魔王討伐戦
魔物の増援が尽きることがない。ダンジョンの入り口付近にグリ派、モル派の混合軍が集中的に魔法を撃ち、その死骸を積み上げているが、その山を崩し、乗り越える魔物が後を絶たない。
魔物たちは強力に統率されている。それぞれが決まった方向に進軍し、自らの生命の危機を全く意に介さず、ギルドメンバーに襲い掛かる。
空を飛べる魔物が何匹か、ギルドの包囲網を破った。魔法が頭上に飛ぶが命中しない。
「私が行きます」
銀髪の女戦士ヴァレンティーネが跳躍した。大剣を軽々と振り回す彼女の巨躯は、魔法の力で一瞬だけ浮き上がった。空へ飛び立とうとする魔物の骨張った躰を切り裂き、地に叩き落とした。
それを満足げに見届けたツィスカが、部下に指示を下す。
「他にも我々の囲いを抜けた魔物がいます! それぞれ追撃してください!」
そう言うツィスカは次々現れる魔物をダンジョンの中に押しとどめようと、双剣を振るった。彼女の刃はいとも容易く魔物を切り裂き、不思議なことに魔物の体は血しぶきをほとんど上げることなく、静かに横たわった。
相変わらず、魔王リーゴスと対峙しているのはリヒャルトのみだった。リヒャルトは魔王と打ち合うたびに移動を図り、戦場を少しずつダンジョンから離そうと画策していた。それに魔王のほうも乗っかる形になった。
「魔王リーゴス……。魔力に溢れたダンジョンとは違い、地上は魔力が薄いでしょう。自慢の魔法も、そう連発できないようですね」
リヒャルトの言葉に魔王リーゴスは応えない。静かに火球を生み出して投げつけてくるがリヒャルトにとっては問題ではない。戦槍を振り回し、斬った。派手に動いても体勢が全く乱れないリヒャルトに隙はなかった。その鋭い眼光は常に魔王を捉え、不審な動きがないか観察を続けている。
リヒャルトの勝勢……。しかし魔王リーゴスは微塵も焦る様子はない。リヒャルトの突きが、度々魔王の体を傷つけ、赤黒い体液で地面を汚すが、傷はすぐに塞がった。その再生力は流石だが、リヒャルトはまだ無傷だ。消耗は全くない。魔王の再生力がいつまでもつか……。
リヒャルトが慎重に魔王をダンジョンから引き離し、そして傷を負わせていく。ギルドメンバーは他の魔物の相手をしつつも、遠くで魔王と善戦するリヒャルトをちらちらと見ていた。
ここで魔王リーゴスは、突然、空を飛んだ。ふわりと垂直に体が浮き上がったので、ちょうど距離を空けようと後退しかけていたリヒャルトは反応が一拍遅れた。
「待て!」
リヒャルトは駆けた。魔王は炎と氷の複合魔法を撃ち、リヒャルトは足を止めて戦槍でそれを弾き飛ばさなければならなかった。魔王リーゴスはぐんぐん飛翔する。
「私が行きます!」
ヴァレンティーネが走る。跳躍し、空中に階段があるかの如く空気を蹴ってぐんぐん魔王リーゴスを追う。
空中のリーゴスは全く動じることなく、ヴァレンティーネにも炎と氷の魔法を大量にばらまいた。
ヴァレンティーネは大剣を振り回して弾こうとしたが、リヒャルトの武器と違って魔法に対する攻撃力を持たないせいか、彼女の躰は大きく仰け反った。
「ヴァレンティーネさん!」
リヒャルトの戦槍が空中を疾走する。リヒャルトが投擲した戦槍が魔法の大半を弾き、ヴァレンティーネから魔王への道を切り開いた。ヴァレンティーネは空中歩行の魔法を練り直し、一気に魔王へと近づいた。
魔王が氷の剣を突き出す。そこにヴァレンティーネの大剣が合わさった。
一瞬、拮抗する。
そして武器が砕けた――ヴァレンティーネの大剣、そして魔王リーゴスの氷の剣、双方が破壊されてしまった。
魔王リーゴスの体勢が初めて崩れた。そこにヴァレンティーネは勝機を見出したようだ。魔法で大剣を創成すると、素早く斬りかかった。魔王リーゴスはヴァレンティーネのこの動きを想定していなかったらしく、肩口からざっくりと深手を負った。今までで一番の負傷だった。
たまらず炎の錫杖を掲げ、炎の魔法を撃とうしたが、なんと不発に終わった。これには魔王リーゴスも参ったらしく、自由落下に近い形で地上へと避難した。
下にはツィスカが待っていた。双剣を構えている。
「さすがに斬首したら死にますよね? 魔王さん」
魔王リーゴスは着地地点を変えることができない。その余裕がない。待ち構えるツィスカを見て炎の錫杖を構え、空中から咆哮を上げた。魔王リーゴスが初めて声を発した瞬間だった。それは獣の声そのものだった。
ツィスカの双剣が炎の錫杖とぶつかる。今度は錫杖のほうが砕けた。衝撃でリーゴスは吹っ飛び、地面を転がった。そこに殺到したのは他のグリ派の戦士たちだった。気合いの声を上げて武器を突き入れる。
「下がれ!」
そう叫んだのはリヒャルトだった。魔王リーゴスは再び咆哮を上げ、威嚇した。炎でも氷でもない、闇の魔法が発動する。リヒャルトは魔王に接近しようとして、脚を止めた。闇の魔法に対する対抗手段が乏しいのかもしれない。
一瞬、戦場に嫌な緊張感が走った。これから惨劇が起きるかもしれない、という予感。しかし魔王リーゴスは、練り上げた球形の闇の魔法を、リヒャルトのほうには撃たなかった。
ヴァレンティーネでも、ツィスカでも、他のギルドメンバーでもない。ダンジョンから出てこようとする魔物たちのほうに闇の魔法を投げた。
闇の魔法は魔物たちをぐんぐん引き寄せた。バリバリという骨と肉が軋む音と共に、魔物たちを吸い込んでいく。闇の球形魔法はみるみる膨らみながら進み、ダンジョンの入り口のところで止まった。
生きている魔物、魔物の死骸、関係なく闇が吸い込んでいく。そしてそれは、完全にダンジョンの入り口を塞いでしまった。
「なんだこれは……」
リヒャルトが呟く。ダンジョンの前に鎮座する闇の塊は、朝の時間帯ということもあって、よりその不気味な輪郭を際立たせていた。朝の光を浴びてきらめく大地のすぐ傍に、完全なる闇を湛えた球が横たわっている。
そんな闇の塊を、魔王リーゴスは満足げに眺めた。もう自分の身などどうなってもいいという態度だった。
地面に倒れた魔王リーゴスは全身を切り刻まれていた。ギルドメンバーたちの攻撃でずたぼろになっている。もう再生する力も残っていないようだった。つまり、この闇の魔法がこの魔王の最後の力だったということになる。
魔王リーゴスの近くに立ったのは、リヒャルト、ヴァレンティーネ、ツィスカの三人だった。彼らは一瞬視線を交わすと、代表してツィスカが魔王の首に武器を当てた。
双剣が魔王の首を刈り取る。魔王リーゴスは呆気なく死亡した。体が黒い粒子に変化して消滅したが、その頭部だけはそのまま残った。
「魔王討伐! 魔王討伐! 魔王リーゴスを討ったぞ!」
誰かが叫んだ。ギルドメンバーたちが雄たけびを上げる。しかしリヒャルトは険しい顔のままだった。
「まだ多くの魔物が残っている! 一匹残らず討つまで私たちの戦いは終わりではないぞ!」
ギルドメンバーは気合を入れ直し、魔物たちの駆除に動いた。
おれは戦いの行方を見守っていた。随分遠くまで逃げた魔物も何体かいるが、ギルドメンバーはそれをきちんと捕捉しているようだった。間もなく全て討伐されるだろう。
「完勝でしたね。終わってみれば、盤石な運びでした」
アルファがそう評する。おれは頷いた。
「ああ。どうやら慌てて引っ越しをせずとも済みそうだ。魔王リーゴスの討伐……。大したもんだ」
おれはひとまず安堵した。しかしダンジョンの入り口に置かれた闇魔法は、術者である魔王が死んでも、まだ残っている。完全に入り口を塞いでいるのは、ダンジョンの中に残っている人間だけでも殺してやるという魔王の意地だろうか? しかし周囲を掘り進めば、あの闇魔法を避けてダンジョンの出入りはできそうではある。いざとなったら、おれたちが勝手に掘り進めた、別の入り口もある。
魔王を倒した……。結構なことだ。しかし、まだグリゼルディスたちはダンジョンの中だし、魔王に寝返ったカスパルたちの行方も知れない。まだ何も終わっていない。おれは胸のざわめきを抑えられなかった。
ギルドメンバーは逃げていった魔物を追って散り散りになっていく。おれはプローブで全ての魔物の行方を把握していたので、問題なく討伐が行われるか、見届けることにした。
ふと、一人の小柄な戦士に目がいった。兜や鎧で完全武装している。それは魔物を緩慢な動きで追っていた。他のメンバーからどんどん離れていく。逃げる魔物は一対一であることに気づいたか、足を止めて戦士と戦う姿勢を取った。ヒミコがゴブリンと命名した、亜人型の魔物だった。
次の瞬間、魔物の頭部が弾け飛んでいた。
戦士が魔物の頭をかじる。首から噴き出す血を浴びる。短剣で肉を削ぎ落とし、それを口に入れてゆっくりと咀嚼している。
激しい食事で、頭巾がずれた。そこにいるのはカスパルだった。どさくさに紛れてダンジョンから脱し、ギルドメンバーの中に紛れていたのか。全く気付かなかった。もしかすると偽装に関する魔法か何かを使用していたのかもしれない。
だが、おれはカスパルが逃げ出したことそのものより、もっと気になることがあった。彼の眼である。
血に飢えている。彼はギルド相手に殺戮を繰り返す。そう確信させるほどの殺意が、彼の眼――いや全身から噴き出していた。
「ヒミコ……、まだ終わりじゃないぞ……。まだ何かが起きる」
おれは呟いた。このカスパルという男、もしかすると魔王よりも厄介なことをしでかすかもしれない。おれはカスパルが魔物を貪る様子から目を離せなかった。