表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/171

書物


 村人の八割は、抗生物質だけで快方に向かった。残りの二割は、ベータが空輸してきた輸液の器具によって体調の改善を図った。残念ながら何名かの高齢者は治療の甲斐なく亡くなったが、村人は誰もおれとヒミコを責めなかった。むしろ懸命に最後まで治療に専念したヒミコの献身性に、涙を流して感謝した。


 おれは治療に協力しつつも、オークの動向に注意を向けていた。村の近くにオークが姿を現すことはなかった。周辺を索敵しているプローブ機によると、少し離れた林の中などに姿を現すことがあるらしい。巣穴を二か所発見し、それぞれ個体の特徴が顕著だったのでカウントしたところ、視認できたのは24体。しかしこれらは斥候であり、巣穴にはこの数倍の数が潜んでいると推測した。

 

 おれは続々と回復する村人の笑顔に包まれ、満足していたが、同時に現地の人間と過剰に接触してしまったことを責める自分もいた。最小限の接触で済ませることはできなかった。特に抗生物質という近代医療の魔法の弾丸を持ち込んだことについては、非難を免れないだろうと考えていた。


「浮かない顔してる、スズシロ」


 ニュウとレダの姉妹が、広場の切り株に座って考え込んでいるおれの近くまで来ていた。広場には他にも村人が何名かたむろっていた。先日までの死の気配に包まれていた村が、今では活気に満ちている。


「ああ……。気にしないでくれ。少し考えていただけだ」

「そんな悲しそうな顔しないでくれ。回復した村長と交渉しておいたぞ。古い書物が三冊しかないけれど、これで良ければ持って行ってくれって言ってた」


 レダの言葉におれは思わず立ち上がった。


「そうか。ありがとう。でも、少し見せてくれるだけでいいんだ」


 おれはレダ、ニュウと共に村長の家に向かった。おれの連絡を受けて、治療中だったヒミコがひょっこり顔を出して、自然におれの横を歩き始める。あまりに気配がなかったらしく、ふと振り返ったレダが一人増えたことに気づいてビクリとした。

 村長の家に入ると、おれが来ることを予見していたのか、村の年長者が集結して整然と並んでいた。一瞬呆気に取られたおれたちに敬意を示す手振りをみせた。日本人のところで言うお辞儀が、彼らにとってはそのハンドサインのようだった。


 村長の横に控えている年配の男が、おれとヒミコに改めて敬意を示す。


「衰弱している村長に代わって、このアレスが挨拶申し上げる。異国の医師スズシロ殿、ヒミコ殿。この度はこのオブカイ村の窮地を救ってくださり、衷心より感謝申し上げる。そのひとかたならぬ尽力を、我々は一生涯忘れることはないだろう。希望なされている書物のほか、この村のものは全て貴殿らの財産だと思ってくれて構わない」


 おれは、予想の範疇ではあったが、少しだけ慌てた。そしてはっきりと言っておくべきだと判断した。


「そんなつもりでおれはあなたがたを癒したわけではない。感謝の言葉だけ受け取っておく。この世の中、持ちつ持たれつだ。おれは是非あなたがたの話を聞きたい。なにせ、この国で見るもの聞くもの全てが目新しいものでね」

「そう遠慮なさるな。この村には金目のものは既に残っていないが、優れた人材ならいる。皇都で魔法使いの訓練を受けたレダ、魔法の才に恵まれたニュウ。この二人を是非貰ってくれ。妻にでも、小間使いにでも、気の済むままに」


 おれはぎょっとして振り返った。レダとニュウは家の入口近くに無表情で突っ立っている。承知の上のことらしい。おれは思わずヒミコと視線を交わした。


「……あー、ご厚意感謝する。しかし本当にいいんだ。レダとニュウ、こんな美人姉妹、この村にとっても宝だろう? 大切にしてやってくれ」

「ふむ、ご迷惑だったかな?」

「迷惑だなんてそんな。それより、書物を見せてくれ。内容について解説してくれる人もいると、非常に助かる。かろうじて話すことはできるが、まだここの国の言語を知らなくてね」

「承知した。文字の習得には相当時間がかかるだろうが、気の済むまで逗留なされるといい。大したおもてなしもできないが……」


 おれとヒミコは書物を三冊受け取り、村長の家を出た。どっと疲れていた。書物の解説と文字の教授は、レダが行ってくれることになった。まともに文字を扱えるのが、村長とレダだけのようだった。

 おれとヒミコはレダの家に向かった。レダの家は防壁と接した部分にあり、ひときわ背が高かった。防壁の上にある巡視路に繋がる階段があり、真っ先に外敵との戦闘に参加できるような造りになっていた。


 レダの家の中は物がほとんどなかった。ヒミコは移動している最中に既に三冊の内容を読み取り、完全に記憶している。おれはレダに、ヒミコに文字を教えてやってくれと頼んだ。レダは恩を返せるのが嬉しいのか、気合いの入った顔で頷いた。

 それに笑みを返してからおれはヒミコに、常識の範囲内の学習速度を演出してくれと小声で指示した。


「今更ですか?」

「今更でもだ。患者の様子はおれが見ておくから」

「分かりました。注視が必要な村人のデータを送っておきます。それから必要な医療知識や道具の使い方なんかも」


 おれはレダの家を出た。ニュウが興味津々という感じでどこまでもついてくる。おれは患者の容態を見て回ったが、いずれも状態が安定しており、特にすることはなかった。近くでニュウは欠伸を噛み殺して俺の一挙手一投足を観察している。


 おれは患者を診る。ヒミコは文字を習得する。そんな日々が三日ほど続いた。ヒミコが「そろそろいいですか?」と通信で連絡を入れてきたので、おれは仕方なく「学習完了だな」と応じた。


 レダは信じられない、という顔でヒミコを見ていた。


「最初は、紛れもなく何も知らなかった……。とんでもない学習速度。語彙、文法、発声、雑多な知識。ほぼゼロから始まったのに、今では完璧です……。皇都の学校でも天才と呼べるような研究者や学生はいたけれど、これほどの才能とは巡り合わなかった……。ヒミコさん、あなた何者?」


 三日かけてこれなら、最高速で学習していたらどうなっていたのだろうか。少しだけバツの悪そうな顔をしているヒミコを見ながらおれはそう思った。


「まあ、こいつは普通の人間とは頭の出来が違うんだ。ほんのちょっとな。借りた書物を返しておいてくれるか、レダ」

「スズシロさんは、読まなくて大丈夫なの?」

「ああ。有益な情報はヒミコから教えてもらうから大丈夫だ」


 おれはヒミコから、修得した言語情報を受け取った。脳内のバイオチップに記憶され、徐々におれの思考の中に異星言語が漏れ入ってくる。それは情報の奔流だった。自動的におれの言葉は異星言語に翻訳されるが、いまや翻訳機能を使わなくとも彼らの言葉を使えるくらい知識が深まった。いずれは挑戦してみてもいいだろう。


 それより、古い書物三冊は、どれも興味深い内容だった。一冊目はこの星の神話に関するもの。二冊目は魔法に関するもの。三冊目はこの地域の歴史に関するもの。おれはその本の内容を受け取り、全く未知の世界の情報に感動していた。

 もっとたくさんの本を読みたい。ヒミコから情報を受け取るだけではなく、自分の目で文字を追いたい。そんな欲求に駆られてしまった。


 おれがヒミコから受け取った情報を味わっている間、よほど間抜けな顔をしていたのか、近くで見ていたニュウがおれの脇腹辺りをつついてきた。


「にゅう……。スズシロ、固まってどうしちゃったの?」

「あ、ああ、済まない。何でもないよ」


 未だにニュウの「にゅう」という単語の意味がよく分からない。おれはニュウの髪を撫でつけながらそんなことを考えていた。

 おれはもう、この村に用がなくなった。これ以上引き出せる情報はもうなくなった。もっと情報が集まっている場所の見当もついたし、情報が必要ならそちらへ向かうのが効率的だろう。それに、そろそろワープ通信が可能なエネルギーが溜まったかもしれない。となると地球に帰還し、この星の住民との交流もこれまでということになるだろう。


 おれは浄水された井戸の水を汲んで、それを飲んだ。もう井戸の水は安全で綺麗なはずだったし、もしまたオークどもが何らかの方法で井戸に毒を投下したとしても、よほど特殊な毒でない限りは害が出ないはずだった。

 村人たちは井戸の内部に設置された浄水装置を不思議そうに見つめながらも、おれからのプレゼントということもあって不審がることなく利用してくれていた。


 おれは村人たちと談笑しながら井戸の近くで立っていると、上空を警邏していたプローブ機から情報が入った。不審な布袋を抱えた大型の鳥が飛来してくるという。


 おれはすぐにヒミコを呼んだ。ヒミコと一緒にレダも井戸の近くまで来た。上空を鳥が旋回している。すると近くを飛んでいたプローブをその鋭利な鉤爪で殴りつけて墜とした。プローブは真っ二つになり、防壁の外に落ちていった。


「残骸は他のプローブで回収しておきます」

「ああ。あの鳥、遠くてよく分からんが相当でかいな。それに何か抱え持ってないか?」

「こちらをどうぞ」


 ヒミコの眼で見た写真データがおれの脳内に送られてくる。そこには黒と白の翼を六枚備えた怪鳥の姿が映し出されていた。鳥なのに人間の手のようなものが腹から突き出て、布袋を抱えている。布袋には黒い染みがあり、見るからにろくなものではなかった。


「あの鳥、もしかしてオークの仲間か?」

「井戸水に毒を投下したのも、あの鳥でしょうか。村人が誰も見ていないときにやったんでしょうね」


 鳥はおれたちが注目していることに気づいたか、大きな翼をはばたかせて去っていった。しかし何度でもやってくるだろう。ふと見ると、レダの眼に物騒な光が宿っていた。殺意でみなぎっている。


「レダ……? 美人が台無しだぞ」

「あの鳥は、いつだって災厄をここに呼び寄せる。イビルホーク……。他の魔物と共謀して、村を襲い、人肉を貪る」


 イビルホークというのはヒミコが諸々勘案して名付けたものだろう。おれは彼女の震える肩に触れ、落ち着かせようとした。


「よく連中とは戦っているのか?」

「いや……。これで二度目だ。この村の防壁、随分立派だろう? 私が子供のとき、村が襲われて壊滅的な状況になったらしい。そのときたまたま村の近くを通りがかった魔法使いが、魔法で防壁を築いてくれたんだ」

「そうか……」

「イビルホークは賢い魔物だ。近くにあるダンジョンの封印を解いて、魔物を解き放ち、それらをけしかけて集落を襲う。最近オークが増えたのも、未知のダンジョンの封印が解かれたせいだろう……」

「ダンジョン……」


 書物に書いてあった。神話の時代の人々が、地上に蔓延る“魔”を封印する為に作り出した迷宮。多くは地面に穿たれた地下迷宮であるが、稀に天を衝く塔のダンジョン、海上から海中にかけて構築された海のダンジョン、樹木や植物で構成された森のダンジョンなどもあるという。


 神話に登場する“魔”は、何度討伐しても数年ののち復活し、人々を苦しめた為、封印する必要があった。現存するダンジョンの多くは封印されているが、何かが原因で封印が解かれることがある。その条件は不明。ただし封印が解かれたダンジョン内の魔物は討伐しても復活することはないという。ダンジョン内の魔物を掃討し安全を確保した例は少数ではあるが存在し、ダンジョンの完全攻略者は未来永劫語り継がれるほどの名声を得られるという。


 ダンジョンそのものが魔物の巣となっているため、その最奥までたどり着かなければ魔物を根絶することができない。半端な戦力では達成することができず、国家単位での取り組みが必須だ。


 おれは得たばかりの知識でレダをなだめようとした。しかしレダの眼に宿る炎の如き情熱は到底消せるものではなかった。おれは所詮余所者であり、彼女のこの激しい感情に干渉すべきではない。おれは彼女に語り掛ける舌を持たなかった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ