分離
魔王リーゴスが生み出したこの闇は、具体的には三種の魔法物質で構成されていることが分かった。しかし、それだけのことを突き止めるのに、結構な苦労があった。
まずこの魔法物質に、おれとベータは触れることすらできなかった。アヌシュカは闇に触れ、千切ることができたが、おれたちの手はすり抜けてしまう。もちろん、おれは魔法というものの理解がかなり進んでいた。実際に魔法を行使するアンドロイドを大量生産していただけあって、具体的にどうすべきかは分かっていたつもりだった。
まず、おれは左腕を、ベータは右腕を魔法行使可能な腕と交換することにした。ベータの体に内臓されている原子プリンターで、腕の部材を生産し、この場で組み合わせてしまう。そしてダンジョン内の中継器を通して、探査船にいるガンマと接続する。聖印化したガンマと通じることでおれたちは魔法を使うのに必要な“頭脳”を得ている。そしてこの腕は魔法を行使する上で必要な“不完全性”を備えたものであり、魔力がこの機能を補完する。
あとはアヌシュカの真似をするだけだ。アヌシュカから詳しく話を聞いたが彼女は感覚派で、
「闇を千切るには、気合いを入れればいいの。腕のところに」
としか教えてくれなかったので、闇を千切るときの彼女の脳波をがっつり測定した。アヌシュカの頭にベータが手を当てる。その状態で闇を千切ってくれとオーダーしたので不審がられた。
しかしアヌシュカはおれたちに協力的だった。不要な問答もなく、素直に従ってくれた。
あとはアヌシュカの脳活動をガンマが模倣すればいい。探査船内部でレダ、ニュウと一緒に過ごしているガンマは、姉妹にその挙動不審っぷりをからかわれつつも、おれたちのサポートを忠実にこなしてくれた。
おれとベータは十数度のチャレンジの末、闇に触れることに成功した。闇を千切り、手中に収める。
あとは解析を進める。おれは考え付く限りの化学センサーを掌に仕込んでいた。しかしうまく情報が得られない。
ならばこの闇の魔法物質に衝撃や魔法をぶつけてその反応を見るしかない。地道な実測実験が始まり、最初の数時間の進捗は微々たるものだった。
しかし、少しでもデータが得られたのなら、実験に並行してシミュレーションを進められる。このシミュレーション作業こそ科学力の見せどころだった。
実測値と理論値のすり合わせ。フィードバックの繰り返し。特に理論上で予測された動きを実験で観測できたときの手ごたえは大きい。電子上での振る舞いが現実で形になるということは、コンピュータ内にもう一つの新しい世界を創造したも同義だ。そしてその新しい世界の時の速度は自由に変えられる。百倍速でも、万倍速でも、更にその万倍の速度でも、自由に実験できる。
計算量が膨大になればなるほど、計算機の性能がモノを言う。探査船にある量子コンピュータがその途方もない計算量を凄まじい速度でこなしてくれた。
この闇の魔法物質は三種に分けられることが、半日かけて判明した。魔法による衝撃に対する反応が一様ではないことが分かり、攪拌、分離する方法もシミュレーションは示してくれた。
かなり高度な魔法を用いるものであり、おれやベータがそれを再現するのは難しそうだった。駄目もとでアヌシュカにできないかと口頭で伝えた。
「闇の分離? 具体的にどうするの?」
「これは三種の物質で出来ている……。最も軽い部分と最も重い部分を分けるのは比較的簡単だが、この二つの媒介となっている気体が分離できない。全体の質量で言うと99%を占めるこの気体は、氷の魔法48番……、ええとどうやって伝えればいいんだ」
ベータが腕を構える。
「実際に披露すればいいのでは?」
「ああ、そうだな、アヌシュカ、ベータがこれから使う魔法の模倣を頼む。先に説明をすると、氷の魔法48番を当てると気体は凝集し液体化する。それが解ける前に炎の魔法3番と岩の魔法51番、それから複合魔法3022番を即座に当てることで物体が三つに分離するはずだ。出力の加減も重要だから、かなり難しいと思うが……」
ベータが四つの魔法を実演する。アヌシュカはそれを一目見ただけで模倣した。
「なるほどね……、なかなかマニアックな魔法を知っているのね。どこで学んだの?」
おれたちはレダとニュウに教わった魔法を試行錯誤しながら細分化し発見順に名前を付けているだけだった。実演したことのない、理論上でのみ成立した魔法も存在する。
おれはアヌシュカの質問に、
「良い師がいるのさ。早速頼む」
「分かった。でも、分離した後どうするの。たぶんすぐに消えちゃうよ」
「保存用の容器を考案した。たぶん、うまく機能するはずだ」
アヌシュカは闇を千切り、分離作業に入った。バケツに似た容器を持ったベータがその脇に立って見守る。
おれは周辺の魔物を警戒しつつ、自分でも闇を千切って色々と実験をした。実験すればするほど面白い事実が分かったが、それは魔法全般の実験に共通して言えることだ。まずは闇の成分の最小単位を割り出し、その解析をする。これが闇に対抗する最短ルートだと信じていた。
「スズシロさん」
声がした。アヌシュカやベータではない。おれが第四層の迷宮を見渡すと、ヴァレンティーネの巨体が近づいてくるのが見えた。
「ヴァレンティーネ……。来たのか」
ヴァレンティーネは魔物の返り血を全身に浴びていた。それなのに無臭状態だったので、魔法で何らかの処置をしたのだろう。アヌシュカとベータの作業を遠くに見て、怪訝そうにする。
「いったい、何をやられているので?」
「あの闇を晴らす方法を調べている」
ヴァレンティーネは少し驚いた様子で、じっとアヌシュカのほうを見た。
「対抗魔法の開発、ということですか? アドルノ様やグリゼルディス様がまだこの闇に囚われ、彼らが対抗魔法を実現できていない現状、我々では数年単位でかかる作業だと思いますが……」
「かもしれないが、何もしないというわけにはいかないだろう」
「……ええ。おっしゃる通りです。何か手伝えることはありませんか?」
ヴァレンティーネの協力的な態度に、おれは安堵した。やはり話が分かる女だ。
「ない、が……。周辺の魔物を駆除してくれると助かる」
「分かりました。何名かスズシロさんたちの警護に当たらせます。残りは魔物討伐へ」
グリ派の協力もあり、おれたちは実験に専念することができるようになった。アヌシュカは淡々と実験を繰り返し、手の平サイズの闇を相手に魔法を延々と行使し続けていたが、あるときふと思いついたようで、
「ちょっとベータ、離れて。もっともっと、離れて」
アヌシュカは周囲と十分な距離を取ると、闇を千切った――しかし今回は手のひらサイズではなく、自分よりも大きな塊をごっそりと持ってきた。おれやベータではできない芸当だった。理論上でも不可能だ。どうやっているのか分からない。
「繊細な魔法のコントロールが難しい。なら、大雑把でも構わないくらい、多くを相手どれば良い」
アヌシュカは呟いた。そして氷の魔法を使い闇を凝集させた。そこに三種の魔法をほぼ同時に叩き込む。すると、黒い煙のようなもやの中から、赤い粉と、透明な水滴が、アヌシュカの手の平の上に現れた。
ベータはそれをすぐに保存しようとした。しかし、赤い粉と水滴は容器の中に入れられたが、黒いもやは捕捉できなかった。
「申し訳ございません。せっかく分離できたのに」
アヌシュカは動じる様子なく、
「私は理論屋じゃないから分からないけどさ、あの黒いもやのことならあまり気にしなくてもいいと思う。黒く着色されただけの魔力そのものだよ、あれ」
そう言ってアヌシュカは闇の更なる分離に取り組み始めた。百発百中で分離できるようにしたいらしい。
おれとベータはそれぞれ別の容器に入った粉と水滴を眺めた。
「アヌシュカの言葉を信じて、まずはこの二種の分析を始めるか」
「はい。ですが……、手始めに化学的解析を行ってみたのですが、この赤い粉のほう……」
「なんだ?」
ベータは容器を振って、赤い粉を容器の中で舞わせた。
「何かしらの生物の血液が乾燥したものだと思われます。分離前は化学的な解析が通らなかったのに、ここにきて成分が分かるようになるとは……。魔法物質において特別な役割を担っていたせいだと思いますが、つくづく魔法というのは興味深いですね」
「血……。この魔法を使う際の生贄の血か? 術者自身の血か? あるいは闇に囚われているギルドメンバーや魔物の血か? 突き止めておきたいな」
「個人的には魔王リーゴスの血液成分と照合したいと考えていますが」
おれも同意見だった。術者の血と見たほうが自然だ。
「ほう。なら、地上にいる連中に調達しておいてもらうか。魔王の首がまだ残っていたな?」
「はい。成分の解析をさせてみましょう」
あとは透明な液体の成分を解析すればこの闇の正体について目途がつく。しかしなんということはない、こちらはただの水分だった。特別なことなんて何もない。
つまり、闇の正体は、魔力と、水と、それから何かの血ということになる。ここに魔法の力が加わって、電波や魔法を遮断する闇ができるわけだが……。
おれは闇を晴らす方法について、幾つか案を考えていた。特に、今現在、少しずつ闇が晴れ始めているという点に注目した。闇を少しずつ千切って進むようでは埒が明かない。闇を連鎖的に破壊し蒸発させる、そんな方法があれば理想的だ。
おれとベータは、赤い粉が魔王リーゴスの血だと仮定して検証を開始した。数時間後、グリ派の協力を得て魔王の頭部から血液を入手したアルファが、魔王の血液成分に関する情報を共有してくれた。
「この赤い粉……。闇に含まれているこれは、魔王の血だ。間違いない」
おれはデータを照合して言った。あとはもう試すだけだった。意気込むおれとベータを、アヌシュカが興味深そうに見ていた。




