手を繋ぐ
そもそも最初から違和感があった。魔法を自在に扱う人間たち。そんな彼らも魔力は毒だという。その毒を克服することは、魔法使いならばできるとレダは言った。つまり科学の分野ではない方法で、魔力は無毒化できる。
その一方で、聖印は単なる道具だ。レダが試行錯誤して作れてしまう程度には簡単なもの。解析してもそれ単体では働きがよく分からないが、全く理解不能なものではない。いわば科学と魔法の中間的な産物。
魔法は不完全性がキーワードとなる。今となってはなんとなく理解できる。ヴァレンティーネの聖印が時計だったとき、その不完全性をもたらすのがあの奇妙な部品だった。レダの髪飾りや、ニュウの花の胸飾りにも、その不完全性を付与する何かがあったはずだ。
もちろん、それは何らかの規則に則ったものに違いない。デタラメな作り方では成立しない。
魔法素子。そうおれたちが名付けた何かは、決まった形を持たない不完全で抽象的な“属性”そのものだった。その属性をこの世界の見えざる力が感知し不思議な動力を与える。おれたちは魔法をそのように理解した。
「おそらく、今後何か素材を試すたびに、それに適した魔法素子がどのような形になるのか、試行錯誤が必要になると思います」
ヒミコはアンドロイド製造と解体を繰り返しながら言う。
「一度データが揃ってしまえば、魔法素材の量産が可能になるでしょう。ただし強度や耐久性などには期待できないと思ってください。魔法素材にそういった要素を求めるには、長年に渡る研究が必要になるかと」
「贅沢は言えないさ」
おれたちはレダとニュウの聖印造りについて、再度検証した。二人はここで聖印を造った。もちろんアルファはその映像記録を抜かりなく残していた。しかし、二人が実際にどのようにして聖印を造ったかどうかを知る為には、映像だけでは不十分だった。
魔法は、人間の意思のようなものがトリガーになって発動する。アドルノの神経情報をモニターした結果、そのような結論が出ていた。聖印作りにも彼女らの意思が関わっているはずだった。二人から話を聞くことが必要だった。
「だから、魔法に関しては話せないって」
レダは不機嫌だった。そして不思議そうに、探査船のいたるところに置かれている金属の塊を見る。
「いったい、何を熱心に造っているの?」
「それを言ったら、おれたちにも色々と教えてくれるか?」
「えー、駄目だけど。でも、もしかして、今回のダンジョンに関係することなの? ヒミコさんのお姉さんが、まだダンジョンにいるんでしょ。スズシロは大丈夫って言うけど、やっぱりまずい状況なのかしら」
ヒミコのベータがまだダンジョンにいる。おれは心配しないようにレダたちに言っていたが、やはり心のどこかで気になっていたようだ。
「それは本当に大丈夫だ。なんなら今すぐここに呼び出せるくらい大丈夫」
また新しいヒミコを造れば、ベータに似た個体をここに持ってくることは可能。しかしおれの言葉に、ガンマが肘でつついてきて諫めた。
レダは不審そうにおれを見る。
「そう。ならいいけど。あんまりあなたたち、連れのことを心配してないわよね。ちょっと薄情なんじゃない?」
「おれたちにはおれたちのルールがある。気にするな」
「ふうん。で、話は戻るけど、聖印について知ったところで、スズシロたちには何にもならないと思うけど」
レダの試すような視線。おれはそれを正面から受け止めた。
「そんなことはない。しかしそう思うのなら、教えてくれてもいいじゃないか。皇都外でなら法律違反じゃないと聞いたぞ」
「でも、魔法に関することは話しちゃ駄目って……」
「マジメだな、レダは。じゃあこれだけ教えてくれ。アドルノから聖印作りのアドバイスを貰ってたよな。あれはなんて言われてたんだ?」
レダはびくりと反応した。そして腕を組んで首を振る。
「それは……。言ってもしょうがないと思うな」
「言っても構わない内容なら、是非教えてもらいたい」
「うん……。精神論的なことよ。この髪飾りの思い出を、頭に思い浮かべながら意思を込めろって」
おれは意表を突かれた思いだった。そういえば聖印は、その人間の思い入れのある物品であることが求められていた。魔法的に意味のあることだったのか。
もちろん、科学的なアプローチでは、思い入れなんてもの、扱いようがない。だが、それこそが科学と魔法を繋ぐ聖印という物体の肝ということなのだろうか。
思い入れ……。おれはレダの言葉について深く考えこんでしまった。レダとニュウを解放する。ヒミコがあれこれ試行錯誤しながらアンドロイドを製造しては、うまくいかないのを嘆いている。そんな彼女の姿を見ながら、おれはひたすら考える。
もし思い入れなんてものが聖印に必要な要素なのだとしたら、それはどのように作用するのか……。仮に聖印の中に思い入れなんてものが付与されたとして、それはどのように再現すればいいのか。
人間の意思が魔法のトリガーを引く。人工知能がトリガーを引くことは可能なのだろうか。
魔法は不完全性を求める……。そういえば、不完全性といえば、人間の脳というのも、至極曖昧な代物だ。
人間の記憶は曖昧だ。構造的に、記憶が曖昧にならざるを得ないようにできている。ならば、人工知能も人間の曖昧な部分を模倣しなければ、魔法のトリガーを引くことはできないのではないか。
しかし、それが分かったところで、アンドロイドの設計に生かすことができなかった。疑似的に曖昧な知能を造ることはもちろんできるが、それも全て計算の上に成り立っている。人間の脳そのものを模造するしかないのか? だが地球人の脳ではおそらく駄目だ。イフィリオス人の脳をそのまま作り出さないと。
ミクロの世界まで脳の再現をするとなると、解剖が必須になる。さすがにスキャンだけではそこまでできない。それも、できれば魔法使いの脳である必要があるだろう。それを調達するのは不可能に近い。そもそも人様の遺体にメスを入れることが、おれたちに許されるのだろうか。
おれは魔法をモノにする方法を考える。苦悶の時間が続いた。そして唐突に、答えを導き出した。それはとてつもなくシンプルな方法だった。
すなわち、
「おれ自身が魔法を使えるようになればいいのか……。おれがおれの為の聖印を造ればいいんだ」
有り余る科学の力で魔法にもアプローチできると思っていた。だがそうではなかった。おれが生身で体当たりして、初めて魔法を理解できる。これはそういうものなのだと割り切るしかなかった。
円滑に事を進めるにはヒミコに相談したかったが、止められると思い黙っていた。
じっくりと、おれがすべきことを考える。
聖印を造るには思い入れのあるものを使わなければならない。
おれは無意識に、ヒミコの整った顔を見ていた。
200年間、ほぼヒミコとばかり話していた。地球に帰還して、若い連中と話すことはあった。大体はおれを化石扱い、もしくは化け物扱いしてきたが、おれの話を聞きたがる酔狂な奴もいた。
しかし打ち解けることができなかった。結局、昔なじみの、おれと同じ不死者としか話が合わなかった。
ヒミコだけだ。人工知能の彼女以外では、聖印を造ることはできないだろう。おれは直感でそれが分かっていた。
おれは探査船のデータベースにアクセスして聖印作りに関する項目を閲覧する。ヒミコがまとめたそれらは、その情報を全て駆使しても、聖印を造るに至らなかったものだ。
しかし今なら造れる気もする。おれは原子プリンターの前に立ち、ヒミコを不完全たらしめるものを造った。ものの数秒で完成したそれを、おれはヒミコのガンマに贈った。
ヒミコはそれを困惑しながら受け取った。それは粗悪な計算機だった。無駄に大きく、おれの拳四つ分はある金属の塊だ。ろくな計算能力を持たないどころか、計算をたまに間違えるうっかり屋さんだった。
「……マスター? なんですかこれは?」
「プレゼントだ。ありがたく受け取れよ」
「資源の無駄ですよ。……いったいどうしたんです?」
ヒミコはひたすら怪訝そうにしている。おれの正気を疑っているようだ。
「まあまあ、いったんそれをお前の演算機に接続して、そいつにも仕事をさせてやってくれないか」
「ええと」
ヒミコはその計算機を服の中に潜り込ませる形でしまい、へその部分から接続させた。ヒミコの表情が一瞬緩む。
「――ますたぁ? 言語野にいじょ――まともに話せなく――なんだこのがらくた……」
ヒミコの口調がおかしなことになったところで、おれはヒミコを椅子に座らせた。そしてしゃがみ込んで、彼女の両手を握った。
データなら豊富に揃っていた。他の聖印がどのようなものだったのか。レダとニュウがどのようにして聖印を完成させたのか。ヒミコが接続した計算機は、そういったデータを基にして造った。もちろん本当に正しい答えかどうかなんてわからない。ほとんどがおれの勘で造ったものだ。しかし、レダはともかく、ニュウが完璧に計算して聖印造りを成功させたとは思えない。多少の冗長性は許されるだろう。
おれはヒミコの手を握って思い返す。この200年間の旅を。反物質炉が起こす対消滅の鼓動を。ワープに次ぐワープ。広大な宇宙を駆け巡った静かな道程。おれの健康を管理する、慈母のようなヒミコとの語らいを。おれは思い出せるだけ思い出した。ヒミコの温もりを感じながら、彼女の手を強く握り込んだ。
「――ますたぁ? このがらくたとの接続を切っても――いいよね?」
「もう少し待ってくれ」
「ますたぁ、まさかとは思うけど、あたしのこと、聖印に――?」
さすがに勘がいい。おれは強く念じた。本当にこんなことで聖印が完成するのか疑問だったがもうとことんやるしかない。おれはヒミコの手を握って、聖印作りの最後の工程に挑んだ。
「――そんなんじゃ、駄目だよ」
背後から声をかけられた。はっとして振り返ろうとしたが、頭をがっちりホールドされて、動けなかった。後頭部に感じた感触は少女のものだった。ニュウに違いなかった。ニュウが、しゃがみ込んだおれの頭を背後から抱いて、体をもたれさせている。
「集中して、スズシロ。わたしが、手伝ってあげる」
ニュウの声がいやに大人びていた。おれは素直に従う。そしてニュウの体から放たれる熱と不思議な力の奔流が、おれを惑わせた。
これが、魔法の力なのか――おれは実感をもってそれを理解する。
ヒミコが言葉にならない声を上げている。
事態を理解したアルファが近くまで来て心配そうにおれたちを見ている。
ニュウの体温が唐突に、一気に熱くなった。
燃えるような彼女の体と、おれの体の境界が曖昧になった気がした。
溶ける。
感覚が。
視界が白く染まり、おれは意識が飛びかけた。
ぐっ、とおれの頭を強く掴むニュウ。気絶するなと強く叱られたような気がして。
おれは目を見開いた。正面から見据えるヒミコの額に、不思議な紋様が刻み込まれていた。
薄い緑色に明滅するその印は、電気で光っているわけではない。それがおれには分かった。おれはヒミコから手を離した。立ち上がる。ニュウはおれから離れようとせず、おれに首にぶら下がる恰好になった。
「できたー、やるねえ、スズシロ。人間も聖印になれるんだね。知らなかったー」
ニュウは呑気に言っている。おれは今まで息をしていなかったことを思い出して激しく咳き込んだ。聖印となったヒミコは、口をぽかんと開けたまま、椅子に腰かけ、しばらく動かなかった。