モル
前回、ダンジョンの封印に挑んだときは、ギルド内の派閥争いがあった。
しかし今、そんなことを言っている場合ではない。
アドルノ、アヌシュカ、ツィスカの三名が代表してその封印を破壊する準備に入った。
第一三層までの魔物の討伐は滞りなく行われ、アンドロイド軍団が整然と出番を待っていた。
彼らの出で立ちはバラバラで、顔つきも背格好も全て違っていたが、どこか雰囲気が似てしまうのは共通の思考傾向を持っているからだろう。個性を持たせるのにも限界がある。
封印が破壊されるまでの間、他のギルドの戦士たちは地上に帰還した。こんなときくらいしか十分に休憩できない。グリ派の戦士で残っているのはツィスカとヴァレンティーネだけになった。
封印を破壊するべく手練れの魔法使い三人が何やら作業をしているが、あまりうまくいっていないようだった。
その作業内容をベータがじっと見ている。
以前、第四層でグリゼルディスたちが封印を破壊したときも、ベータはその様子を観察していたはずだ。
「何か参考になるか?」
おれが訊ねるとベータは静かに首を捻った。
「……やはり魔法は奥が深いですね。私には彼らが何をしているか、見当もつきません」
「結局、おれたちがやっているのは模倣だからな……。根っこの魔法理論を理解したわけじゃない」
ベータは深く頷いた。
「ここでの働きが認められ、魔法学習を許可されることを期待してしまいますね」
「学生になりたいのか、ベータ?」
「あら、マスター。マスターはなりたくないんですか?」
「今更、学生になりたいとは思えないな。本なら読ませて欲しいが」
おれとベータが話している間も、作業は続く。ふと、アドルノが作業を止めた。次いでアヌシュカが手を止めて封印の門を睨む。
ツィスカはそんな二人の様子に気づき、おれたちのほうに手を振った。
「静かに。何か音が聞こえます」
静寂がダンジョンの中を満たす。確かにかすかな音がどこかから聞こえてきた。
封印の門の透明な膜が揺れている。
震動音。おれとベータは集音能力をマックスにする。
封印の向こう側から、何かを訴える声。
「封印の向こうで、助けを求めている声が聞こえます」
ベータが言った。アドルノが封印の膜にぴったりと耳を当てて集中する。
「――この声、モルさんかもしれん」
モル派の頭領が、この向こうに? おれは気が焦ったが、アドルノは冷静だった。
「封印の内と外、両方から魔法で干渉すれば、あっという間に封印が解けるはずだ。アヌシュカ、モルさんに解法を伝えてやってくれ」
「分かりました」
アヌシュカが封印の透明な膜に手を当て、瞼を閉じる。振動が膜に伝わり、魔法によるメッセージがモルのもとへ届く。
モルの声が途切れた。アヌシュカからのメッセージを解読しているのかもしれない。
「ツィスカさん、合わせてくれ」
「了解。なんとかついていきますよ」
アドルノとツィスカが封印の門から少し離れ、手を翳す。おれとベータは魔物の襲撃に備えた。闇を晴らす銃を構える。
一分、二分……。アドルノたちは黙り込んで作業に没頭した。モルは魔法を使えるほど無事なのかどうか、おれが考え始めたとき、封印の膜が不自然なほど大きく揺れた。
パァン、という乾いた音と共に膜が破壊される。衝撃も何もなく、味気ないほどあっさりと破れる。
ベータと、数名のアンドロイドが、一斉に弾丸を放った。闇があっという間に晴れていく。
封印の門近くに、モルが立っていた。ぱっと見は無傷のようだ。その彼の近くに、八人の女性側近が控えている。いずれも負傷し、まともに立っていることができないようだった。
「モルさん。さすがにしぶといな」
アドルノが言う。モルは疲れ果てた様子で、その場に座り込んだ。そんな彼にアドルノが手を差し伸べた。
「あんたの必死な助けを求める声、封印を貫通して聞こえてきたよ」
それを聞いてモルは薄く笑った。
「――私と一緒に参戦した戦士は、私の言葉を信じてダンジョンに挑んだ。それがこの有様よ。闇がこれほど厄介なものだとは……。ダンジョンに入ってすぐ、部隊は統率を失った。引き返すこともできず、私は近くの人間を守るのに手いっぱいだった」
「敵とは交戦したか?」
「ああ……、普通の魔物だった。ただし恐ろしく統率が取れていた。我々とは対照的だな。私は周囲の闇を薄める秘術を即席で開発したが、それにかかりきりで、実際に戦うのは私の側近だけとなった。正直、壊滅寸前だった」
「ほう! 闇を薄める秘術! さすがモルさん、魔法開発の腕は衰えてないんだな」
モルは舌打ちした。
「皮肉か、アドルノ? 貴様はこうして闇を晴らす魔法を開発しているではないか。腕と脚を失ったと聞いたときは心底驚いたが、憎たらしいほど健在だな
「ああ? いや、闇を晴らす方法を突き止めたのは私じゃない。こっちの異国の旅人スズシロと、彼の助手美人三姉妹だ」
アドルノがおれを指し示す。モルは怪訝そうにした。
「なんだと? この男が?」
「どうも」
おれは簡単に挨拶をした。モルは何か言いたげだったが、時間がもったいないと思ったのか、一旦おれのことは放っておくことにしたようだ。
「……簡潔に話す。この闇の奥に、何か得体の知れないものが潜んでいる。魔物ではない、何かだ」
「ふむ?」
アドルノは、それでは分からない、と肩を竦めてみせた。
「その何かは、魔物を従えている。そして我々を殺すでもなく、いたぶるように攻めてきた。何か目的があるのだと思うが。正直、意図は分からん」
「闇の中だ。何も分からなくても仕方ないが……。グリゼルディスやベルギウスとは会わなかったか」
「会っていない。グリゼルディスも、ベルギウスも、それぞれ別の理由で、こういう環境には強い魔法使いだ。案外うまく適応しているかもしれん」
闇に適応する? もしそうなら喜ばしい。モルほどの達人がそう見立てるということは、きっと根拠があるのだろう。
アドルノは必ずしも、モルの言葉に同意するわけではないようだった。
「だといいんだがな。とりあえずモルさん、あんたを地上に帰還させる。体力が復活したらまた参戦して欲しい。あんた以上の戦力はそうそういないからな」
「……今回の惨状の責任は私にある。逆らえんな」
「ふふふ、随分と素直じゃないか。闇の中で普段の行いを反省したかい?」
「黙れガキが。反省するのはお前も一緒だろう。……もしや、その義手も、そこの男が?」
モルがアドルノの義手の精巧さに気づくと、おれに視線を向けてきた。
「そうだ。スズシロが提供してくれた。信じられないような技術を彼は持っている」
「ふん。この件が終わったら、話がある。ギルドからも礼をしなければならないだろうな」
モルは最後までふてぶてしい態度のまま、ダンジョンから去った。転移魔法で退場する。彼の側近たちも全員命に別状はなさそうだった。
既にアンドロイドたちは第一四層を侵攻している。闇を払い、かなり景色は良くなっていた。先へ進むごとに、救出もある程度は進んでいる。アドルノ、グリゼルディス、モル、三大派閥の長からの覚えが良くなり、おれはこれにも好感触を抱いていた。順調だ。順調だが、不安定な状況。一手でひっくり返る危うさも感じていた。
ダンジョンの奥に潜んでいるのは何なのか。カスパルの気配がするというアドルノの言葉は真実なのか。そして、ここにきておれはベルギウスの予言を思い出していた。このダンジョンを攻略することになるのはおれだという予言……。このままだとそれは実現しそうだが、ベルギウスはどこまで未来が見えていたのだろうか。闇の中で彼はおれの到着を待っているかもしれない。おれはそんな想像をして、先へ進まなければならないという思いを強くした。




