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抗生物質


 ヒミコはその有り余る能力を用いて、ニュウの用いている言語の解析を行った。しかし異星言語という未知の暗号について、ニュウの言葉だけで完璧に解析するのは不可能だった。少女の村に生き、多くの人々と話して語彙を得て、あわよくば書物や辞書があり、それらの内容を解説してくれるインテリがいれば、翻訳は一気に前進するだろう。


 おれは村と聞いたとき、木造建築がちらほらある程度の風景を想像していた。実際に目の当たりにしたのは、5M級の光沢のある金属質の防壁が取り囲む厳めしい砦だった。村の面積自体は大したことがなかったが、その威容におれは気圧された。


「なるほどな……。この防壁があるんじゃあ、オークどもも正攻法で攻めるのを諦めるわけだ」


 おれは呟いた。ヒミコが足元の土壌を手で掬い上げて、顔を近づけた。


「マスター。オークの臭跡が濃いです。頻繁にこの辺を行き来しているようですね」

「その辺に潜んでいたかもしれないってことか。探知できないか?」

「今は近くにいません。仲間が殺されたことで一時的に撤退したのかもしれません」


 おれとヒミコは村に近づいた。村の防壁には門らしきものが見当たらなかった。どうやって出入りするのだろうと思っていると、ニュウが手を翳し、三人の体がふわりと浮かんだ。

 不可思議な力で体が浮いている。おれは恐怖はなかったが、この力の原動力がどこにあるのか、疑問に思って自分の体を検分した。特定の箇所を持ち上げて浮かんでいるのではなく、全身の重力が緩和したかのような感覚だ。

 ニュウの導きでおれたちは防壁を乗り越えて村の中に入った。村の内部は、防壁の厳めしさとは相反して、木造建築が並び、貧相な畑や、小さな井戸、果実の成る木があるだけだった。人の気配は皆無だ。


「ようこそ、▲▽▼村へ」


 ニュウが言う。固有名詞となると一発目はうまく翻訳できない。次からは適当な名称をヒミコが考えておいてくれるだろう。

 ニュウはおれたちを優しく地面に下ろしてくれた。すぐに気付いたのは、防壁に阻まれているのに、穏やかで爽やかな風が常に吹いていることだった。防壁の外でもさして風は吹いていなかったのに、防壁の内側でこれだけ風を感じるのは不自然だった。何らかの細工がしてあることは間違いなかった。


 ニュウはおれとヒミコをとある家に案内した。風に乗って、強烈な排泄物の臭いが漂ってきた。ヒミコが俺に目配せして、この先は私だけでいいです、と主張してきたが、おれは首を振った。

 家の扉が開かれた。中には女性ばかりが集まって寝かされていた。誰も彼もやつれていて、顔色も悪かった。

 ニュウが思っていた以上に状態が悪化しているらしく、少女の顔が青ざめていた。ニュウが慌てて女性たちに駆け寄ろうとしたが、その中で比較的生気が残っている若い女性が睨んできた。


「どうして戻ってきたニュウ! この病は伝染うつる! さっさと出て行け」

「い、医者を連れて来たよ! お姉ちゃん!」


 姉と呼ばれた女性は一瞬表情が緩んだが、すぐに険しい目つきに戻った。薄緑色のワンピースのような服を着ているが腰回りや太ももの肌を露出し、そこに赤い紋様が刻み込まれているのが見えた。


「医者……? ▼△▼▽の医師団は診察料をふんだくった挙句、よく分からない薬を少しだけ置いて逃げ帰った! どうせ連れてくるなら、あの憎き豚どもを駆逐してくれる戦士団だ! それならカネだって払う、のに」


 おれは女性たちのあばらの浮いた躰や、つやを失った髪などを見て、いよいよ危機的状況だと察した。ヒミコが家の入り口で突っ立ち、俺に視線を送った。おれは頷いた。

 ヒミコはそれを受けて家の中に入った。ニュウの姉と思われる女性が、ヒミコを睨みつける。声を少し出しただけで、彼女は息が上がっていた。


「医者……? あんたがかい? どうも若過ぎるし、それに、気配が妙だ……。あんた、本当に人間かい?」


 まさかこんなに早く見破られるとは思わなかった。しかしヒミコは動じず、


「遠い異国の地からやって参りました。ヒミコと申します。診察料は結構ですから、診てもよろしいでしょうか」

「異国……。確かに少し言葉がたどたどしい。タダってのは本当?」

「はい。口を開けてください」


 ヒミコの有無を言わさぬ態度に、ニュウの姉は気圧されたようだった。ニュウのほうを向くと、少女は頷いてみせた。姉は渋々口を開けた。ヒミコがその中に指を突っ込んで唾液を採取する。

 解析。ヒミコは持っていた抗生物質の経口薬を取り出した。


「これが薬になります。服用して半日もすれば効果が現れるでしょう」


 姉はヒミコを胡散臭そうに見た。


「薬だって……? あんた、医者のくせに魔法を使わないのかい? 全くその気配がなかったけれど」


 おれは魔法という単語に反応した。魔法という技術が生活に根差している世界なのだろう。ヒミコはにっこりと笑んだ。


「異国ではこれが普通です。この地ほど魔法が盛んではありませんので」


 それを聞いた姉はかろうじて納得したようだった。差し出された薬の入った容器をじっと見つめる。


「確かに、▼▽▲ほど魔法が発達した国もそうないだろう。……ところでこれは苦いんだろうね。前の医師団が処方した薬は、頭をがつんと殴られたみたいな衝撃的な苦さだった。それでいて、全く効かなかったけれど」

「大丈夫、調味してあります」


 そうは言っても、彼らの舌がどう感じるのかは分からない。おれは姉が自ら率先して薬を飲むのをじっと見つめていた。

 すると姉の顔がぱっと明るくなった。


「甘い! お、美味しいぞこれ。本当に薬なのか?」

「薬です。たくさん飲まないように。別にたくさん飲んでも死にはしませんが、量に限りがあるので」


 ヒミコはありったけの薬剤を取り出し、人数分の容器に注いだ。それをニュウが飲ませて回った。それから別の家に固まっていた男性患者にも薬剤を飲ませていった。薬を飲ませるだけでかなりの時間が経った。

 気づけば日が暮れかけており、ニュウが村の広場に明かりを灯した。その照明器具が奇妙で、ニュウが手をかざすと真球の光源が穏やかな青色の光を発した。ヒミコが解析すると、電気ではなかった。光そのものがそこにある、という表現が最も適している。とヒミコが教えてくれた。


 一仕事終えて、おれは広場にあった切り株の上に腰かけた。ヒミコが水の入った透明の容器を持って近づいてきたが、別におれへの労いをしに来たわけではないようだ。


「井戸の水を汲んでみました。汚染されています」

「汚染……。オークが水源に毒を放り込んで、この村を潰そうとしたってわけか。浄化は可能か?」


 ヒミコは一瞬思考する素振りを見せた。


「浄水装置が必要ですね。私の体内にある小型の原子プリンターだと材料が足りませんので、こちらで設計して、ベータに連絡して作らせておきます」

「ああ、そうしてくれ。毒成分の特定はできたのか?」

「はい。これは推測ですが、オークたち自らの糞便を水源に投下したのではないでしょうか。オークの死骸を解析した結果も併せると、これが最も可能性が高いです」


 おれはうんざりしながら頷いた。あの豚畜生ども、えげつないことをしやがる。しかしそんなことをするということは、あの豚の亜人も相当知能が高いだろう。これまでの常識から考えると、保護、研究の対象だった。


「うん……。村の人たちは助かりそうか?」

「若い方々はほぼ助かるでしょう。御年輩の方々は体力次第です。症状は発熱、腹痛、下痢が主ですが、それが発展して髄膜炎や敗血症を併発している方もいます。重症者には輸液が必要かもしれません。脱水症状で弱っている方も多いようですので」

「自力で薬を飲むのが難しい人もいたものな。輸液には船で器材を作る必要があるな」

「船のプリンターを使えば数分で用意できます」

「ベータに連絡して、浄水装置と一緒に持ってこさせよう。ここまできたら全員救うぞ。お前は引き続き村人の治療を頼む」


 ヒミコはおれが何か別のことを考えていることを察して、


「……マスターはその間、何をなさるおつもりで?」

「村の人たちと話をしておきたい。書物等があれば、見せてもらえないか交渉する。翻訳の精度が上がれば、やり取りがより円滑になるだろう」

「病気に罹っていない健康な方もちらほらいましたね。感染を恐れて外には出てきませんでしたが」

「ああ。戸越しでも話してくれないか、試してみるよ」


 おれは夜が完全に更ける前に、家々を巡ってそこの住民と話をしようとした。しかしおれのたどたどしい言語が、胡散臭さを倍増させているらしく、まだ治療の結果も出ていないことから、拒絶された。ニュウのような人懐っこい人のほうが希少なようだった。


 おれが全ての家を巡った後、ぶらぶらと広場に戻ってくると、ニュウの姉が腰に手を当てて待っていた。おれは青い光源に照らされて見えた彼女の顔が、生気に満ち溢れていることに気づいた。


「ニュウの姉さん。元気そうだな」

「レダ。私はレダだ」


 ヒミコが既に名付けていたらしい。おれは頷いた。


「レダ。良い名前だ」

「どうも。あの薬を飲んだら嘘みたいに体調が良くなった。食欲なんてまるでなかったのに、今では腹が空いて仕方ない。私の他にも、良くなった者も多い。あんたたちは、我々の命の恩人だ。いったい、どうやって恩を返せたら……」


 翻訳の限界か、レダの言葉は少しだけたどたどしく聞こえてくる。おれはレダの様子をじっと観察した。

 レダは妹によく似た栗色の髪をしていた。年齢は地球人で言うところの17歳前後に見える。すらりとした肢体に、ニュウと比べると浅黒い肌。落ち着きのある振る舞いは知性を感じさせるとともに、赤みがかった金色の瞳には聡明さと強い意思が宿っているように思われる。地球人の感性からすると無比なる美人であり、まるで彫刻のようだ。

 おれはこのときの彼女の表情から深い感謝の念を感じた。


「恩を返すなんて考えなくていい。でも、そうだな、どうしても気が済まないっていうなら、話を聞かせてくれないか」

「話?」

「おれはきみたちの文化風俗に興味がある。書物があれば見せて欲しい。辞書や百科事典があるなら、最高なんだが」


 レダは顎に手を当てて考えた。その様子は地球人と何も変わりがないように思える。豚の亜人より村の人々に愛着が湧いてしまうのも仕方ないと思えた。


「辞書……。は分からないけれど、書物なら村長の家にあるかもしれない。▽▼▽の商人から、色々珍しいものを買い込んでいるから」

「そうか。それを見せてくれたら本当にありがたい」

「分かった。村長が回復したら、話してみるね。今は、危ない状態だから」

「それでいい。まずはきみから話を聞きたい」


 おれはそう言って、地べたに腰を下ろした。そしてレダと話し始めた。彼女の知識には限界があり、翻訳不可能の部分も多くあったので、知りたいことの全てを知れたわけではないが、かなり有意義な時間となった。夜が更け、夜明けが近づくにつれ、病気を克服した村人がちらほら出始めた。

 おれはそれを見てほっと安堵した。地球人と似た方法で治療が可能なのは幸運だった。万能なるヒミコが薬を処方したとはいえ、それが毒として作用したらどうしようかという不安がうっすらとあった。


「ありがとう、スズシロ。本当に、ありがとう」


 レダがおれの肩に頭をくっつけて、何度も礼を言った。彼女は泣いていた。おれは自身の袖が彼女の涙で湿ったのを感じ取って、されるがままになっていた。やがて恥じらうように、レダは体を引いた。そして少し腫らしたまぶたをごまかすかのようにくしゃくしゃの笑顔を見せると、どんな話が聞きたい、さあさあもっと言ってごらんと声を張り上げた。


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