないが、それくらいは伝わってくる。
「ほう。酸欠を起こしそうなほどの大群だが、そんなにいるのか。確かに手に負えんな」
「もう、誰かから聞いたかもしれないが、シンクレアなら保護した。無事とまではいかないが、命は助かった」
ベルギウスはぴくりと反応した。移動が遅れ、危うく魔物の群れに捕まりそうになる。そして魔物たちに力任せの魔法を撃ち放った。魔法の質を変えたのか、丸焦げになった魔物が粘着質の分泌物を出すようになり、それが壁や地面に固着して、防波堤のような働きをした。ほんの数秒、時間を稼ぐことに成功する。
「……そうか。保護できたか。皇国騎士団には個人的に縁があってな。元騎士団長の親族となれば、放っておけなかった。貴様が保護したのか?」
「いや、おれがってわけじゃないが。一応報告しておいたほうがいいと思って」
ベルギウスはダンジョンを駆けながら、全くぶれない声で、
「シンクレアを助けるためにダンジョンに入ったら、気づいたときには深奥にいた。そして今、入り口近くで魔物の大群に追われている。つくづく不思議な場所だ。だからこそ面白いと言えるがな」
「余裕だな」
「貴様こそ。予言の件、覚えているか」
おれは頷いた。
「ああ。おれがダンジョンを制覇する……。そんな予言だったな。もう予言が成就したのか? 一応、おれも一番奥まで行ってみたが」
ベルギウスは自分で尋ねておいて、あまり興味なさそうに、
「どうだかな。今のこの状況、ダンジョンの混乱はまだまだ収まっていないと言えるだろう。我はまだ実現していないと見る。だからこそ、貴様に興味がある。貴様についていくことに同意するのはそういう理由だ」
「ギルドで一致団結してこの危機的状況に対応する為におれについてこいよ。グリゼルディスもロートラウトも既にお前を待ってるぞ」
ベルギウスは首を振り、おれの言葉を真剣に受け取ろうとしない一方で、
「モル様は?」
「ダンジョンが変形してからは見てないな」
「そうか」
おれとベルギウスは猛然と迫りくる魔物から逃げる為に、並んで走っていた。構造ならおれが把握している。ルートも完璧だ。魔物の群れは、分岐道に差しかかるたびにそちらへ魔物が流れていくので、一瞬おれたちとの距離が空く。ダンジョン全体に魔物が充填されていくさまは、絶望的な光景であったが、ベータの試算だと、数十万体の魔物がこの勢いでダンジョンに雪崩れ込めるのはせいぜい第四層まで。それからは魔物たちは勢い任せの進軍ではなく、自分たちの足でばらばらに進行してくるはずだ。
第三層を越え、第四層、第五層へと着く。そこでようやく、おれとベルギウスは魔物を振り切った。おれは当然ながら息切れを全く起こさなかったが、ベルギウスはさすがに疲れたようだった。
「運んでやろうか?」
「冗談を言うな」
「本気だ。遠慮するな」
おれがベルギウスを担ごうとすると、彼は慌てて走る速度を上げた。もしかするとその判断は正しかったかもしれない。モル派幹部ロートラウトが、迎えに来るところだった。
「ベルギウス様!」
ロートラウトが駆けてくる。ベルギウスは心なしか背筋が伸びた。
「……ロートラウト。無事だったか」
「ベルギウス様こそ。モル様も先ほど砦に到着しました。魔物の群れをそこで食い止める算段です」
一方は包帯で顔を隠し、一方は仮面で顔を隠す。この二人のモル派幹部は似た者同士だった。どうも二人の間には信頼関係があるようにも見える。
「相当な大群だ。一筋縄ではいかない。物資ももつかどうか……。帰還魔法は使えないのか」
「ダンジョンの外は魔物どもによって占拠されているそうで……。少なくとも今すぐには無理です」
おれはここで口を挟んだ。
「外におれの仲間がいる。帰還魔法を使えそうになったら連絡をくれると思う」
アルファたちが状況を逐一報告してくれるはずだ。と思っていたが、ここで電波の通信状況が悪化した。ダンジョン途中に設置している中継器が破壊され始めたのか。
できるだけ目立たない位置に設置し、あわよくば魔物にも壊されないと思っていたが、魔物でぎちぎちになってしまうと、さすがに避けようがなかったようだ。あるいは、ダンジョンの一層から四層まで魔物で満たされたので、奴らの躰で電波を遮断してしまっているのかもしれない。
おれたちは第六層の即席の砦までたどり着いた。ベータが大張り切りして、ダンジョンの壁を材料に砦を構築していた。ダンジョンの通路幅いっぱいに、分厚い鉱石の壁が出来、それが三層。魔法で迎撃できるように高台も設置されている。壁の手前には堀があり、容易には上がれないようになっている。
その砦の出来に驚愕したのはおれでもベルギウスでもなくロートラウトだった。
「さっき出たときにはまだ骨組みだけだったのに……!?」
ベータの作業を見ていたグリゼルディスも、呆れたように笑っていた。
「あらー、私としたことが、彼女が何をやっているのか分からなかったわ。次から次へと壁を生み出して、しかもその壁が隙間なく組み合わさって、あっという間にこんな美しい砦が」
おれたちは砦に上がり、続々と集結するギルドメンバーの面々を確認した。ダンジョン各層から着々と呼び寄せられているようだ。
ベータがおれに近づく。
「マスター。本丸となる砦を第七層に構築します。この第六層の砦は時間稼ぎのためのもの。徐々に戦線を下げて避難できるよう、戦況の見極めが必要です」
「ああ、分かった。もうギルドの人間の目など気にせず、思う存分築城してしまえ。いくらでもごまかせる」
ギルドの戦士十数名と、アンドロイド数十体が、第六層の砦に集結した。こちらに押し寄せてくる魔物を待ち受ける。
いったいどれだけの時間戦い続ければ魔物を狩り尽くせるのか……。あえて深くは考えなかった。力尽きるまで戦うまでだ。それしか生き残る道はない。最初の魔物の群れが、暗闇の中から姿を現す。
ベルギウスの魔法がその先陣を叩き潰す。その後ろから更に大きな群れが出現し、死骸を踏み越えて迫ってくる。
「とにかく魔法を撃ちまくれ! 力を使い果たした奴はさっさと下がって交代しろ!」
ベルギウスが叫ぶ。彼の声はけして大きくはなかったが、魔物の叫び声が上がる中でもよく通った。ギルドの戦士の魔法と、アンドロイド軍団が撃つ銃火器が、魔物の群れに損害を与える。しかしせいぜい数百体を削っただけであり、その後ろにはもっと多くの魔物が控えている。山のように積み上がった魔物を蹴散らし、魔物が更に迫ってくるそのさまは、まさに地獄のようだった。おれは機械の体に冷や汗をかいたような心地だった。




