再現
ヒミコの頭脳とでも言うべきメインコンピュータは探査船にある。量子コンピュータとノイマン型コンピュータの複合体であるそれは、圧倒的な計算能力を持つ。二種類のコンピュータはそれぞれの得意分野が異なるので、量子コンピュータの領域はメインコンピュータでしか使えず、化学シミュレーションなどを行う際、ヒミコはメインコンピュータに計算を委託する。
三人のアンドロイド、アルファ、ベータ、ガンマは、それぞれ独自のコンピュータを持つ。面倒な計算はメインコンピュータの助けを求めるが、大体は自前の演算能力を使って計算する。コミュニケーションにおけるラグはときに致命的なエラーに繋がるので、言語能力のフィードバックをメインコンピュータを介して積極的に行いつつも、計算はそれぞれのコンピュータに任せている。
おれの作ったあべこべな計算機が、ガンマの言語野や計算能力に影響を及ぼしてしまった。椅子から立つのにも一苦労で、おれの目の前でふらつき、アルファが支えてやらなくてはいけなかった。
「もういい、ヒミコ、計算機の接続を外せ」
聖印を宿したガンマは、ゆっくりと首を振った。
「いーや。もしかすると聖印としてのチカラを失うかも? 接続を外すのは実験をたんまりやってからだよ!」
いつもと口調がおかしいヒミコにおれは少なからず困惑し、しかし面白いと思う自分がいるのも事実で、つい笑ってしまった。
ちょうどそのとき外に出ていたレダが探査船に入ってきて、集まっているおれたちに気づいた。
「ニュウ、どうしたの? 随分楽しそうじゃない」
「ヒミコが、ニュウみたいな話し方になっちゃった!」
ニュウは嬉しそうに飛び跳ねていた。レダが怪訝そうに部屋の中を見渡し、聖印化しているヒミコを見つけると、しばらく唖然として何も言えなかった。
おれは再び椅子に腰かけたヒミコの肩に触れ、
「そういうことなら、さっさと実験を重ねるか。聖印を介して、おれ自身が魔法を使えるかもしれない」
とはいえ、最も重要な部分はニュウが代わりにやってくれた形だ。おれだけで聖印を造れたわけではない。かなりの試行錯誤を必要とするだろう。おれは覚悟していた。
だが、予想に反し、おれは急速に魔法についての理解が深まっていった。
見えるのである。魔力が。
それは空気の中に浮かぶ大小さまざまな粒だった。色は暖色系だが千変万化に変化する。大きさを測定することはできない。なぜなら凝視しようとすると空気の中に溶け、じんわりと空間を歪ませ、波となってまた別の粒へと変化するからである。
問題なのは、おれが観測しようとすると変化する点で、魔力が本当にこういう形になっているわけではないということだ。見える、とは言えないのかもしれない。見える気がする、と言ったほうが正しいのか。
「ニュウ、レダ、軽く魔法を使ってみてくれないか」
おれが要望すると、二人の少女は互いに光の弾を創造し、それでキャッチボールを始めた。
おれは少女二人の周辺に魔力が集まってくるのを目撃した。特に手と、頭に魔力が多く集まった気がする。
ヒミコが魔法を発動する際の少女たちの様子を詳細にモニターしていた。それにおれが目撃した魔力の分布を併せると、脳活動の高低と魔力の多寡が見事に一致していた。
「おれが魔法を使うには、イフィリオス人の脳味噌が必要だ。単に魔法理論を学んだり、行動を真似るだけでは無理な気がする……」
だが、聖印を介することで、魔力を見ることまでは達成できた。魔法を使える可能性がなくなったわけではない。おれは試行錯誤を重ねた。
レダは魔法に関することを話してはくれなかったが、魔法を見せることには協力的だった。特に禁じられている行為ではないのだろう。二人の少女は聖印となったヒミコに興味津々で、ふらつく彼女を連れ回したがった。口調がかなりフレンドリーになったヒミコに、レダたちは親近感を抱いたようだった。
更に数日が経った。ダンジョンでの様子はプローブが監視しているが、特に大きな動きはなかった。グリ派、モル派の増援がやってきたりしたが、アドルノ派の増援はなかった。それが少し気になったが、今のおれは魔法の解明に執心だった。
「ますたぁ、魔力は脳味噌を酷使するっていうよ? 休みながらしよ、ね?」
と、ヒミコが言う。そんな彼女をアルファは半ば呆れたように見ていた。おれは見た目だけは大人の女性のヒミコを見ながら、
「口調と容姿が合っていないな。もっと幼い躰にしたほうがいいんじゃないか?」
「ますたぁの提案には乗れないよ。レダやニュウがどう思うか、分からないもん」
「じゃあ、ここから旅に出るとき、新しい体を造ろう。いつまでここを拠点に動くか分からないからな」
おれは聖印であるヒミコと手をつないだ。二人とも椅子に腰かけた状態で、傍から見たらまるで恋人だった。聖印と触れあっていたほうが魔法を使えるようになる、気がする。おれはニュウやレダから得られた神経データを基に、魔法を使えるように念じていた。平行して魔法を使えるアンドロイドの開発にも手を尽くしているが、なかなか次のステップに進むことができなかった。
もっと時間をかけないと無理なのか。魔力の濃いダンジョンで実験をしてみようか。そんなことを真面目に検討し始めた頃、突然、探査船内の魔力が集約した。
異常な兆候に、おれだけではなくニュウとレダも思わずそちらの方向に目をやった。
そして結集する。光の小さな球が、卓上にぽつんと浮かび上がった。
先日レダが「最も簡単な魔法」と言って披露してくれた光の魔法。それが今、目の前に再現されていた。
ただしそれを発動したのはおれではない。
ヒミコだった。
聖印の証を額に宿したヒミコが、特に前触れもなく、魔法を使ってみせたのである。
「なっ……、お前」
おれは驚きのあまり立ち上がった。アルファも詰め寄ってくる。当のヒミコは、椅子に腰かけたまま落ち着いていた。
「あれ、魔法使えた。ますたぁ、凄いねこれ」
「お、おい、どうしてそんな他人事なんだ」
「だって、これをやったのはますたぁだから。あたしじゃないよ?」
しかしどう見ても魔法を発動したのはヒミコだ。おれは念じていただけ。
おれは同じことを繰り返そうと念じた。しかし無理だった。
「おいヒミコ! 魔法を使ったときの状態を再現しろ!」
「してるよ、やだなあますたぁ、問題があるとしたらますたぁのほうでは?」
「お前……、言うようになったな。いいだろう」
おれはヒミコと手を繋いだ。そして何度も念じる。五回に一回くらいの頻度で、ヒミコの手から魔法が発動する。驚異的なことだったが、なぜ安定して撃てないのかと疑問だった。そして、なぜヒミコを介してしか撃てないのかと考えた。
そもそも普通の魔法使いは、聖印がなくとも魔法を使える。聖印はあくまでダンジョン内の濃い魔力を無毒化するためのものだ。おれも本来なら聖印なしで魔法を使えなくてはならない。
いやそうではない。おれとイフィリオス人の脳の構造は違う。おれが魔法を使うことは難しい。そうだ、聖印となったヒミコの不完全な計算能力――それがおれの意思と合わさって偶然魔法の発動条件を満たしているのではないか? つまりおれの意思が、あべこべな計算機でいかれてしまったヒミコを通して、魔法の呼び水になっている。
「見えてきた……。少々ぞっとするような発想だが」
おれは試作アンドロイドたちに、聖印化したヒミコとリンクするように指示した。アルファが回線を繋いで、探査船の奥、ニュウたちの目の届かないところでひしめき合っているアンドロイドたちに魔法を使うように命令した。試作アンドロイドたちには、ニュウやレダが魔法を使う際の脳活動をそっくりそのまま模倣する能力を付与している。
試作アンドロイドたちは、ヒミコの演算能力を借りた。自前のコンピュータで問題なく稼働できるところを、魔法を使うときだけ、ヒミコに計算を委ねたのだ。結果、彼らの挙動はおかしくなり、探査船の奥で物音がした。
しかし、半数近くのアンドロイドたちが魔法を発動した。小さな光球。それは驚くべきことだった。
「お、おいアルファ。間違いなく今、魔法を使うことに成功したよな」
「ええ」
アルファは頷いた。
「驚きました。試行回数を稼ぐ為に、条件を変えたアンドロイドを五十体ほど製造して配置していましたが、内20体ほどが魔法を発動させました」
「詳しく詰めるぞ……。それから、レダとニュウにもっと様々な魔法を使ってもらう! 見て盗むぶんには構わないらしいからな!」
雷魔法。剣を生み出す魔法。風魔法。氷魔法。炎魔法。岩魔法。レダとニュウは惜しげもなくそれらを披露した。アンドロイドたちはそれを黙々と再現してみせた。地下に拡張していた探査船の保管庫で、アンドロイドたちはしっちゃかめっちゃかになっていた。もっと保管場所を広くしていかないと実験どころではない。おれは想像以上にスムーズに魔法技術をモノにできたことに喜びを禁じ得なかった。
魔法を使うことができたなら、ここからもっと飛躍的に魔法を理解できるようになる。眠気など吹っ飛んで徹夜で実験と検証を続けていった。もうすぐそこだ。この世界の最大の謎、魔法を掌握するのは時間の問題だ。
そういうわけで、おれはダンジョン前に配置していたプローブが異常を検知しても、危うくスルーしかけた。
ダンジョンから出て来たのは、ヒミコ――ベータだった。全身ずたぼろだったが、なんとか人間に擬態できている。そんな彼女をギルドの人間が出迎え、介抱していた。
「マスター」
「アルファ、迎えに行ってやれ」
「了解です」
アルファが探査船を出て行く。おれは山のように積み重なった魔法のデータを前に満足していたが、ベータの様子からして、いよいよダンジョンで事が動きそうだと予感していた。無事にロートラウト隊は魔王を討伐できたのか、それとも……。




