蛮勇
プローブと小型盗聴機は常に稼働している。ダンジョンから少し離れた位置にバカでかい天幕を張り、モル派の中でも若く美しい女性を選別し身の回りの世話をさせているのは、モル派頭領のモルその人だった。モルの側近八名の女性は、数時間ごとに新しい衣装に着替え、ひたすら退屈そうに待機しているモルを楽しませようと必死だった。
新しい衣装は魔法で作るらしく、そのバリエーションは無限だった。しかしモルは魔法の達人であるためか、お粗末な衣料魔法には苦言を呈し、それを指摘するたびに不機嫌になった。
「ロートラウトはまだ報告の一つも寄越さないのか」
モルは側近に当たり散らかす。側近は優雅な仕草で首肯し、モルの機嫌をこれ以上損ねないように繕った。モルは側近たちの衣装に批判的な目を向け、舌打ちした。
「ふん。それにしても退屈な女たちだ。ロートラウトを我が側近に呼び戻そうか。あの女、指揮官としてはベルギウスには及ばないが、側近だった頃、私を退屈させることはけしてなかった……」
モルの険しい顔は、間もなく更に歪むことになる。ダンジョン入り口付近で警戒しているモル派ギルドメンバーから一報が入ったのだ。魔法による意思疎通で側近の一人が情報を受け取り、動揺を隠せないまま報告に上がった。
「も、モル様。ロートラウト様から一報が」
「おお! ついに来たか。魔王の首は持ち帰れそうか?」
「ダンジョンの第17層にて魔王と接敵。現在敗走中。帰還魔法の準備及び援軍を求む……」
モルは一瞬、聞き間違いかと思ったらしく、首を捻った。そして報告しに来た側近の顎を掴む。
「――第17層? いったい何を言っている? 寝ぼけてるのか? そんな明らかな誤情報を私に寄越すなんてどうかしているだろうが。つい先日、第5層への道が開かれたばかりなのだぞ。それを17層だと?」
「そ、それが、魔法での交信に応じた隊員によると、少なくとも第1層や第2層から放たれたものではないと……」
モルは顎から手を離し、そして自身の額を叩いて考える素振りをみせた。
「……ロートラウトは他に何か言ってなかったか?」
「“声”が断片的に届いているものの、判読不可能でして……」
「ふん。もういい。私が行く。準備をせよ」
「はっ!」
モルがダンジョン入り口に向かう。おれはプローブのカメラと盗聴機械からもたらされた情報を興味深く調べていた。ダンジョン入り口付近では、数多くの負傷者と共にベータの姿がある。
ベータの帰還を皮切りに、モル派の戦士たちが続々と地上に姿を現した。いずれも大小様々な負傷を抱えている。無傷の人間が一人もいないところに、ダンジョン内で激戦があったことを示唆していると思われたが、ほとんどの戦士が魔王どころか魔物と遭遇すらしていないという。
魔王リーゴスの仕業なのか――ダンジョンに入ってすぐ、モル派の戦士たちは現在位置を把握できなかった。元々暗闇に包まれていたダンジョン内だったが、照明器具や光魔法がなぜか全く効力を失い、完全なる闇に沈んだという。慌てて引き返そうとしたものの、もと来た道を辿ることさえ困難で、しかもなぜか気づいたらダンジョンの奥へ奥へと進んでしまっていたという。
あれほど大量に湧いていた魔物が姿を消し、彼らはひたすら闇の中を進んだ。仲間同士で体がぶつかり、狂乱して傷つけ合う事態が頻発した。絶望の淵に立った彼らを救ったのは、他ならない、ベータだったという。
ベータが、光を失った部隊にもたらしたのは、風だった。ダンジョンの出口に対し風が吹き、風を頼りに一行は脱出を果たした。モル派の戦士たちは口々にベータに感謝の弁を述べた。彼女がいなければ全滅していた、と。
《マスター、帰還が遅れまして申し訳ございません》
ベータはグリ派が用意したスペースに寝かされながら、おれと通信を交わした。
「中は大変だったそうだな。途中まで通信できていたのに、あるときを境にぷつりと切れてしまったが……。もしかしてその闇とやらが発生したときか?」
《ええ。中継器は生きていたのですが、電波が通らなくなりました。ですからレーダーも効きませんし……。ただ、地形は完璧に記憶していましたから、私だけならすぐに脱出可能でした。モル派の方々が続々と入ってきて、帰ろうとしているのにどんどんダンジョンの奥へ進んでいくので、なんとか誘導できないものかと、尽力したのですが……》
ベータは少し悔しそうだった。きっと救えなかった命のことを考えているのだろう。
「おまえはよくやったよ。で、魔王とは遭遇したのか?」
《はい。グリゼルディスとイングベルトが第五層への封印を破壊したとき、魔王リーゴスが現れ……。ギルドの戦士を瞬く間に殺し、近づいてきたので、銃火器で応戦したのですが、全く効き目がありませんでした。その後、魔王から逃れる為に散り散りになって――アドルノとグリゼルディスが時間稼ぎをしてくれなければ、全滅もあり得ました。その後、アドルノは魔族の子どもたちを回収しに向かったので、魔王に追いつかれ、負傷した形です。私もアドルノと同行したのですが力になれませんでした。闇が訪れたのは、アドルノがグリ派の部隊に回収された後ですね》
「そのタイミングでお前も帰還できなかったのか?」
ベータは力なく首を振った。
《魔族の裏切りもあり、アドルノが負傷したので、他のギルドメンバーをカバーできるのがグリゼルディスだけになってしまいました。私もその協力をしていて、逃げる機会を失ったという次第で》
「なるほどな……。それで、どうだ、実際に対峙してみて、魔王リーゴスは倒せそうか?」
《銃火器が通じなかったので、なんとも……。もし討伐に参加するのであれば、もう少し破壊力を増した武器を実装すべきかと》
「分かった。アルファが資材を持ってそちらに向かっている。修復しながらでも帰ってきてくれ」
《はい》
モル派の戦士の半数が帰還した。しかし、ロートラウト隊は丸々未帰還であったし、クレメンスと、彼を探しに向かったベルギウス隊も姿を見せていなかった。
そして、一報を受け取ったモル派頭領のモルが馬車に乗って到着した。八人の側近が散らかっていたダンジョン前を清掃する。土埃が治まったころ、モルが馬車から下りて来た。
「モル様!」
「モル様!」
「モル様ぁー!」
モル派の戦士たちが、負傷者も含めて、歓喜の声を上げる。モルは片手を上げた。
「静まれ。ロートラウトからの報せを受け取った者は誰だ」
モルの声に、一同は静まり返り、その静寂の中、一人の男がびくびくしながら現れた。。
「はっ。わたくしでございます」
「頭を差し出せ」
男が頭を垂れる。モルはそんな彼の頭に手をかざした。黒いもやのようなものが現れ、男の頭部全体を包み込んだ。
「うむ。もういいぞ」
モルが声を上げると、男はもやを振り払い、そしてぼんやりと集団の中に戻っていった。表情がうつろだった。遠巻きにしていた誰かが、小さな声でぼやいた。
「モルの野郎の記憶魔法だ……。直近の記憶を丸ごと抜き取ったんだ」
そんなことが可能なのかとおれは驚いた。モルは何かを吟味する顔で空を睨んでいたが、やがて頷いた。
「ふむ。部下が聞き取れなかった断片的な声。私ならば解析できると思っていたがその通りだったな。我が白き薔薇ロートラウトは確かに第17層に迷い込んでいるようだ。魔王が浅層での戦いを避け、自分の領域で我々を叩き潰そうとしているということだろう」
一同にどよめきが起こった。モルはしかし余裕たっぷりの表情だった。
「しかし裏を返せば、魔王リーゴスは真っ向からの勝負を避けたということ。我々モル派の戦力を見て勝機が少ないと判断したということだ。適切に部隊を展開し、主力をぶつけることができれば、我々は魔王討伐の称号獲得と共に、このダンジョンの完全攻略を果たすことになるだろう」
おお、おお、おお、とモル派の戦士たちが野太い声を上げた。モルは高らかに宣言した。
「ロートラウト隊の救出に向かう! 私と共に魔王討伐の誉れにあずかるのは誰だ! 魔王リーゴス、恐るるに足らず!」
モルはろくに部隊の編成も行わないまま、その場にいた戦士を連れて、ダンジョンの中に入っていった。さすがに負傷者たちは再入場を見送ったが、彼らはロートラウトの帰還魔法に備えて、怪我を押してその準備に回った。
おれはその様子をプローブを通して見ていた。モルは完全に魔王を倒せると思っているようだ。
「魔法の実力はあるようだが……。英雄か、とんだ蛮勇か、どちらだろうな」
ここでグリ派のリヒャルトやツィスカ、ヴァレンティーネたちは、モル隊と共に行くべきか協議していた。しかしダンジョン内で蔓延する闇の正体が掴めないうえ、魔物をろくに駆逐できていない状況で第17層まで行くのは、かなり厳しいという見方が支配的だった。結局、ここでもグリ派とモル派は戦力の結集ができない形になった。
アドルノの姿はどこにもなかった。彼が探査船を出ていったのは数日前。プローブが見ていない隙にダンジョンに潜ったのだろうか。普通なら数か月身動きできない重傷を負ったのに、もうダンジョンに出戻りとは、とんでもないバイタリティだ。
おれはベータが記録していたダンジョン内の記録映像を確認した。魔王リーゴスの姿も撮影している。獅子の頭をしたリーゴスが、炎の錫杖を掲げて炎の渦を繰り出してくる。そこにベータが銃を撃ち、リーゴスの体を傷つけるも、瞬く間に再生した。
銃は通用しそうだ。あとは破壊力を増した大口径の武器を用意すれば……。おれは魔王が地上まで出て来たことを考えて、より威力の高い武器の製造を指示した。使わないに越したことはないが、もしこの一帯が魔物で溢れかえるような事態になるようなら、対処しなければならないだろう。
あるいは、魔法兵器を開発できれば……。ただ、さすがに日数が足りないだろう。ベータが帰還した今、おれはもうダンジョンの外でギルドの仕事ぶりを見守ることしかできなかった。もし出張ることがあるとするなら、それはギルドが壊滅したときだけだ。