絶望
「来るな! この部屋に入ってくるな!」
声がした――この先に危険があるという警告なのは、誰だって分かる。しかし問題だったのはそれが背後から聞こえたということだ。おれは振り返った。そこにはギルドの戦士数名と、アンドロイドの傭兵たちが一定の距離を保って歩いているところだった。
次の瞬間、おれはアンドロイドの制御を失った。通信が途絶し、ダンジョン内の情報を取得できなくなった。おれは探査船の椅子に腰かけている自分の重い肉体を意識した。ゆっくりと椅子から体を起こしかけたところで通信が復活し、再びダンジョンの中に意識を埋没させた。
通信が不安定だ。アンドロイド傭兵たち自身も電波の中継をしてくれるので、おれが操縦しているアンドロイドの通信が切れたということは、他の傭兵たちも通信できなくなった可能性が高い。ただしアンドロイドは自律的に動けるようになっている。おれの操縦がきかないときも、勝手に動いて、最低限の応答くらいはできるようになっているはずだ。
おれがダンジョン内に復帰したとき、様相が一変していた。普通の洞窟の通路が続いていたダンジョンが拡張され、白っぽい土壁が特徴的な広い部屋に立っていた。
おれ一人。他に人がいない。
しばらく呆けていた。出口がない。四方が壁に囲まれている。
しかしかろうじて通信ができている。地上からダンジョンの最奥部まで、距離にして十数キロメートルはある。地上からこの部屋まで、通信用の電波が通り抜けるだけの道が続いているはずだ。完全に外界と隔絶したわけではない。
「ベータ、聞こえるか。他のアンドロイドも……。状況を伝えろ」
一瞬の沈黙ののち、探査船のアルファから連絡が来た。
《通信が不安定です。連絡不可能になった個体もかなりあります。最も通信が安定しているのがマスターの個体ですね》
しかし声が飛び飛びで、聞き取りにくい。補正をかけてやっとだ。これで一番安定しているのか。
「何が起こった? 分かる範囲で伝えろ」
《答えは明確です。ダンジョンの構造が変形しました。第一八層だけでなく、そこより上の階層も……。マスターが今いる場所は、第一四層あたりだったところです》
「構造が……。カスパルがやったのか……?」
ダンジョンの構造を変える。いったいどれだけのパワーが必要なのか、想像もつかない。こんなことができるなら、おれたちの侵攻なんて簡単に止められた。最深部まで来たタイミングで仕掛けるとは、おれたちをあざ笑っているのか。
いや、カスパルの悲痛な声をおれは聞いた。彼は何かに深く絶望している。何かがある。カスパルとこのダンジョンには秘密が眠っている。
「――アルファ、さっきベータが言いかけていた“仮説”について教えてくれ。カスパルから口止めされたやつだ」
《分かりました。それは、このダンジョンは魔王を封印する為の場所ではなく、復活の――》
ここで通信が途切れた。しかしここで奇妙な現象が起きた。
おれの意識がアンドロイドのほうに残ったままだ。依然、ダンジョンの中におれはいる。それなのに通信が切れている。こんなことはありえなかった。通信が切れたのなら探査船にいるおれの肉体に意識が戻るはずだ。
焦りや恐怖はなかった。ただ、魔法というのはこんなこともできるのかと感心していた。
カスパルが壁からぬるりと姿を現した。以前会ったときは人間に擬態していた姿だったのか、今の彼は随分様子が違っていた。青い短髪に筋肉質の体。顏の右半分が歪み、黒い角が耳の近くから生えている。そしてその角は鼓動していた。かすかに揺れ動いている。
「カスパル……」
「ふん。いったいどうやってその結論に辿り着いたのか興味深いが。俺のほうから教えてやるよ」
おれは彼に向き直った。一定の距離を保つ。
「……正直言うと、おれはこの状況をよく理解できていない」
「簡単だ。俺はお前ら全員殺す。そして俺はここで死ぬ。お前は人形らしいが、意識の欠片みたいなものをキャッチして留めておいた。死ぬことはないだろうが、そのままの状態で壊されたら少なからず精神に影響を受けるんじゃねえか?」
「それは参ったな」
「全く参ったって顔じゃねえが。まあいい。俺も、数日前まではアヌシュカと同じよ。何も知らなかった。昔のおとぎ話を無邪気に信じてた」
カスパルはこの広い部屋をゆっくりと歩きながら言った。おれはそんな彼の姿を目で追う。
「おとぎ話というのは、昔英雄たちが魔王をダンジョンに封印し、魔王がその報復として、英雄たちを魔物しか食べられない体にした、という話か?」
カスパルは苦虫を噛み潰したかのような顔になった。
「ああそうだ。俺は別に、自分が英雄の子孫だからどうとか考えたことはないつもりだった。しかしガキの頃からそんな話を聞かされてたせいか、知らずに洗脳されてたみたいだぜ。自分は英雄の子孫なんだ、魔物の肉を食らうしかないのも、昔の誇り高き行動のせいなのだ、だから自分は惨めじゃない、間違ってない、そんな風に無意識に考えていたかもしれん。だからこそ、真実に気付いたとき、ショックだった。きっとアヌシュカあたりはもっとショックを受けるだろうな」
おれはアヌシュカから聞いた話を可能な限り思い出していた。
「真実というのはなんだ。そのおとぎ話のどこが間違っている」
「全てだ。英雄たちは魔王を封印などしていない。魔王自らこのダンジョンで眠ることにした」
「それは……。何のために」
「寿命だろうな。単純な話、不老の生き物などいない。長い年月をかけて、不死の術式を完成させるべく、用意周到に準備を重ねた。ダンジョンの構造、封印、そして人間向けに流布した伝承、極めつけは魔族……」
カスパルは笑っていた。顏は笑っているのに、この世の全てに絶望した顔になった。
「魔族は魔物しか食べられない。どうしてだか分かるか? ただの嫌がらせじゃねえんだ。来たるべきとき、魔王の傍に魔族がいるように……。魔族が魔物しか食べられないのは、ダンジョンの中にいてくれねえと困るからだ。長い年月をかけて魔族は肉体が変容していった。魔王の魔法によってか、魔物を食らうことによってか、その両方か、それは分からねえが、次なる魔王の器としてすくすくと育ったわけだ」
カスパルの声が震えている。涙は出ていないが、泣いているのも同然だった。おれは呟く。
「魔王の器……」
「魔王リーゴス。お前らは討伐したつもりだっただろうが、あの肉体を操作していたのは俺だ。俺なんだよ。本物は俺の体を奪い取って、ダンジョンの外に出ちまった」
「本物の魔王リーゴスが生きている、のか……」
ダンジョンから脱出したカスパルは、プローブで追跡した後、ギルドの人員に追わせている。その後どうなったかの報告は聞いていない。
「ああそうだ。こういう計画だったんだよ。寿命が永遠でないなら、肉体を乗り換えていけばいい。さすがに手軽にできるもんじゃない。まずは移動先の肉体をきちんと整える必要があったんだろうな。俺たち魔族は、最初から、魔王に乗っ取られる為に存在していたわけだ。英雄の子孫どころじゃねえ、この世を破滅に導く憑代だ! 呪われた存在、存在する価値もねえ邪悪な生き物、無残に殺されるべき……、そういう畜生以下の生物だ」
カスパルの言葉に、咄嗟に反応できなかった。おれはゆっくりと息を吐き、考えを整理する。
「カスパルと魔王リーゴスの体が入れ替わった……。その後、お前は魔王リーゴスの肉体を使ってギルドと戦った。それは操られていたのか?」
「いや。俺の意思で戦った。俺はな、このダンジョンで死ぬようになってる。元々そういう計画だったんだろう。何も知らねえ人間は、魔王を殺したってことで安堵するだろ? 本物の魔王は人間社会に降り立って、何をするつもりなのかねえ。国を乗っ取るのか、人を殺しまくるのか、はたまたのんびり暮らすのか」
おれはここで一つのことに気づいた。それはとんでもない事実だった。
「ちょっと待て。過去に魔王が一人出現し、それを討伐したと言っていたな。モルが魔王を倒したと……。それも、まさか、偽物なのか?」
「その可能性はあるだろうな。今、この瞬間、この世には人間に化けた魔王が二体潜んでいるわけだ。もしかすると、人間が勘付いていないだけで、もっと多くの魔王が現世に降臨しているかもしれねえが」
カスパルはハハハと笑った。
「俺はよ、魔王リーゴスと体が入れ替わった瞬間、全て気づいたんだ。俺はなんて哀れな生き物なんだとな。けどな、これで思う存分人間と戦えるとも思った。地上に出て全員殺してやると息巻いたんだ。結局、ツィスカに殺されちまったが、魔王リーゴスの肉体が朽ちても、また別の魔物の肉体に転移できることに気づいた。魔王リーゴスがしていたように、俺もまた、ダンジョン内を自在に行き来し、そして操作できるようだった」
「闇でダンジョン内を満たしたのは……」
「恐怖に怯えるお前らが見たかった。気が狂うお前らを嬲り殺してやりたかった。ダンジョンから出れずに泣き喚くお前らを想像して、欣喜に震えたよ。実際は、少ししか殺せなかったが……」
魔族は魔王の器。いずれ魔王に肉体を乗っ取られる為に、ダンジョンの魔物の肉を貪り、惨めな思いをしてこれまで連綿と血を繋いできた。
全ては搾取される為。
非業の死を遂げる為。
カスパルの深い絶望が、今では分かる。おれは深く息を吐いた。
「……カスパル。アドルノの所へ行くぞ」
「は? 何のために」
カスパルはきょとんとしていた。
「アドルノがお前を保護する。あいつは魔族の庇護者だ。何とかしてくれる」
「バカか、お前? あいつに何ができるっていうんだよ」
「いいから」
おれはカスパルに手を差し出した。一瞬、カスパルは揺らぐ表情になったが、すぐに顔を背けた。
「――ダメだ。お前らはここで全員死ぬんだよ。お前らは魔王討伐を果たし、そして死ぬ。魔王が復活したことに愚かな人間どもは気づかない。そしてあるとき、気づく。この世界は取り返しがつかないほど呪われているってな」
魔物が地面から湧き出て来た。おれは腕に内蔵していた銃火器をぶっ放して排除したが、数十体が次々と現れて、てこずった。そうこうしている間に、カスパルが壁にめり込むようにしてこの部屋から消えていく。
この世界は呪われている――太古に存在した魔王は英雄たちに敗北したわけではない。支配する時代を変えただけのこと。もしそれが本当なら、今この時代、世界は分岐点を迎えている。おれはその瞬間に立ち会っているわけだ。
「いいだろう……、この世界の危機だというなら、もう遠慮することなく振る舞えるな。この世界の特異な文化、技術、歴史を保存する為なら、おれは地球から持ち込んだ技術の全てを使う覚悟だ」
脚部に収納していたロケット弾を取り出す。カスパルが消えていった壁にそれをぶち込んだ。岩盤を破砕し、周辺の魔物を巻き込んだ大爆発を起こす。
破られた壁の向こう、小さな通路にいたカスパルはぎょっとしておれを振り返った。
「なんだてめえ!? 大人しく死んどけ!」
「お前は貴重な情報源だ。そして、おれが魔王を殺すさまをしっかりと見届けろ。その姿、魔物の肉体を、魔法で擬態しているんだろう。お前の体は、おれが取り戻してやる」
「バカな……!」
カスパルはしばらく絶句していた。おれとカスパルが睨み合っている間、周辺の壁が次々と破壊される音が聞こえてきた。
アンドロイド率いるベータが、強引に岩盤を突破して近くに降り立っていた。土煙の中、彼女はおれに手を振った。
「マスター。アルファが、マスターが眠りから覚めない、と言って慌ててましたよ」
「無事だと伝えてくれ」
「今は通信不可です」
「ああ、そうか」
カスパルは自分を取り囲むアンドロイド軍団を見て動揺していた。おれとベータを交互に見る。
「いったい、どうして俺がここにいると分かった!?」
「一瞬、通信が回復したので、マスターと私どもの位置関係はすぐさま把握できましたし……。と、そんなことを言っても分かりませんね」
ベータの余裕たっぷりの態度を見てカスパルは不安に思ったようだった。
カスパルはギルドの人間を何人も殺してしまった。
ギルドはこの男をけして許さないだろう。
だが、世界中で魔族は人間に多数殺されている。
これは人間と魔族の憎悪のぶつかり合いが生んだ悲劇だ。それについては、おれにはどうすることもできない。ただ、おれは目の前の人間と魔族を救う。
第四層でアヌシュカの話を聞いたときから、そう決めていた。
機械人形に囲まれたカスパルは、優しい表情のおれに困惑しているようだった。彼の唇が小刻みに震えて、歯が鳴る音がかすかに聞こえてきた。彼はもう逃げる気はないようだった。
ただし、おれでは完璧に説得できないだろう。アドルノの力が必要だ。他のギルドメンバーもどうなったか気になる。おれがそう思ったとき、破壊された岩盤から、鼻歌混じりのグリゼルディスが現れた。
「あらぁ、スズちゃん。久しぶり」
グリゼルディスは微笑んだ。相変わらずおっとりした美しい女性だったが、過酷なダンジョンでの戦いの後でその様子ははっきり言って異常だった。そして、その鋭い眼光はカスパルを捉えていた。
突如、両者の間で殺気が膨らむ。
戦いは避けられないようだった。